#26
気づくと奏は、宙に浮いていた。
周囲を見渡すと、一面はピンク色に輝いていて、そこが魔法少女に変身する際に転移させられる空間だということに気づいた。
しかし彼女は叡珠を身に着けていなかったし、それ以前に、変身能力を失ったばかりだった。
「(どうしてここにいるんだろう……)」
すると、その心の声に応えたかのように、誰かが頭上から舞い降りてきた。
肩まで伸ばした、淡い金色の髪がふわりと浮く。
慈悲深く微笑む瞳は、奏のそれと同じ、澄んだ緑色。
その精霊は、奏の目の前に居ながらもどこか遠くに居るようで、指一本でも触れれば姿かたちを失ってしまいそうな、静寂さと儚さを漂わせている。
――「やあ。驚かせてしまったかな」
その声は落ち着きがあり、奏に安心感をもたらした。
誰だろう、と奏は首を傾げた。
が、すぐに頭の中で先日のヤビイの話と結びついた。
「私のことは、もう聞かされたかな」
奏はこくりと頷く。
話に聞いた通り美しい精霊だ、と率直に感じた。
「そう。私は君が戦うための魔力の源。魔法少女としての君にとっての心臓と言ってもいい」
エザムは目を伏せ、続けた。
「僭越ながら、君の夢にお邪魔させてもらっているよ。君が変身する――つまり私と融合する回数を重ねるごとに、君の身体は少しずつ魔力に適応するようになった」
奏は自分の身体を見下ろす。
寝間着姿であるのを確認すると、確かにこれは夢だと彼女は確信した。
「私がこうして君の夢にアクセスできるのは、そのお陰さ」
奏は妙に感じた。
どうして変身出来なくなった日の夜に、初めてその魔力の主と繋がることになったのだろう、と。
「まずは礼を言わなきゃいけないね。この度は私の魔力を引き受けてくれて、どうもありがとう。突然のことにさぞかし驚いただろうけど、今まで戦ってきてくれた君には、とても感謝しているよ」
そう言われた奏は、救われたような気分になった。
魔法少女でありながらも、『本当に自分でよかったのだろうか』と思うことがしばしばあったからだ。
エザムが放った言葉は、決して奏に気を遣うためなどではなく、本心からなるものだった。
「ところが私は昨日、君と融合する寸前に、大きな壁に阻まれたんだ。つまり、君に能力を与えられなかったというわけだ」
奏は身を固くした。
先日変身に失敗したことについて、何か言われるのではないかと思ったからだ。
――やっぱり、あれは私に原因が?
彼女は自らの声を発するという実感が持てなかったものの、確かにそう言った。
「それを持っているのは紛れもなく君だけれど、断じて『君のせい』ではない。根本的な原因はと言えば、あの忌むべき存在たちだね」
『忌むべき存在』が指すものは、もはや言うまでもない。
「奴らは君の恐怖心を煽り、精神を揺るがした。そうだろう?」
奏は頷く。
「それが障壁になっているせいで、私は君を魔法少女に変えることができなくなっている。君は初めて変身した時のことを覚えているかい?」
初めて魔法少女に変身した夜。
それは、あの謎に包まれていた精霊と邂逅し、運命が大きく変わった日でもあった。
もちろん彼女は鮮明に覚えていた。
すると、奏の思考が反映されたかのように、二人のいる場所があの展望台に切り替わった。
奏は柵に背を向け、エザムはその正面に立っている。
ヤビイと出会ったときと同じ立ち位置だった。
エザムは微笑んだ。
「聞くまでもなかったようだね。じゃあ、『何故変身できたか』は分かるかい?」
エザムは、子供に教え諭すような口調で言った。
――ヤビイは、私が魔力の器にふさわしい……みたいなことを言ってました。
「その通り。ヤビイの言う通り、君は体質的に魔力との相性がいい」
奏は安堵感を覚えた。
あの時はでたらめを言われているのでないかと少し疑っていたが、知性に恵まれたこの精霊から言われると、妙に説得力があった。
「だけどもう一つ、必要不可欠な要素もあった。それが無ければ、君は魔法少女になれなかったといっても過言ではない」
何だろう、と奏はあの夜をさらに思い返す。
あの精霊が名乗るより先に、魔法少女になれと言ってきたかと思うと、巨大な怪物が轟音と共に現れた。
そして避難するために、展望台を駆け下りて――。
あっ、と奏は声なき声で言った。
「そう。君の『強い意志』だ」
得体のしれない怪物から、あらゆるものを破壊してしまいそうな覇気を感じ、内なる正義感が呼び起こされた。
私がやるしかない。あれこれ考えるのは後だ。
そんな思いで怪物に向かって叫び、叡珠が強く光った。
「つまり、魔法少女として戦うには、『魔力に相応しい体質』と『戦うための強い意志』、この二つの要素が必要というわけだ。どちらか片方でも欠けていれば、魔法を使って戦うことなど到底不可能だ」
もしあの時私がそこに居なかったら、他の誰かが魔法の力を授かっていたのだろうか。
あるいは、最初から私が選ばれる運命だったのだろうか?
エザムの澄んだ緑色の瞳を見ながら、奏はそう考えた。
「その後も君は、奴らがしつこく現れるたびに変身し、戦い続けてくれた。『怪物を倒し、街を守る』という強い意志のもとにね」
すると、エザムは表情を曇らせた。
「ところが奴らは先日、君に恐怖心を与え、変身能力を奪ってしまった。君の戦う動機であり続けた、強い意志までも揺るがすことを言い放つことでね」
それが、白髪の青年が明らかにした彼らの真の目的だった。
「実を言うと、君がそれを言われた瞬間から私との繋がりは弱くなって、魔法少女としての能力も弱まっていたんだ。それでも、君が生き延びてくれてよかったよ」
ヤビイのお陰だと奏が言う隙もなく、本当によかった、とエザムは言った。
「……ああ、よかったとも」
そう繰り返したエザムの声は、今にも泣きそうなくらい震えていた。
どうしたのだろう、と奏は眉をひそめた。
――「本当は、奴らの本来の目的のことは私も知っていたんだ。魔法少女としての君を……私の力を消すことと、そして七つの叡珠を他の誰かに揃えさせないこと」
奏は思わず目を見開く。
「だけど君に直接伝える術はなかったし、ヤビイと共にいた時も、奴らの存在のことすらずっと言えないでいた。……あの平穏な日々を崩したくないばかりにね」
エザムはずっとそのことを隠しながら、ヤビイと共に平和な日々を過ごしていた。
そして結局最後まで言い出せずに、『以前から邪悪なものが蠢いている』という漠然としたことしか言えずに去ってしまった。
自分たちとは決して相容れない『邪悪なもの』の存在について話してしまえば、ヤビイは間違いなく、自分の手で倒すと言ってきかなかっただろう。
そして、それがきっかけでもしものことが起きるのを恐れていた。
エザムはそう言った。
「だけど結果として、ヤビイを深く悲しませた上に、あの楽園も永遠に失われてしまった……」
エザムは膝から崩れ落ち、両手で顔を覆いながら完全に俯いてしまった。
「贖いようのない、私の罪だ」
女神のごとき精霊から、威厳のある光が剥がれ落ちていく。
その姿は、時期を終えて徐々に枯れゆく花のようだった。
そんなエザムの様子を見かねた奏は、静かに歩み寄り、その場にしゃがんだ。
神々しさをたたえるこの美しい精霊が悲嘆に暮れる姿は、これ以上見たくなかった。
――もう、後悔しなくていいですよ。
エザムは驚いたように、顔を上げた。
――ヤビイは過去のことを責めたりなんかしないだろうし、あの楽しかった日々を守りたかったのでしょう?
エザムは、彼女の言葉に背中を押されるように立ち上がり、奏もそれに続く。
――その分、奴らを倒すために私とヤビイで戦えば……。
そう言ってから、奏は言葉を詰まらせる。
そして再び口を開いた。
――またいつか、私が魔法少女として戦えるようになったら。
奏達のいる展望台が徐々にフェードアウトし、空間が元に戻った。
エザムは最後の一筋を瞳からこぼすと、優しい表情に戻った。
「ありがとう。……私らしくないね、全く」
精霊の細く繊細な手が、少女の胸の前にスッと伸びる。
「君がまた戦えるように、その恐怖心を溶かしてあげよう――と言いたいところだが、残念ながらそれはできない」
無力感を嘆くように、手が下ろされた。
「なぜなら、君が今後どうするか決められるのは、君自身だからね。どんな者であれ、人の意志を無理やり操作することは絶対に出来ない」
――きっと、自分で克服します。
奏は、毅然とした態度でそう言った。
エザムは感心したように笑う。
「いい心構えだ。もし本当に乗り越えられたら、今までよりも強力な魔法少女として覚醒しそうだ」
えっ、と奏は目を見開く。
「今のはほんの冗談さ。……といっても、更に能力が高まる可能性はゼロでもない。君の気持ちと、どれくらい魔力との相性がいいか次第だね」
ところで、とエザムは話を切り替えた。
「君には、七つの叡珠の力で叶えたい望みは――他の何かを犠牲にしてでも叶えたいものは、何かあるかい?」
奏はエザムの言葉に重みを感じながら、首を横に振った。
「やはり早々ないものだよね。もしあったとすれば……あるいはこれから現れるとすれば、それも君が再び戦う強い動機になりうる。そう言いたかったんだ」
すると、空間がぼやけて揺らぎはじめた。
「そろそろ君が目覚める頃だね」
みるみるうちに、エザムの姿も透けていく。
「最後にこれだけ言っておこう」
エザムは女神のように微笑む。
――「『もし君がもう一度戦えるようになったら、ヤビイは大いに喜ぶだろう』とね。それじゃあ、いつかまた会おう」
そしてエザムは、淡い光に包まれて消えていった。
目覚まし時計の音と共に、空間が消えた。
奏が目を開けると、そこになかったはずのピンク色の石が、手の中に握られているのに気づいた。
*******
暗闇の中で、少年は目覚めた。
これはあくまでも、夢の中での光景だった。
少年は冷たい床の上に横たわっていた。
身に纏っていたものは全て剥がされ、その繊細で白い身体を天井のもとに晒していた。
それでもかろうじて、彼に対する配慮によるものなのか、腰より下に布のようなものが被さっていた。
誰かが僕を見下ろしている。
朦朧とした意識の中でも、それは気配でわかった。
確かにそこには、もう一つの人影があった。
成人男性ほどの大きさで、百八十センチほどの高さがある。
――ようやく気が付きましたか。
そう言われた少年は、一体何が起きているのだろうと思い、ゆっくりと裸体を起こす。
それでも状況がなかなか掴めず、彼は何も言えずにただぼんやりとしていた。
わずかに痛む胸に触れようとすると、横から腕が伸び、動作を止められた。
まるで、少年が自分の胸に触れることに、大きな不都合があると言わんばかりだ。
此処はどこなのだろう。どうして此処にいるのだろう。
少年はそう思ったが、なかなか声が出せない。
見えない何かに阻害されてしまい、声という声が出せないでいる。
もう一つの人影の口からは何も語られず、ただそこに佇んでいるだけだ。
そして僕は一体誰なのだろう?
少年は自分の名前だけでなく、過去の記憶もすべて、すっかり頭から抜け落ちていることに気が付いた。
夢が夢だと気づいていても尚、覚めれば全てを思い出せるという確信は持てず、少年は狼狽える。
だんだん恐怖感に襲われ、少年は助けを求めようとした。
それでも声は出せない。
そろそろこんな夢から覚めたい。
少年がそう強く念じたとき、横にいた人物の手が、剥き出しの肩にそっと触れた。
その手に温もりは無く、少年の身体と同じくらい冷たかった。
人影は、身構える少年の耳元に顔を近づけ、何かを囁いた。
ゆっくりと落ち着いた声で、まるで神秘の呪文を一言一句正確に教え込むように。
耳元で紡がれる神秘の呪文は、少年の中で恐怖心を包みこみ、溶かしてゆく。
内なる恐怖心が溶けてゆくと同時に、余計な力が抜けてゆく。
そして恐怖心が完全に消え去ると、今度は、身体の底から何かが湧き上がってくるのを感じた。
高揚感。
つい先ほどまで彼を支配していた不安と恐怖心が嘘だったかのように、まるで自分が、世界を丸ごと支配するほどの力を得たような錯覚すら覚えた。
少年はにやりと笑う。
やがて言葉が途切れた。
少年は肩を震わせ、今まで感情を縛っていた鎖がほどけたかのように笑う。
ただひたすら笑う。
僕こそがこの世界の覇者なのだと笑う。
そのうち風景が徐々におぼろげになり、形が不安定になっていく。
そのことにも気づかずに、少年は笑い続ける。
そして少年はまた、暗闇の中で目を覚ました。




