#24
灰色の空間に鳴り響く、刃のぶつかる音。
弾む息。
剣士たちによる死闘が繰り広げられているさなか、戦闘能力を失った奏は一人、何をすべきかわからずただそこに立っているしかなかった。
手の中の石は氷のように冷たく、彼女に無力感をありありと感じさせた。
「おや、戦わないのですか?」
見上げると、白髪の青年が正面に立っていた。
「大切な仲間が戦っているというのに、貴女は何もしないままですか……」
青年は、彼女の事情を知っている。
知っているうえで、わざと彼女の罪悪感を増幅させているのだ。
奏は身構え、叡珠を持つほうの手を背後に隠す。
「心配なさらないでください。私は生身の貴女を殺める気など一切ございませんから」
青年は微笑んでいる。
「どうやら、貴女を倒せるのは当分先になってしまいそうですね……」
青年は、元の位置に瞬間移動した。
「くっ……」
相手の攻撃に押され、後方に引き戻されたヤビイが、ふっと視線を横にそらす。
ヤビイと目が合った奏は、何と言ったものかとどぎまぎする。
「あ、あの……私……」
「話は後だ。ここは俺に任せろ」
ヤビイはすぐに視線を戻し、再び剣を構えた。
奏の顔色で、ヤビイは何が起きていたのか察していた。
その声は今まで以上に冷静でいながら、強気だった。
相手は、奏の命を狙っただけでなく、ヤビイの身の回りを狂わせた因縁の敵だ。
「本当、目障りなんだよ!」
「どの口が言ってやがるんだ、この悪魔!」
二人の戦闘能力は、全くと言っていいほど互角だった。
それもまさに、鏡を合わせたかのように。
互いに反発し合う光と虚像は、刃をぶつけ合い、激しく火花を散らしている。
双方ともに一歩も譲らない。譲るわけにはいかないのだ。
奏は以前、黒いローブの女に導かれた森の奥で一対一の激しい戦闘を見たが、目の前で繰り広げられているものは、あの時よりもさらに格上だった。
何よりこれは戦闘というよりも、本気の殺し合いのようにも見える。
――いや、もはや本気の殺し合いと呼んでしまってもいい状況だった。
ヤビイの瞳は、怒りを込めてギラリと光っていた。
内面で渦巻く感情が青く光る稲妻となり、徐々に体の表面に溢れ出ている。
攻撃の手は、見る見るうちに強くなっている。
「何もかも……メチャクチャにしやがって!」
鋭い金属音。
頭上から振り下ろされた剣を、ヤビイの名を騙る剣士は食い止める。
そして、めんどくさそうにこう言い放った。
「俺さあ、別にあんなの殺すつもりもなかったんだけど」
怒りを露わにしながら剣を振り下ろしたヤビイとは対照的に、影の剣士は、猛攻を食い止めつつも冷めた顔で続けた。
「元々お前を殺るつもりだったのに、勝手にあれが入ってきたんでしょ?」
一瞬、ヤビイの攻撃が緩んだ。
その隙に”ヤビイ”が反撃に出る。
「つまりあれさえ介入しなければ、お前は今ここにはいないってわけだ!」
攻撃が一発命中し、ヤビイは地面に崩れ落ちる。
「てめえ……!」
睨まれても尚、”ヤビイ”は冷めた表情を崩さない。
そして影はとどめを刺すように、虚しく笑いながらこう言い放った。
――「せいぜい、自分の身代わりになってくれたことに感謝すれば?」
空間が凍り付いた。
禁忌はあっさりと犯された。
プツンと糸が切れた。
奏は、頭に血が一気に上るのを感じた。
何てことを言うんだ、と叫びそうになった。
するとヤビイは、剣を持たぬままゆっくりと立ち上がり、震えた声で言った。
「……ふざけんな」
怒りが頂点に達したヤビイの全身は、脳天からマグマが噴き出てきそうなくらい震えていた。
「へえ、相変わらず威勢はいい……っ⁉」
拳が一発、”ヤビイ”の頬に入った。
殴られた勢いで地面に倒れる。
「っざけたコト抜かしてんじゃねえよ……!」
”ヤビイ”は引きつった顔で、禁断の手を使った剣士を睨みながら立ち上がる。
「そんなことするんだ……。剣士のくせに」
「黙れ‼」
また空気が揺れ動いた。
――「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ‼」
ヤビイが叫ぶと同時に轟音が鳴ったかと思うと、あたりに水色の閃光が走った。
衝撃波が空間全体に走り、立っていられなくなった奏の視界は暗転した。
奏がおそるおそる目を開けると、ヤビイは、ギラギラと光る雷光を帯びたオーラを全身に纏っていた。
燃え盛る炎のごとき怒りと憎悪。
それが"ヤビイ"の禁句で一気に爆発し、制御が効かなくなっていた。
呼吸も荒くなり、肩が上下に上がっている。
「急に何なの……気味が悪い」
「うるせえッ‼」
相手が剣を構えているのも無視して、ヤビイは素手で”ヤビイ”を突き飛ばした。
剣でどれだけ反撃されても、ただひたすら、青い稲妻を帯びた拳や蹴りで迎撃し続ける。
その姿は、強さを通り超えて狂気すらもにじませていた。
「ブッ壊してやる……。テメエの存在も、この空間もな!」
暴走状態のヤビイは、壁際に追いやられた”ヤビイ”に猛スピードで襲い掛かる。
「テメエが……テメエのせいであいつは……!」
さらに一発、豪快な拳が入った。
「(あんなの、ヤビイの戦いかたじゃないよ……)」
戦況をみているうち、奏は徐々に恐ろしい気持ちになった。
闘いと呼ぶにはあまりに一方的で、暴力的とも呼べる光景だった。
「ごちゃごちゃ言われたって、俺はただ……っ!」
やはり強力な拳が入る。
もはや”ヤビイ”の発する言葉は、どんなものでも弾かれてしまっている。
「……潰れろ」
ヤビイは己の対象物の胴体に手を伸ばし、壁に押さえつけた。
「『デストロイ・サンダー』‼」
雷の魔法が、”ヤビイ”の中で容赦なく炸裂する。
「――ああああぁぁあ、あああぁぁぁぁぁああああ‼」
「せいぜい、あいつが味わった以上の痛みを味わえ……!」
「あああぁぁぁああああ‼」
無音の結界の中で、雷の音と苦痛に満ちた叫びだけが響く。
「(やっぱり間違ってる……)」
たとえ相手が因縁の敵であるにせよ、やり方があまりに無惨だと、奏は感じていた。
ヤビイの武器であるはずの剣は、未だに冷たい地面の上に横たわっている。
まるで何かに取り憑かれたかのように、白いマントの精霊は、一方的に己の虚像をいたぶり続ける。
奏が見ているヤビイはもはやヤビイなどではなく、ただの憎しみに塗れた復讐者でしかない。
すると突然、ヤビイの放つ魔法が途切れ、
「う、っ……!」
胸元を抑えながら、膝から崩れ落ちた。
「ヤビイ!」
思わず奏は声をあげた。
魔法にそこまで長けていない精霊は、一気に魔力を放出したため身体にダメージを喰らったのだ。
「魔法使ってくるとか、俺聞いてないんだけど……」
よろけながら剣を拾い、”ヤビイ”は忌々しく言った。
既に大ダメージを受け、先ほどまでのパワーは残っていなかった。
それでも残りの体力を振り絞り、剣を振り上げる。が、
「……知ったことか」
またしても、剣は素手で弾かれた。
ヤビイは地面に崩れた姿勢のままで、再び攻撃魔法を発動した。
先ほどダメージを受けたにもかかわらず、このまま魔力を放出し続ければ、本当の意味で再起不能になってしまう。
そのことは奏にも想像できた。
なのに当のヤビイはそんなことも気にせず、魔法を発動し続けている。
目の前の敵さえ倒せれば後はどうでもいい。
今のヤビイは、まさにそんな心境だった。
「本当、さっきから何なのさ……!」
反撃する隙を一切与えられない"ヤビイ"は、電撃をもろに喰らう中でようやく口を開いた。
「あいつが受けた苦しみはこんなもんじゃねえ……。もっと苦しめ!」
すっかり目の前の仇しか見えなくなったヤビイは、手を止める気配がない。
そしてさらに、魔力を強めた。
「あああああぁぁぁっ‼」
ところが、ヤビイにも少しずつ苦しげな表情がうかんできた。
息を切らし、腕も小刻みに震えだした。
「クソっ、持ちこたえろ……! あと少しで……!」
やがて魔法はみるみるうちに弱まり、ついには消えてしまった。
それと同時に、解放された"ヤビイ"は地面に崩れる。
魔力を酷使したヤビイもすでに満身創痍で、肩で息をしているような状態だ。
それでもヤビイはゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取りで前に進む。
戦闘が続行できなくなった剣士のそばに落ちている武器を拾いあげる。
柄を固く握り、覚悟をきめて両腕を振り上げる。
刃は下を向いている。
獲物を仕留めるかのようなその瞳は、相変わらずギラリと光っている。
「……終わりだ」
不滅の楽園に突然現れ、あらゆるものを奪った、いわば悪魔のような存在。
それはもう、まともに動けない状態で目の前に居て、刃を突き刺しさえすれば、己の因縁との決着がつく。
――が、その寸前。
「もうやめて!」
ひとりの少女が叫び、ヤビイの動きが止まった。
両腕を横に伸ばし、一対の光と虚像との間に入りこんだ。
「お願い、目を覚まして……」
瞳をかすかに潤ませ、正面のヤビイをじっと見据えている。
「っ……‼」
緑色の澄んだ瞳。
両腕を開いて庇う姿。
白いマントの精霊の中で、かつて共に過ごした者の残像が、目の前の少女と重なり合った。
「(エザム……)」
人間界で一番に出会い、魔法少女の資格を与えられた運命の少女。
「(奏……)」
膨れ上がった負の感情は鎮められ、ずっとヤビイを包んでいた、狂気のオーラが静かに消えた。
頭上に上げられていた剣もそっと下ろされ、地面に落とされた。
「ったく、何やってんだろう俺……」
自分に呆れたように笑うと、ヤビイは地面に倒れこんだ。
奏は慌ててその身を支える。
「ヤビイ……」
涙が一筋こぼれた。
「やっといつものヤビイに戻ってくれた……」
平静を取り戻した精霊は、力なく微笑む。
「悪かったな。取り乱したりなんかして……」
優しい表情で、ヤビイは奏の腕の中で目を閉じた。