#20
――「んじゃ、改めて宜しくなっ!」
ある日突然少女の前に現れ、魔法の力を授けた謎の精霊ヤビイ。
――「精霊、ナメんなよ!」
澄んだ水色の光は、彼女の日常を大きく変え、平凡だった日々にいろどりを与えてくれた。
大変なこともたくさんあったし、周囲に隠し通さなくてはいけないという重荷はあったけど、それでもヤビイがいて楽しかったこともある。
少し口が悪いけど、魔法少女としての彼女を支えてくれた、今や奏にとっては必要不可欠な存在。
これは悪夢に違いない。
ヤビイが突然いなくなった不安が積もりに積もって出てきた、恐ろしい悪夢をみているのだと、奏は自分に言い聞かせた。
ヤビイと呼ばれた者の金色の瞳が、前髪の間から奏を睨む。まるで、この世の全てから絶望しか見いだせなくなってしまったような、氷の如く冷たい瞳で。
藍色の髪はツンツンに逆立ち、髪の下半分が腰まで伸びている。
ノースリーブの灰色の服に、紫色のマント。
それは、何かに引き裂かれたようにボロボロで、どこか悲しみが漂っている。
「おや、嬉しさのあまりに声も出ませんか?」
青年が微笑みながら言った。
そんなわけが無いと分かっていながら、神経を逆撫でするためにわざとそう言っているのだ。
奏は頭に血が上るのを感じた。
「あまり嬉しそうではありませんね。けど残念、これが正真正銘、貴女の大切な仲間なのですよ?」
じゃあ、私が今までヤビイと一緒にやってきたこととは何だったのだろう。
学校が襲われた時、人間の体を借りてまで一緒に怪物を倒してくれたのは一体?
奏は今すぐこの場を抜け出したくなった。
「さあ、絶望に呑まれなさい」
青年はそう言いながら、指をパチンと鳴らした。すると、あたりは一瞬にして灰色に染まり、橋の下から聞こえていた車の音や、人の声がピタリと止んだ。
まるで、時が凍りついたかのように。
そして見渡すと、そこが元いた場所とは違うことに奏は気づいた。
レンガで作られた、西洋風の建物の屋上だった。
「結界を張らせて頂きました。我々と関係のない一般市民を巻き込む訳にはいきませんからね。――さあヤビイ、その膨大な魔力を以て、魔法少女との再会を喜びなさい」
ヤビイと呼ばれた者は、気だるそうにため息をついた。
「誰が喜ぶってんだよ......。煩わしい」
今まで聞いてきたヤビイのものとは違い、不機嫌そうな、ネガティヴなオーラを纏った声だった。
ヤビイは灰色のグローブを着けた左手の中に、鈍く光る長剣を顕現させ、がっちりと握った。
「嘘だよね、ヤビイ……?」
精神的なショックの中、奏はようやく声を発することが出来た。
「煩いんだよ、人間如きが」
しかしそれは結果として、彼女を更に傷つけることになってしまった。
地面に剣先を引き摺りながら、ヤビイがひたひたと歩み寄る。
奏は身の危険を感じ、後ずさりしながらカバンから叡珠を取り出し、魔法少女としての姿に変身した。
ヤビイに攻撃は加えるつもりはなく、あくまでも、正当防衛だ。
「俺の前から消えろ!」
ヤビイは奏に向かって、剣を薙ぎ払った。奏はギリギリのところでそれを躱す。
それでも剣は、奏を容赦なく狙い続ける。
「お願い、目を覚ましてよ。こんなの間違ってるよ!」
「目を覚ますも何もあるかよ……。俺は俺だ!」
どんなに奏が剣を躱しても、攻撃の手は止まらず、このままでは彼女の体力が持たない。
奏は白いステッキで、振るわれた刃を受け止めて抵抗する。
ヤビイとは戦いたくない。
「俺はお前を倒す。アイツらの真の目的を果たすために」
別にそんなに乗り気じゃないけど、とヤビイは小さくつぶやいた。
「真の目的······?」
「ええ、その通りです」
ここで青年が口を挟んだ。
「我々の真の目的は、単にこの街を破壊するなどという幼稚なものではございません」
青年に気を取られ、危うく攻撃を喰らいそうになる。
「七つの叡珠を誰かが揃えるのを阻止すること。……そして、魔法少女である貴女を倒すことです」
攻撃を躱しながら、奏は恐怖を覚えた。
「我々は本能に従って貴女を黙らせ、そして本能のままに叡珠を守る。これは最初から決まっていることであり、誰にもこの決まりを変えることはできないのです」
「じゃあ、今まで街を襲ったあの怪物達は……?」
「言ってしまえば、貴女をおびき寄せるための罠、といってもいいでしょう。サブゲーム、とでも呼ぶべきでしょうかね」
それを聞き、奏は怒りが込み上げてくるのを感じた。
許せない。
軽々しい気持ちで、何も関係ない人たちを巻き込むなんて。
彼女はステッキを握る手にぐっと力を込め、飛んでくる刃を、遠くに追いやるように思い切り振り払った。
そしてステッキの先を、戦闘の傍観者である青年に向ける。
「まずはあなたを倒すべきみたいね!『クレッシェンド・ストーム』!」
魔法陣を構築し、強い攻撃魔法を繰り出す。
しかしそれは、涼しい顔でひらりと避けられてしまった。
「少し感情的になりすぎじゃありませんか?」
紳士の皮を被った青年が、ニタリと笑う。
「魔力を使い切ると、戦えなくなるんですよね? しかし此処は結界の中。 貴女が戦力を失っても、誰も助けに来ない。もう少し冷静でいるのが賢明だと思いますけどねえ……」
目の前の現実を改めて思い知らされ、奏は顔が青ざめるのを感じた。
「大人しく、裏切りの刃に倒れなさい?」
ヤビイが雄叫びを上げながら剣を振り下ろす。
彼の言いなりになってたまるか。
「『リフレクト』!」
攻撃が跳ね返り、ヤビイは顔を歪めた。
「諦めの悪い奴」
ヤビイは舌打ちした。
「というかお前、さっきから全然攻撃してこないじゃん……。俺の事ナメてんの?」
と、体制を立て直して剣を振りかざす。
「違う……! ヤビイに攻撃したくないもの!」
刃は絶え間なく奏を襲う。
奏はそれらの攻撃から身を防ぐ。
一瞬拍子抜けた顔になった剣士だが、それはすぐに陰湿な笑みになった。
「ハッ、笑わせてくれるよ、偽善者が」
奏は胸がズキンと痛むのを感じた。
「今こうしてお前を倒そうとしている相手に『攻撃したくない』? それって敵を倒すのが仕事の魔法少女としてどうなの? ねえどうなの⁉」
瞳が鈍く光っている。
――やっぱり違う。
こんなネガティヴな話し方じゃない。
いつもハキハキ喋るし、言葉遣いももっと乱暴だ。
それに、実物を見たことはないけれど、瞳だってこんなに淀んでいないはずだ。
今私の目の前にいるのは、本物のヤビイではない。
奏はそう確信し、受け身から一転、飛んでくる刃を強く弾いた。
「あなたはヤビイなんかじゃない!」
その瞬間、ヤビイと呼ばれた者の顔に動揺の色が浮かんだ。
その隙に奏は、もう一発剣を弾く。
手の中から剣が外れる。
「ヤビイはこんなに陰湿じゃないし、私を倒そうだなんてしないもの!」
ステッキをヤビイに向け、魔法陣から、先ほど青年に放った攻撃魔法を繰り出す。
徐々に強まる風が、剣士に襲い掛かる。
「本物のヤビイは、一体どこにいるの!」
「……さい」
両腕で顔を覆いながら小さく呟く。
「煩い煩い煩い煩い!」
声を荒らげ、黒い雷を纏った腕で、奏の魔法を振り払った。
「偉そうに好き放題言いやがって! 俺は俺だっつってんだろ!」
その怒声に共鳴するかのように、黒く禍々しい雷が、剣士の身体から微かに発せられる。
「……さて、そろそろ本気を出しましょうか」
落ち着き払った様子で青年が言いながら、先ほど奏に弾き飛ばされた剣を拾い上げた。
「さあ、その内なる怒りと憎しみを解き放ち、この世全てを呪いなさい。そして目の前の光を喰らい尽くしなさい!」
俯いた剣士は渡された剣を握り、唸り声をあげ始めた。
雷を纏った黒いオーラが、全身からあふれ出す。
歯を食いしばり、金色の瞳を光らせる。
「ゥアアァアアァアアァアア!!」
そして天を仰ぎ、耳を劈くような咆哮をあげた。
その叫びは、奏の耳には慟哭のようにも聞こえた。
目の前の獣は、再び剣を振るい、容赦なく奏に飛びかかる。
「滅べ……滅べ……!」
彼女はステッキでどうにかそれを免れたが、先ほどとは格が違う。
力が強すぎる。
そして奏は防御魔法で次の攻撃を免れようとするも、あっさりと破られてしまった。
割れたガラスのように、バリアの破片が飛び散る。
「うわぁあっ!」
剣に身体を吹っ飛ばされ、奥の壁に叩きつけられた。
魔力のお陰で、かろうじて痛みは軽減されている。
ダメージを受けた箇所を抑え、顔を歪めていると、憎しみに塗れた瞳でこちらを見下ろすヤビイが近づいてきた。
しかしその瞳は、憎しみに塗れていながらも、確かに悲しみを含んでいた。
今私を倒そうとしている剣士は、心の中ではきっと涙を流しているのだと、奏は思わずにはいられなかった。
「あーあ、やっと終わるよ」
心臓がドクンと跳ねる。
逃げなくては。
しかし身体が硬直して、言うことを聞かない。
逃げなくては。逃げなくては。
「潰れろ、魔法少女!」
ヤビイの銀色の剣は、奏に向かって突き立てられようとしていた。
その剣先は、胸の叡珠を向いている。
――変身した状態で、叡珠を破壊されたら即死。
魔法少女になって少し経った頃に聞かされた、ヤビイの話を思い出す。
このままでは、私は死ぬかもしれない。
作り物の空間の中で、誰の目にも触れられず、孤独のままに。
こうなる事も、仕方がないのかな。
奏は、あの日出会った精霊に与えられた魔法で、目の前の現実に抗おうという気力をすっかり失ってしまっていた。
奏は一瞬の間だけ、あの精霊に出会って魔法少女になった運命を恨んでしまった。
こんなことになるくらいなら――。
鋭い剣先は、魔法少女の胸の中心に命中し、そこにあった魔力と生命の結晶は、あっさりと砕かれてしまった。
少女の身体に衝撃が走り、目は光を失い。
――という最悪の結末は、彼女の前に現れた救いの光がコンマ1秒でも遅れていれば、間違いなく現実になっていただろう。
更新頻度、頑張って上げています。
――次回、お見逃しなく。