#19
ヤビイがいなくなってから、三日が経った。
私が知らない間に、怪物達が現れてはいないだろうか? 誰かがその犠牲になってはいないだろうか?
そう思うと、気が気でなかった。
だけど、人間である彼女が魔法少女として戦っている事実は、ヤビイと敵達と、そして『レイ』と名乗った槍の女しか知らないので、それ以外の人達に怪物の存在を尋ねて確かめるという訳にもいかない。勿論、親友である泉美にもだ。
もし敵が現れていたとしても、もう一人の戦士であるレイが被害を食い止めてくれていることを祈るしかない。
ヤビイがそばにいなければ、たまたま彼らに遭遇しない限りは、敵の出没を知る術もない。やはりそういった意味も含めて、私が魔法少女として戦っているうちは、ヤビイがいなきゃいけないのだ。奏は改めてそう感じた。
それなのに、どうして突然行方を眩ませてしまったのだろうか。
敵陣に囚われてしまったのか、あるいは、実はヤビイはあちら側の精霊で、今までずっと奏を騙していたのか。
そんな最悪のパターンすら想像してしまう。
けど、ヤビイに限ってそんなことは無いと、奏は自分に言い聞かせた。
この日は土曜日で、午前中だけ部活があった。
定期試験を終えて一段落ついて、七月下旬の大会に向けて練習に力を入れ始める時期だった。
その帰り道。親友の泉美も含め、クラスメイトでもある三人の部活仲間達と共に、好きなバラエティー番組の話をしたり、部活に関する不満を誰かが言って、他の三人がそれに激しく同意したりしていた。
――「後はあれだね。フォルテの所を強く吹いてるつもりなのに、『もっと、バーン!って感じで吹いて!』とか言われても困る」
と、雅斗が言った。
「すっげー分かる。そんで全力で音量上げたら今度は『うるさい』って言われるし。ったくどうしろってんだよ」
今度は麗音が、呆れた顔で雅斗の言葉に同意した。
彼らは現時点で、本校吹奏楽部のただ二人の男子メンバーであり、残り三七人は全員女子である。
「男子は女子より力がある」という一般論により、演奏会などでドラムセットやマリンバといったパーカッションの楽器を運び出す際に、この二人が主力になるのは避けられないが、女子達も積極的に協力してくれるので、その点において大きな不満はない。
しかしそれでも、居心地の悪さを感じることは度々ある。
例えば、部全体の話し合いがなかなか進まず、ちょっとした険悪ムードになった時。その度に、物事を決める際に気の強い女子が集まった時特有の、ドロドロとした空気が降りる。
約半数の部員が、苛立ちを露わにした態度で「誰か何とか言いなさいよ」という視線を送り合っておいて自分たちは意見を出さず、空気を悪くして余計に他の部員に意見を出しづらくしている、そんな状況だ。
そんな女子の発する圧力に抗えるはずもなく、出る幕のない男子二人は、肩を竦めながら「こういう時の女子ってやっぱ怖えな」と無言で顔を合わせずにはいられない。
しかしそうしていると、ほぼ毎回「ちょっと、男子はどう思うわけ?」などと矛先を向けてくるので、反応に困る。
基本的には和気あいあいとしていて、部員の仲は良いものの、文化部でありながらも、運動部に近いハードな一面も吹奏楽部にはある。そんな部分に堪えられず、去年の秋頃に数人の男子部員が一斉に退部してしまった。
先日の学校襲撃事件の『第一発見者』である福田も、その一人である。
退部後、音楽をやりたいんじゃなかったのかよ、と麗音に問い詰められた彼は、「あれ以上いたら俺のメンタルが潰される」と青ざめた顔で話していた。
その後麗音は、辞めた残りのメンバーにも事情を聞きだすために、決闘を申し込む不良のごとく隣のクラスに殴り込もうとしたが、今のお前が聞いても怖がられるだけだ、と雅斗に止められた。
そして彼らの分も僕たちで頑張ろうという彼の説得に応じ、引退までやり切ろうと互いに約束したのだった。
異なる小学校出身で、かたや真面目な性格(雅斗)、かたや常に校則のギリギリを行く男(麗音)という、正反対の二人は、気持ちを深く理解し合える仲間として、徐々に仲を深めていったのである。
「じゃあ、また月曜日ね!」
奏が男子二人に向かって手を振った。泉美も後に続く。
「おう、じゃあな!」
麗音達が手を振り返し、奏達と違う方向へと歩いていった。
奏が二人を見送り、泉美の顔を見ると、男子二人の背中をぼんやりと見ていることに気づいた。頬もほんのりと赤くなっている。
おやおや、と思い、写真展で『恋する乙女』というタイトルが付けられていそうな横顔に、奏は小声で言った。
「どっちなのー?」
そう言われた瞬間、泉美は小さく肩をビクリと震わせた。
そしてみるみるうちに、顔全体が林檎のように赤くなっていく。
「な、何の話?」
泉美は慌てたように言った。
「顔に出てるよー。どっちのことが気になってるの?」
と、相手を傷つけない程度に、ニヤニヤしながら奏は言った。
少しためらった後、秘密だよ、という前置きと共に耳打ちで告げられたのは、奏の予想通り、彼女が「桐原くん」と呼んでいる方だった。
それを聞いて、奏は自分の顔まで赤くなり、胸の奥がそわそわしているのを感じた。
彼は真面目な上に穏やかな性格で、他人に優しく、顔立ちもいい方だ。
同学年の女子に関する恋愛絡みの噂話は割とどうでもいいと思っているが、親友である彼女となれば、話は別だ。
しかも相手は、奏と同じクラスと部活の、同じ小学校出身の男子だ。二人にとっての身近な友人として、今後の展開は見守っていたいし、あわよくば、泉美の気持ちを応援したい。
「一緒にいたのが、奏で良かったわ。まだ誰にも言ってなかったの」
と、恥じらいつつも、胸にしまっていたものを吐き出せてすっきりした様子の泉美が微笑んだ。
「安心して。誰にも言わないよ」
小学校の頃から、「誰にも言わないで」と言われながらも友人の秘密を平気で言いふらす輩がいたのを思い出しつつ、奏は、自分は絶対にそんなことはしないぞと、心に誓った。
いずれは自分にも、好きな人が出来るのだろうかと、奏はぼんやりと考えた。顔立ちがよかったり、他より速く走れる男子をかっこいいと思ったことは何度かあったものの、誰かに恋心を抱いたことは、まだ一度もなかった。
彼女と分かれ、歩道橋の上を歩いていると、道の真ん中に白い髪の青年が立っていることに気がついた。
髪の色とは対照的な黒いロングコートに身を包む彼は、家に向かって歩いている奏を真っ直ぐに見つめている。
何となく気味が悪いと感じ、目を逸らしながら通り過ぎようとした、その時。
「探しましたよ」
その紳士的で落ち着いた声は、明らかに奏に対するものだった。
奏はハッとなり、立ち止まりながら青年の顔を見上げた。
前髪の間から見える眉毛は細く、鼻筋が通っていて、端正な顔立ちだ。
銀縁眼鏡の奥の目が優しく微笑む。
「そんなに警戒なさらないでください。私が怪しい者に見えますか?」
見えます、と奏は心の中で答えた。
背が高く、スタイルもいいし顔立ちも整っている。しかしそれでも、周りの人たちと少し浮いた出で立ちの青年に待ち伏せされては、警戒しない訳にはいかない。
「数日前に、貴女は突然大切な仲間にいなくなられて、大変困惑している。そうでしょう?」
青年は名乗ることなく、唐突に話を始めた。
ヤビイのことだ。
「どうしてそれを……?」
奏の言葉を無視して、青年は表情を崩さずに続けた。
「しかしその仲間の全容は明らかになっておらず、謎に包まれた部分も残っている」
全くもってその通りだった。
でたらめにしてはあまりに的確で、奏は薄気味悪さを感じた。
「なので貴女は、頭の片隅ではこう思っている。――『ひょっとしたら自分の敵なのではないか?』と」
どうして。
青年は、奏が自分で否定していた疑念を容赦なく蒸し返した。
「そ、そんなこと……」
「そんなことは決してあり得ない、とでも言いたいようですね」
彼女の不安を煽るように、青年は言葉を続ける。
「……本当にそう言い切れますか? 何かそれを証明できる手段があるのですか? あれば今ここで見せて頂きた」
「……ですか」
不意に言葉を遮られた青年。
奏は両手の拳を強く握っていた。
「私の何が分かるんですか! 初対面のくせにさっきから偉そうに!」
感情を露わにした少女に青年は一瞬たじろいだが、すぐに平静を取り戻し、咳払いをした。
「失礼、少し言いすぎたようですね。……ならばこう言い換えましょうか。『私はその在処を知っている』と」
奏は目を見開いた。
「何なら、今此処に呼んでしまうことも可能ですが」
心臓が、ドクンと跳ねた。
「本当、ですか」
「ええ。嘘は言いませんとも。……それでどうしますか?」
ようやくヤビイに会える。ずっと行方が分からなかったヤビイが、帰ってくる。
とにかく早くヤビイに会いたいという、焦りも含んだ気持ちが勝っていて、奏はすっかり、目の前の青年を疑うことを忘れていた。
「会わせてください」
「……良いでしょう」
青年の顔に影が差し、ニタリと口角が上がった。
そんな青年に、奏は一瞬嫌な寒気を感じた。
「さあ、おいでなさい。ヤビイ」
青年の呼び声に反応し、空が突然暗くなった。
彼のそばに、黒い雷が落ちる。
バリバリバリ、という轟音と共に、徐々に人影が形作られていく。
禍々しい雰囲気。
奏は、自分の選択を後悔した。
こんな思いをするくらいなら、会わせてほしいと言うんじゃなかったと。
――雷が収まると、影が少しずつ消え、その全貌が明らかになった。
それを見た時、奏は心臓がズキンと痛むのを感じた。心拍数が一気に上がる。
全身の筋肉が強ばり、血の気が引く。
思考が追いつかない。
身動きが取れない。
脳が、目の前の現実を拒もうとしている。
ヤビイと呼ばれた者の冷めた瞳は、彼女との再開を待ち望んでいたものとは程遠かった。
吹奏楽部の顧問である中戸照美先生は、二年二組の副担任でもあり、「照美ちゃん」と呼ばれて親しまれています。音大出身の三十代半ばで独身です。