#18
――私は叡珠に何を望むのだろう?
奏は女の視線にどぎまぎしながら、頭の中から自分の答えを必死に探った。
しかし、最初から存在しないものは探しようがない。
奏は、心の底から叶えたいと思う願いなど持っていなかった。
突如現れた精霊によって魔法少女になり、悪を鎮めると同時に、どんな願いも叶うと言われている、七つの叡珠を揃えるという使命を彼女は与えられた。
使命こそ与えられたものの、何を望むべきかは分からぬままだった。
「まだ、分かりません」
奏は正直にそう答えるしかなかった。
女は無言のままだった。奏は一瞬ドキッとしたが、次に紡ぐ言葉はもう見つかっていた。
「けど、託されたんです。大切な仲間に。なので私は、それを投げ出す訳にはいかないんです」
お前は自分の望みも無いくせに、ここまで戦ってきたのか。そう責められても仕方ないと奏は思った。
しかし女の反応は予想外で、顔を逸らしたかと思うと、肩を震わせながら鼻から息を洩らした。
「仲間、か⋯⋯」
女は目を細めた。
奏にとってその表情は、微笑んでいるようにも、呆れているようにも見えた。
「お前が本当にそれを信じているのなら、それでいい」
目の前の彼女のみならず、ヤビイについても未だに謎が多いが、決して自分を騙すような精霊ではないと、奏は信じていた。
「⋯⋯はい!」
結局彼女は、何者なのだろうか。こうして大切な場所にわざわざ連れてきただけでなく、前回現れた時と打って変わって、敵意を感じさせず、距離感が一気に縮んだようにすら感じる。
敵か味方か、ますます分からない。
――「あら、どうして此処にいるのかしら?」
この色気のある声は。
そう思いながら振り向くと、シャドーラが腕組をして立っていた。
「わざわざこんなところに来るなんて、そんなにアタシと遊びた……っ⁉」
彼女がこちらに一歩踏み出そうとしたとき、突然ぴたりと止まり、まるで得体のしれないものを見たかのように目を見開いた。
その視線はすっかりローブの女にくぎ付けになっているが、奏がつられて彼女を見ても、当の本人は何の反応も示さない。
「……なるほど、随分と派手なコトしたじゃない」
引きつった笑みでシャドーラはそう言った。
それでもローブの女は一言も返さないままだ。
「で、今日はそいつの身柄をわざわざ渡しに来てくれたってわけね。ご苦労様」
そう言われた途端、奏は全身が凍り付くのを感じた。
やはりこの女は、シャドーラたちの仲間で、私を騙したのか。
このままだと殺される。
逃げなきゃ。逃げなきゃ――。
しかしそう思った矢先。
「下がってろ」
女は一歩踏み出し、庇うように、奏を手で制した。
奏は言われるがままに、後ろに引き下がる。
女は正面を睨んだまま、体の正面に手を伸ばすと、地面に黒い魔法陣が浮かびあがった。そこから、彼女の武器である槍が、天に伸びるように現れた。
彼女はそれを掴み、ヒュルヒュル、と空を切りながら槍を回転させた。
そして戦闘に向けて構えの姿勢をとった次の瞬間。
女の姿が、一瞬にして切り替わった。
程よく装飾の施された戦闘服は、今まで羽織っていたローブ同様黒を基調としていて、やはり神秘的な雰囲気がある。
年相応の可愛らしさを現わしている奏のそれとは、対照的だった。
露出が抑えられた細長い脚と、銀色の長い髪が大人らしさを感じさせ、幼さの残る少女の憧れを刺激した。
「……本気なのね」
二人は互いに睨み合い、そして同時に、地面を勢いよく蹴って凄まじい速さで前進した。
「ふっ!」
女が、正面にいる敵の顔面目掛けて槍を真っ直ぐに突き、シャドーラはそれを紙一重で避ける。槍が続けて二、三発、彼女の体を狙って突いては、ギリギリのところで躱される。
女は体を一回転させ、その勢いで今度は槍で薙ぎ払う。するとその瞬間、ガツン、と鈍い音が響いた。
シャドーラの、高く振り上げられたロングブーツの脚が、槍による猛攻を食い止めたのだ。
互いの攻撃は拮抗し、やがてそれぞれの力は強く反発し合って、地面に直線を描くようにして、二人は押し戻された。
そして再び正面からぶつかり合い、槍を、蹴りや拳を、一瞬も止まることなく交える。
激しい攻防の繰り返しで、両者とも一歩も譲らぬ状況であり、その迫力のある戦闘を、奏は離れた場所から呆然と見ているしかなかった。ぶつかり合っては反発し合い、どちらも戦闘を降りる気配は微塵もなかった。
決着はなかなか着かず、二人は肩で息をしながら睨み合った。
「……ほんと、あんたって生意気!」
呼吸を落ち着かせたシャドーラは、不機嫌を露わにしながら、空を切るように右手を後ろに払った。
すると、切り裂かれた跡から黒い影が一瞬現れ、その影が払われると、彼女の武器である長い鞭が顕現した。
シャドーラは目にもとまらぬ速さで、ためらうことなく先端を女に叩きつけた。
女はそれを回避し、地面から痛々しい音が響いた。
あれをもろに喰らったらダメージは相当大きいだろうと、奏は恐ろしくなった。
まるで意思を持った生物のように、鞭は空中を舞い、再び女めがけて叩きつけられる。
それでも、鞭は地面をはたくだけだ。
攻撃こそ喰らっていないものの、鞭の攻撃範囲は槍と比べて広く、女は迂闊に対象に近づけないでいる。
徐々に一方的な闘いになりつつあった。
「あきらめの悪い子!」
その次も、鞭は女の身体に叩きつけられなかった。が。
そのかわりに、鞭は女の左腕に絡みつき、彼女を捕らえていた。
「あんまりちょろちょろ動くから、捕まえちゃったわ」
と、女は聞き分けのないペットを相手にするかのように言った。
「貴様……」
「それにアタシの鞭、どんなものか知ってるわよね?」
女が言い終わると同時に、長い鞭に、紫色の魔力が流れ出した。
毒が行きわたり、銀髪の女は顔を歪める。
毒に苦しむ槍の戦士と、そんな様子を見て悦びに浸る女。するとシャドーラは、こう言い出した。
「そんなに解放して欲しいなら、あんたが今持ってる叡珠を寄越しなさい? 勿論、全部よ」
すると女はきっぱりと答えた。
「断る」
それは一瞬の出来事で、奏は、ここで彼女はどう動くのだろう、と考える隙もなかった。
「貴様が言葉通りにするなど、誰が信じる!」
女がそう言うと、シャドーラはふふっ、と笑いだし、次第にその笑いは夜闇に響くほどになった。
「さっすが、アタシのことよく分かってるじゃない。⋯⋯裏切り者め」
やはりそうだ。
『裏切り者』ということはやはり、彼女はかつてシャドーラたちの仲間だったのだと、奏は複雑な気持ちになった。
ローブの女はマスクの下で顔を歪め、じわじわと浴びせられている毒に必死に耐えていた。
「裏切り者には、やっぱり重い罰を与えなきゃね?」
シャドーラがそう言った瞬間、鞭に捕らわれた槍の戦士は右手から武器を手放し、鈍い音を鳴らした。
ついに耐えられなくなったのかと、奏は目を見開いた。
そして追い打ちをかけるように、シャドーラは、女を捕らえた鞭を持ったまま彼女に急接近した。
彼女の豊満な胸が当たりそうなくらいの距離で、毒に苦しむ相手に満足した顔を近づける。
「消えなさい」
女は左手を後ろに引き、ローブの女の首元に掴みかかった。
もうだめだと思い、耐え切れなくなった奏は、目を瞑りながら下を向いてしまった。
――「『リジェクション』」
微かに聞こえたその声に反応し、奏が次に見た光景。
それは、シャドーラの左手首をつかみ、とどめの攻撃を未然に防ぐ女の姿だった。
そしてその瞬間。
ローブの女に向かって流れていた毒が止まり、彼女の体にため込まれていた毒が一気に放出され、鞭と女の左手を伝い、今度はシャドーラに襲いかかる。
自らの毒を喰らった女は、たまらず呻き声をあげる。
「っ……、なんて事、するのよ⋯⋯!」
「私が苦しむさまを堪能しながら時間をかけてなぶり殺す、最初からそのつもりだったのだろう?」
女は最初から、シャドーラの思考を見抜いていたのだ。
だからこそ、毒をぎりぎりまで受け入れ、それを一気に返すという方法を取った。
鞭を持つ手は震えはじめ、鞭は手のひらからするりと落ちた。そして右手を押さえ、顔をしかめながら膝から地面に崩れ落ちた。
その一方で銀髪の女は、徐々に毒が抜けたおかげで顔の緊張がほぐれ、左手首の鞭をほどいた。
そして地面の槍を拾い上げ、その先端を女の顔の前に突き出すと、こう言った。
「叡珠を出せ。貴様が今持ってる分、全てだ」
彼女は真っすぐにシャドーラを睨み、そう言った。
「持ってないわよ⋯⋯」
彼女は声を振り絞ってそう言った。
「あるとしても、渡さないけどね……」
そんな彼女に対してローブの女は、武器でとどめを刺すでもなく、体の向きを奏の方へと変え、目を伏せながら最後に言い放った。
「己の攻撃で苦しむとは……惨めだな」
「くっ⋯⋯覚えて、なさいよ」
掠れた声でシャドーラが言うと、彼女は地面に伏せるように倒れ込んだ。
「時間をかけてしまったな」
まるで先程までの激しい戦闘が嘘だったかのように、『ローブの女』に戻った彼女は、涼しい顔で言った。
そう言われた奏は、別段迷惑とは感じておらず、寧ろ、ローブの女の戦う姿がかっこいいとすら思っていた。身体能力も高く、何より、自分の体に回ってきた毒を無効化し、更にそれを相手そのまま返すという技にも驚かされた。
見世物ではないと分かっていても、やはりそのような感想を抱かずにはいられなかった。
「さっきの奴の言葉は本当だ。……だが、私が今後あちら側に着くことは無い。永遠にな」
その言葉に、偽りはなかった。それは先程の戦闘を見れば確信が持てる。
するとローブの女は唐突に、黒いマスクを脱いでこう告げた。
「⋯⋯レイだ」
横一文字に結ばれた、薄い唇から突如発せられた名前。奏は一瞬、何の話だろうと思っていたが、女はそれ以上何も言わず、それがこのローブの女の名前なのだと奏は認識した。
マスクが外されても尚、ミステリアスでクールな彼女の顔は美しかった。
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薄暗く、冷たい空気の漂う地下牢。
耳がおかしくなりそうなほど静まり返ったその空間で、こつこつと、靴音だけが鳴り響く。
その音の主は、複数あるうち一つの牢の正面に来ると、鉄格子のロックを解除し、扉を開けた。
軋む音を響かせ、青年はその中へと入った。
狭い牢獄の中では、天井から吊るされた二本の拘束具で、両腕を頭の位置でつなぎ止められ、口元を重厚なマスクで覆われた、一人の人物が幽閉されていた。
暗い青色の髪を腰まで伸ばしたその人物は、正面に立つ青年の姿を確認するなり、早くこの拘束を解け、と言わんばかりに、凶暴さを滲ませた金色の鋭い瞳で睨みつけた。
「なに、慌てる必要はありません」
青年はその視線に動じることなく、穏やかな声で、猛獣を宥めすかすように言った。
獣は何も話さない。ただ呼吸を荒らげ、正面を睨むのみ。
内に秘めたる憎しみの感情は、未だ解き放たれず。
「もうすぐ解放しますからね。そしたら存分に暴れ、あの魔法少女の精神を喰らい尽くしなさい」
青年の白く細い指が、重厚なマスクをそっと撫でた。
本編で言いませんでしたが、奏ちゃんは現時点で13歳です。まだ誕生日は迎えていません。