#13
これまで交わしてきたヤビイとのやり取りや、敵との戦闘の中で、必要な魔法の詠唱や基本的な立ち回りは、殆ど習得出来た筈だ。出来たと信じたい。
ヤビイと出逢い、魔法少女としての顔を持ち始めてからどれくらい経つのだろう?
ふとそんなことを思ったが、思い返してみれば、まだ一ヶ月も経っていない。
私は、一人の魔法少女としてまだまだ未熟すぎる。
画面の向こうで悪と戦う、勇敢で美しい少女達のように、華やかな姿に変化することはできても、強い力で敵をあっさりと打ち負かすことなど到底できない。
第一私は、普通の人間としても未熟じゃないか。自分の感情すらも制御出来ないで。
魔力で編み上げられた大蛇の強靭な尻尾に身を吹っ飛ばされ、校舎の壁に叩きつけられながら、先日傷つけてしまった親友の事を思い出す。
「うっ……!」
身体中が鈍く痛み、軽く呻き声をあげる。
その痛みが呼び水になったかのように、奏はふと閃く。
何故あの時、泉美と話が噛み合わなかったのか。
他人の姿をコピーできる、同胞すらも平然と手にかけたあの冷酷な女。
泉美と待ち合わせをした時も、女は私に成りすまして彼女と合流し、そのまま帰り道を共にしたのではないか?
泉美は奏の姿をした者と共に帰ったけれど、後から来た奏は彼女と合流出来なかった。
これなら辻褄が合う。
壁伝いに地面に滑り落ちた奏は、彼女の身を案じて側に来た精霊に小声で話しかけた。
「ねえヤビイ、この前泉美と合流出来なかった時⋯⋯」
「ああ、俺もあの能力を見た時ひょっとしたらと思った。あいつならやり兼ねないしな」
水色の光が、サッカーゴールの上で脚を組んで座り、前かがみになりながら顎に手を添えてニマニマと愉快そうに笑う女を睨んでいるのは、顔が見えずともわかる。
「おいクズ女! 他人に成りすまして人の友情ぶっ壊すのがそんなに楽しいか!」
「さあ、なんの事やら」
女は涼し気な顔で言った。予想通りの反応だ。
「それにクズだなんて、実態すらも見えない変な物に言われたくないわ」
「くっ⋯⋯」
ヤビイは怒りを爆発させるのを必死に堪えた。
もし先日の出来事の原因がシャドーラでないにしろ、彼女とあの怪物を倒し、必殺技で発生する粉塵で目の前で起きていることを収めなければならない事に変わりはない。
しかし優位に立っているのは明らかに敵側であり、怪物の体力も僅かに削られただけだ。突破口はまるで見えない。
どうすれば。
奏が体制を立てなおし、攻撃魔法を繰り出そうとしたその時、一人の女子生徒が体育館の方からこちらへ走ってくるのが見えた。
自分の危険も顧みずに何をしているのだろうと思いながら目をこらすと、その人物の正体がわかり、思わずハッとした。
「泉美⋯⋯?」
どうして彼女が?
泉美が奏達の方へと向かっているのは間違いない。
そんな様子を見た奏は、自分の胸がぎゅっと苦しくなるのを感じた。
自分のもう一つの側面を知られ、そのまま必殺技の作用が彼女に効かなかったらどうしよう、という焦燥と、先日の出来事での罪悪感が一気に押し寄せる。
「この前の奏の親友じゃないか。ってか何やってんだ!」
周囲を取り巻く邪悪な空気も気にせず、少女はただ走り続ける。どういうつもりなのだろう。
すると彼女はぴたりと足を止め、辺りを見回したかと思うと、突然声を張り上げた。
「奏! 何処にいるの?」
奏は再び、胸が締め付けられた。
普段内気で滅多に声を上げない彼女が、必死に私を呼んでいる。
先日無神経な言葉で傷つけられたにも拘らず、私を心配してくれている。
そう思うと、涙が溢れそうになった。
ごめんね、泉美。
「奏、よけろ!」
ヤビイの声にハッとし、怪物の方を見ると、巨大な尻尾がこちらに迫り、今にも彼女を叩き潰そうとしていた。
詠唱から魔法発動までのタイムラグの事を考え、奏は咄嗟の判断で、両手でその尻尾を食い止めた。
魔法を使用していないので、やはり負荷は決して小さくない。歯を食いしばり、地面を踏ん張る。
「あ、あの⋯⋯」
奏が応戦していると、泉美が申し訳なさそうに話しかけてきた。
一瞬力が緩み、危うく押し負けそうになったが、奥歯をぐっと噛みしめ、なんとか食い止めた。
ドキッとしたが、どうやら彼女は、目の前で未知の生物と戦っている少女の正体には気づいていないようだ。
何故なら、泉美が誰かに話しかける時の声色や様子が、初対面の人に対するそれと同じだからである。
奏は怪物の尻尾を食い止めたまま、険しい表情をどうにか引っ込めながら振り向く。
「女の子が一人居ないんですけど、見かけませんでしたか?」
間違いない。私の事だ。
きっと彼女は体育館で、周囲が強く引き留めるのを振り払ってまでここに来たのだろう。
先日ひどいことを言ってしまったにもかかわらず。
私はここにいるよ。
だけど彼女が今見ているのは、悪と戦う見知らぬ戦士。
私は雨宮奏であって、雨宮奏じゃない。
肺が一杯になるまで、息を大きく吸い込む。
「だりゃああぁぁぁあっ!!」
灰色の雲に覆われた空を貫くように、両手で食い止めていた黒い尻尾を押し返し、そのまま吹っ飛ばした。
その勢いで、片足を軸に体を半回転させ、友の身を案ずる少女の方へ振り向き、すっかり緊張のほぐれた顔で奏は告げる。
「大丈夫。私なら無事です」
不安を露にした泉美の表情が、僅かに綻ぶ。
「だから心配は要りません。ここは危ないから、あなたは急いで戻って」
「⋯⋯はい!」
彼女と約束したんだ。私の無事を。
だからどんな脅威であれ、負けるわけにいはいかない。
今までの、全てにおいて平凡で何も持たない自分と、決別する時だ。
――しかしそう決心し、一歩を踏み出そうとしたのも束の間。
背後から短く悲鳴が聞こえ、奏は振り向く。
「泉美!」
そこには、地面にうつ伏せで倒れる泉美の姿があった。
「そのまま帰すとでも思って?」
頭上から聞こえる、嘲笑の混じる女の声。
体を揺すっても、名前を呼びかけても返事はない。完全に気絶しているようだ。
「ったく、どこまでクズなんだテメェは!」
「あら、場所を弁えない方が悪いのよ、ただの人間如きが」
「⋯⋯ああ、そうだよな。大切な友人の為に危険に身を晒すヤツの気持ちなんか、テメェに分からねえよなあ!」
ヤビイは声を荒らげて言った。
「魔力で造られたあのデカいのよりも、テメェのほうがずっと化け物だ!」
「なっ、言ったわね?」
妖艶な顔が僅かに歪む。
「あったま来た! 魔法少女だけでなく、あんたも一緒にぶっ潰してあげるわ!」
「ああ、やれるもんならやってみろ!」
圧倒的にこちらが不利にも拘らず、自信満々にそう言ったヤビイに奏は少し困惑した。
「奏、俺に戦略が一つあるんだが⋯⋯」
その言葉からは、自信というものがすっかり抜け落ちていた。
「まあ、そこまで危険ではないとは思うが、一か八かだ。⋯⋯それに今は、これしか方法が見つからねえ」
それならば、どんな作戦にせよ、今はそれに賭けるしかない。
誰かの犠牲を伴わないのであれば。
どんな方法がヤビイの口から告げられるか、奏は心の準備を固めた。
「悪いようにはしねえよ⋯⋯」