#12
やはり、私の日常は既に崩壊が始まっていたのかもしれない。
今思えば、あの日ヤビイと出会い、叡珠の光に選ばれた時から、運命の歯車は狂い始めていたのだろう。
もはや此処は、私の知る世界ではない。
奏達の通う私立伊佐嶺中学校は、混沌の地と化していた。校内は騒然となり、中には恐怖のあまりに泣き出す生徒もいた。
阿鼻叫喚。
学校中には、非常事態を告げる放送が繰り返し響いている。
「現在、正体不明の生命体が校庭に出現しています。まだ校舎に残っている生徒は、直ちに体育館へ避難して下さい。繰り返し、お知らせします……」
このありえない状況にしては冷静なアナウンスに思えるが、マイクを通じて、僅かに焦りと動揺が伝わってくる。声の主である先生こそ、直ちに避難すべきなのではないかと奏はハラハラする。
これは決して、誰かの悪ふざけによる校内放送などではない。
窓の外で動き回る巨大な黒い影。
蠢く怪物の衝撃でかすかに揺れる校舎。
マイク越しに繰り返される声。
秩序を失い、すっかり混乱した空気。
正体不明の生命体なんているものか、と笑う者は、誰もいない。
各々が取り乱し、地を這うような咆哮に耳を塞ぎながら、指定された場所へと足早に逃げていく。
どんな奴か見に行こうぜ、と興味本位で他人を誘う者はいたものの、だめだ、と強い語調で返され、腕を引っ張られながら避難した。
「あいつら、ついにやりやがったな!」
舌打ち交じりにそう言ったヤビイの怒りは、奏にも充分伝わった。
敵達の魔の手は、ここまで伸びるようになったのか。
許せない。建物を荒らした上に、何の罪もない大勢の人を恐怖に陥れながら一度に巻き込むなんて。
この騒ぎが起きた時、奏は二階の教室にいた。
教室の外がなんだか妙に騒がしく、それもあまりいい空気ではなさそうだ。何が起きたのだろう。そう思ったとき、自分の席で読書をしていたクラスメイト・福田創真が、うわぁ、と怯えた声を出し、その場にいた全員が、普段大人しい彼がどうしたのだろうと思いながら彼を見、その視線につられて窓に目をやり、屋外で起きていたことに気づいたのだ。
クラスメイト達が慌てて廊下に出て、他に誰もいなくなった頃、ヤビイもカバンから出てきた。
「奏、あれはちゃんと持ってるか?」
「ヤビイの忠告通りにね」
奏は制服のポケットから、ピンク色に光る楕円形の宝玉・叡珠を取り出し、顔の前に掲げた。
「よし、それでこそ魔法少女だ」
今まで学校に行く際は、不要な物は持ち込まないという校則もあり、叡珠は持ち歩いていなかったが、いつ敵が出現しても決しておかしくはないからと、常に持ち歩くよう強く言われていた。
「ここで変身しておけ。 あの窓から飛び降りたら戦闘開始だ。何なら飛び降りながら変身してもいいし、寧ろその方が効率がいい!」
「大丈夫なの、それ?」
もし変身が完了する前に地面についてしまえば、大けがに繋がりかねない。
奏はそれが心配だった。
「俺を信じろ。 もし変身が遅れたとしても、その時は俺が受け止める」
その小さな体で受け止めるも何もあるか、と少し可笑しく感じ、不安もあったが、躊躇う暇はない。
魔法の力でこの身体を浮かせてくれるかもしれないし、それにこのヤビイは、本来の姿ではないのだ。
奏は叡珠を胸の前にかざし、魔力を体内に蓄えながら窓枠に手と足をかけた。
そして制服のリボンにそれが固定されると、もう片方の手も窓枠にかけ、身を押し出すように跳躍した。
その姿はまるで、木の枝から空へ飛び立つ鳥のようだった。
空中にいる間にピンク色に光る魔力が風となって奏を包み込み、徐々に戦士としての姿へと変えてゆく。
やがて光が弾け飛び、空中数メートルの所で装備が完了すると、白いフリルのスカートをふわりと浮かせ、そっと地面に降り立った。
――「あら、意外と早かったじゃない」
何処からか、女の声が聞こえた。
「誰だ! 姿を表わせ!」
「ふふ、こっちこっち」
声のした方を振り向くと、大蛇の姿をした黒い魔物がとぐろを巻いてそびえ立ち、Y字の細長く不気味な舌を、突き出しては引っ込めている。
声の主と思しき影が、その頭上に立っていた。
そして驚くべき事に、その女の容姿は、頭のてっぺんからつま先まで、変身前の奏そのものだった。
「私……?」
奏に擬態した女は蛇の巨大な頭から飛び降り、本物の奏が浮かべる事のないような、意地の悪い笑みを浮かべてこちらへひたひたと歩み寄る。
「ったく趣味わりぃな! 人の姿パクってニタニタ笑いやがって!」
「へえ。あの子といいあんたといい、本当に沸点が低いのね。でも顔が見られないのが残念」
「誰だよ、あの子って」
ヤビイが呆れたように言うと、紫色の風が女の体を包み込み、別の姿へと変えた。
今度は、黒いパーカーの美形の少年――ノイジアだった。
「この子に関しては、自業自得とでも言うべきかしら」
女の声の少年が、独り言のように言う。
「何があった」
すると少年は、口角をあげてこう言った。
「……黙らせちゃったわ。この手で無理矢理ね」
黒い指ぬきグローブの手が開かれる。
「なに、っ?」
奏とヤビイの間に衝撃が走る。冷酷に笑う彼女の言葉が暗に意味するものはわかっていた。
「軽々しく言いやがって……。テメェら、仲間じゃなかったのかよ!」
「『仲間』、ねえ。悪いけど、あんた達人間と違ってそういう意識って殆ど無いのよねぇ。 アタシを怒らせたから黙らせた、ただそれだけよ」
女は、黒い指ぬきグローブの右手の平を眺めながら言った。
そして再び紫色の風が起き、今度は黒いタイトドレスに身を包んだ、色気のある女の姿に変わった。
「ハッ、それが真の姿ってわけか、クズ女!」
「あら失礼ね。そこまで罵られる筋合いはなくってよ?」
長い睫毛の瞳で他人を見下すように、シャドーラは言った。
「ふざけんな!」
ヤビイはそう怒鳴りながら、先日の戦闘でノイジアが言っていたことを思い出した。
変わり者だとよく言われ、それを自分でも十分自覚している、と。
敵でありながらも、何故かその発言がいつまでも記憶に残っていた。
そしてヤビイは、あの少年とは違い、今目の前にいる女に強い憎悪を抱いていることに気づいた。
女の言動が癪に障るのもそうだが、それとは別に、まるで前世からただならぬ因縁があったかのように、奴とは決して相容れない、と本能が告げているようだった。
――「奏、絶対に奴らを倒せ」
いつも以上に怒りの籠った声に、奏は一瞬戸惑った。
もし表情が見えていたら、ギラリと光らせた瞳で敵のほうを睨み、険しい顔をしていたに違いない。
「うん、すぐに止めてみせる!」
それでも彼女は、力強く頷いた。
白いステッキを構え、魔法少女としての奏は、変身を解いた妖艶な女と巨大な怪物の方へと走り抜けた。
この状況を打破できるのは私しかいないという正義感と、この戦いは今まで以上に苦戦を強いられそうだという、決して外れてはいない予感を胸に抱きながら。
こんにちは、柘榴矢薫です。
また最終更新から日が空いてしまいました…!更新する時間があまり確保できず、非常に申し訳ない…。
作者から言わせていただくと、ここから物語が本格的に面白くなると思います。
なのでこれからも引き続き、この作品を楽しんでいただければ幸いです!