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【亖】

思わず、声が漏れてしまった。

あまりにも、綺麗な梅の花。

その根元で目をつむっていた彼女。

私は息を飲んだ。

その瞳が私を捉えて、ロウに移る。


恋を知らない春が、終わった。




***




華の後宮と名高い宮がある紫禁城に、また麗人揃いの皇后候補が集められた。


彼は重いため息をついた。


「我は、ひどく失望しておる。何故か、分かるか?」


その言葉に、后候補も、その親も口を引き結び、頭を垂れた。


「そうではない。面を上げよ。我の許可なく頭を下げるな鬱陶しい」


彼は、心底不快だと顔に張り付けている。そんな彼を見て、皆の表情が固まる。

彼の機嫌を損ねれば、その地位も権力も失ってしまうとでも思っているんだろう。


「我が問うておる。早う答えぬか」

「…恐れ多くも、私の発言を許して頂きたく思います」

「許可する」

「は。主上が失望されておりますのは、紫族の皆さまが主上の意向を汲み取られなかったことに対してでございます」


その侍従の言葉に、王の前にいる后候補と親、つまり紫族の眉が吊り上がった。たかが侍従の分際で、と思っていることが手に取るようにわかる。


「…なぜ、そのように思う?」

「主上は、見目麗しい女人を用意しろと言っておりませぬ。主上は、我に一番相応しい后を連れて来いと仰せられました。紫族の皆さまは何を勘違いなさったのか、ご自分の娘やら何やらわかりませぬが、一番美しいだけの女人を連れられている。主上は、外見に釣り合うだけの妃を求められおりません。故に失望なされたのかと」

「というわけだ。能のない美しいだけの女人は要らぬ。後宮に上がる前に婚約していた者があるなら、その結婚を認める。さぁ、連れて帰れ」


話はこれきりだと言わんばかりに、彼と侍従は去っていく。取り残された紫族たちは、呆然とその姿を見送った。



「全く、どいつもこいつも使えん。我の見目にあう女人ばかりを集めてどうする気だ」


さりげなく自慢が入ったことを無視して、先を歩く彼に言葉をかける。


「仕方がありません。きっと、主上がご自分に見合う后をお探しだとでも思ったのでしょう。その結果があれですから、彼らの家から后候補を出すのはもう無理でしょうね。もう失敗したくないでしょうし」

「我は麗人だから良いという阿呆ではない。やはり、紫族は我を馬鹿にしているのか?」

「いいえ、ただ単に馬鹿なんでしょう。あのような馬鹿は、美しければ、美しいだけいいと考えるんですよ」


自室に入ると、疲れた彼は几に突っ伏した。


「はぁ…、私もそんな馬鹿になりたい…」


開いたままの窓に目をやり、ひょろろ、と鳴きながら青昊を飛ぶ鳥を見る。


「なんで…私には翼がないのだろう…」


また始まった、と呆れながらも、彼と同じようなことを言う人を思い出す。


「…なんであなたは、この国の王になんか生まれたんですかね」

「知らん。私が知りたい」


すっかり不貞腐れてしまった彼に、仕方がないなと提案をしてみる。きっといい気分転換になるはずだと告げて。



***



彼らが、その湯屋に来たと知られれば、大騒ぎになる。なんせ、片方は采劭国の王なのだ。彼の血筋は至極真っ当で、それはもう根っからの王家の息子であった。紫族とは、そんな王家から派生した分家のようなものである。西洋いうところの貴族の制度に近い。そんな(たっと)い彼が、市井の生活に興味があるということは王族の誰もが知るところである。仙州、紫禁の宮城から、視察という名目で出かけることは屡々(しばしば)あった。

今日もそれで、烘州は(こん)と汪州は淸汩(しょういつ)の境にある湯屋に来た。王宮には、湯座りという沐浴する場があるが、湯屋とは違う。語らう仲間もいなければ、藹々(あいあい)とした雰囲気もないつまらないものだ。

彼は、民に顔を見せるのを嫌う。王だと知られれば、もう気楽には語ろい合ってくれなくなるからだ。誰かは彼を素晴らしい王だと言い、誰かは彼を下賤な王だと罵る。だが、そのどちらの評価も彼には関係ない。


彼はこの国の王でありながら、この世で最も王であることを(いと)う、類い稀な王であったからだ。


彼は再びこの湯屋に来ることを楽しみにしていた。仙力の含まれるとされる湯。薬湯の湯は、枒州の薬草を使っているのだという。王家の御用達でも恥じぬほどの湯屋。王家や紫族はくだらない矜持の為に、仙州の紫禁から出ることは滅多にない。彼はこの湯屋を大変気に入っている。侍従の彼はそれを知っているから、この湯屋の開くという噂を彼の耳に入れたのだ。


「私は、またここに…。ありがとう、ロウ」

「いえ、気分の転換になればと思いまして。あなたは、この湯屋が気に入っていますから」


ロウと呼ばれた彼は、王の侍従。彼の乳母兄弟である。しなやかに筋肉のついた肢体に、烏の濡れ羽色の綺麗な髪。滅多に綻ぶことのない口元。名を、蘇 朗(そ ろう)という。王の護衛も兼ねながら、仕事をも手伝う右腕ぶりを遺憾なく発揮している。


湯屋への門をくぐると、一気に活気が溢れる。なんて幸せなのか、彼の頬は紅潮し緩んでいる。ロウは、横目でちらりと見た後、彼らは前のように兄弟へと戻る。


「ロウ、大浴場に行こう!」

「あぁ、そうしよう」


木札を受け取り、大浴場へと向かう。見知らぬおじさんにおじいさん、若い男性も、彼らに気軽に話しかける。行く途中の廊下で話し込んでいると、二人は一人の女に目を奪われた。異様な雰囲気を纏った女。それは、明らかに幽鬼の類いが憑いている。あの虚ろで、憎しみの籠った目は確かにそうだ。幽鬼は、普通このように明るく、楽しげである()の場を厭うのだ。二人は、顔を顰めて距離を取った。一体、誰への恨みを募らせているのか。


二人は目線の先を追う。そこには、大浴場への入口があるだけ。あの中の誰かを見ているとしても、探すのは難しいだろう。


「大浴場の中にいるのだろうか。ロウ、どう思う」

「どうだろうな。いたとしても、探すのは時間が掛かるな」

「…入って探してみよう」

「そうだな」


彼らは大浴場の脱衣所の中に足を踏み入れた。むわりとした熱気に、熱心に語り合う男たち、ところどころで声が響いて賑やかだ。二人は恥じらいもなく着衣を脱ぐと、湯船のある戸を開けた。


「ロウ、何か感じるか?」

「いや、あの視線を辿ろうとはしているが…」


彼は瞳を鋭く細めて、あの女の視線を()()()()。あれだけの強い恨みの視線を辿るのはそう難しくはないが、時間が掛かる。あの視線に自分を重ねて同じ目線を作らなければならないからだ。


「…よし、辿るぞ」

「ロウ、何が見える?」


眉間にくっとしわが寄る。この視線はずっと直線的だ。すいすいと、辿っていく。

ついには壁にぶつかる。一体何を見ているんだ。


「壁に当たった。ここの中の誰かではなさそうだ」

「壁の奥か?それかもっと遠くか?」

「いや、遠くではない。恐らく、壁の向こう側に何かあるんだろう」


二人は一旦捜索は中断して本来の目的通り、湯を楽しむことにした。



***



彼らは、湯屋の番頭を探す。大浴場の壁の向こうに何があるのかを調べるためだ。番台には、しわの深いおじいさんが座っている。彼に話を聞くと、番頭は二階にいるとのことだ。

(きざはし)を上がって、二階に行くとそこは老若男女が談話を楽しむ場になっている。

彼らは番頭である男に声をかける。


「あぁ、ようこそいらっしゃいました」

「訪ねたいことがあるのだが、よろしいか」

「ええ、なんなりと」

「大浴場の向こうには何がある?」


そう聞くと、ふむ、と少しばかり考え込み、あぁと手を打った。


「湯の温度を管理する者が働いております。いつも働いてくれている彼がいますから、お客様が立ち入ることは禁じております」

「入ることが出来ないのか」

「申し訳ありません。彼にここで働いてほしいと頼んだ側として、約束は破るわけにはいかないのです」

「…そうか、分かった。では終業の頃はどうだろうか。彼に会うのではなくて、仕事場を拝見したいんだ」

「そういうことでしたら、構いませんよ。終業後なら、彼らもおりませんし」

「ありがとう。助かる」


二人は番頭に礼を述べ、階を下りる。終業まで時間があるし、どうしたものだろうか。二人は、大広間に行き、その先の廊下にいる例の女を観察することにした。あくまで気付かれないように、周りと話をしながら。やはり、女の目線は大浴場に向かっている。きっと、誰も気付いていない。彼女は、友人であろう女たちと談笑しているのだ。ただ、その目は、ずっと笑っていない。

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