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意趣返しと夜の月

作者: しまリリス


使った食器を重ねて洗い場へと運んでいく。


運んだ食器はシンクの中に入れてお湯に浸けておく。


しばらく置いておくと油が浮いて汚れが拭き取りやすくなるからだ。


手を布巾で拭い、次いで机の水気を拭き取った。


一連の流れを終えると、僕は彼女の休む縁側へと足を進めた。




縁側へ出ると彼女は手を付き、片足は縁から放り出しながら、空をぼんやりと眺めている。


外からはさわさわと擦れる木の葉、蟋蟀の鳴き声のみが静寂の中で音色を奏でていた。


「ご苦労様、夕飯は美味かったぞ。」


「お粗末様です。」


僕は彼女の横に、ほんの二尺分くらいの距離を置き腰を下ろした。


彼女は目のみをこちらに向けて労いをくれた。


「きみは料理ができて気立てが良い、いいお嫁さんなれるとおもうよ。」


「はは、主夫にはなれそうです。」


触れる風は穏やかで、静かに通り過ぎて行くのが分かる。


目を瞑ると世界が視覚で視認するよりも広く感じる。


吸い込む空気が澄んでいて、胸の中が清浄されていくような、そんな気持ちになる。


何となく、彼女へ意識を向けた。


「なあ。」


しかし、不意に声を掛けられて、ときりとした。


「はい。」


力を入れず何の気なしに返事をする。


瞑っていた瞼を薄っすらと開く。


「今日はまんまるだねぇ。」


下に向けていた視線をゆっくりと彼女が見ているであろうものへ向ける。


「えぇ、今夜は月が綺麗ですね。」


夜暗の中で空に一つの、淡いが欄と輝く月が浮かんでいる。それは、月の周りを包む雲とも相まってそこはかとなさを持っていた。


「しんでもいいわ。」


いきなりそう、彼女は言った。


「え?」


思わずどう言う意味か問いたくなった。しかし彼女はクスクスと口元に手をあてて笑った。


「"月が綺麗ですね"はある小説家が日訳した言葉だよ。知らないかい。」


彼女は一間の呼吸を空けると、体勢を変える。

膝に乗せた腕の上に頭を預けてこちらを見つめる。


「I Love you(私はあなたを愛しています)の意味さ。」


顔が熱くなる気がした。自分が不意にもそんな告白じみたことをしていたというのを指摘され、僕は溝打ち部分をなぞるような、そんな羞恥心を覚えた。


「ふーん。私をそんな風に思っていたのかぁ。ふふふ、嬉しいなぁ。私も好いとうよー。」


そして、彼女はそんな僕の恥じらう姿を見つめてにやにやと微笑んだ。


「好いとうよって、なんですかね。一体何処の言葉でしょうか。」


僕は彼女へ反撃には到底至らない口撃をする。案の定、彼女は意図に介さず、冗談だと言われるまで、僕はからかわれたのだった。


「うりうり。」


「止めてください。」


「釣れない事を言うな。」


「恥ずかしいです。」


「顔が赤いからなぁ。」


「.........。」





僕をひとしきりからかった彼女は笑いながら風呂へと入って行った。


「恥ずかしいじゃないですか。」


僕は何かやり返さないものか、そう考えて、一つ案を思い付いた。


「受けたものは返します。それは、僕にとって大切な規律ですから。」


そうして、彼女の事を待つのであった。





「ふぃ、いい湯だったぁ。」


寝間着に髪をタオルで巻いた姿で彼女は脱衣所から出てきた。


「お茶、置いてありますよ。」


「おお、ありがとう。」


彼女は鏡台の前に座り、置いてあるグラスを煽る。

そして、ドライヤーで髪を乾かすために引き出しを開ける。


「乾かしてあげますよ。」


「お、そうかい?なら頼もう。」


彼女は髪に巻いてタオルを外し、肩に掛けた。

ドライヤーの送風音が静かな部屋に響く。

温風が髪の水気を蒸発させて、濡れ髪がさらさらとしていくのを見た。


「はぁ、楽だなぁ。」


「そう言ってもらえてなによりです。」


僕は彼女へにこりと笑う。

このままの状態では考えていた事を実行できない。

なので、髪が乾ききるまでドライヤーをかけ続けた。





「綺麗な髪です。」


「ん。なんだい、いきなり。」


僕は話し出した。


「僕は、貴女に初めて会った時から、美しいと思っていましたよ。」


彼女は自分の髪で指を絡めながら、微笑む。


「そうか、私の髪は綺麗か。」


「貴女自身もですよ。」


僕はしゃがみ込んで彼女よりも低い位置から目線を合わせてそう言った。

一瞬だけ呼吸が乱れたような気配が彼女からした。


「ふふ、貴女が恥ずかしいと思ったように、僕も恥ずかしかったんですからね。」


彼女はばつが悪そうに目線を逸らすとポツリと呟く。


「きみは卑怯だな。」


「いえいえ、貴女様程ではありませんよ。」


これらは僕の本心からの言葉だ。

これで僕はしっかりと辱めも返せた。


「なら…。」


しかし彼女はこれで終わらせるつもりは無かった。





熱をほのりと感じる。


僕は今、彼女の横で添い寝をしていた。


「これでおあいこだよ。」


彼女はいやにしたり顔で実に楽しそうだ。


「はいはい、貴女が寝るまでですからね。」


僕が簡単にいなしてしまうと、彼女は唇を尖らせて不貞腐れた様な顔になってしまう。

だが、表情を普段に戻した。お話しが始まる。


「君は好きな人、いないのかい?」


「なんでしょうか、いきなり。」


「いいから、聴かせておくれよ。」


彼女はまた興味深そうに僕の顔を覗き込む。

そして、目が合うので、何となく恥ずかしい。


「そうですね、いない訳ではありません。」


「教えておくれよ。」


人の恋路が楽しいのか、彼女の顔にはによによと笑みが浮かんでいる。


「その人は、少しばかり人をからかうのが好きで、とても自分に正直な人で、素直にお礼が言えて、そんな姿が愛おしい程に愛らしくて、いつしか僕は魅了されていました。」


「......。」


体温が上がった気がした。

感じる熱が上がったようだ。


「どうしたんですか?こちらを向いてください。」


彼女はそっぽを向いてしまった。





暫く後


月明かりが照らす中


彼女の呼吸は平穏な動きになった。


風も穏やかなままで


僕が添い寝をする理由もなくなり、その場から立ち去ろうとする。


虫は鳴き疲れたのか、静かで


すっと起き上がり、彼女の布団をかけ直す。


心なしか部屋も広く感じて


音を立てないように歩く。


澄んだ空気が美味しくて


部屋の襖を開ける。


何となく、彼女に意識を向ける


「今日も月が綺麗ですね。」


静かな部屋に襖の閉じる音が響いた。


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