こんにちは、花ちゃん。
ある朝目覚めたら、頭にお花さんが!
養分吸い取られる! 生気吸い取られる! 俺、無事に死亡!!
最後のあたりは打ち切りみたいになってるんで、きっとたぶんおそらくいつか直す。
朝、目が覚めたら、頭に花が咲いていた。
しょぼつく目を擦りながら鏡を見ると、使い古された雑巾みたいな寝起きの俺の頭の上に、ピンク色の花が元気よく咲き誇っていた。
「……つーわけだ」
「つーわけだ、と言われてもな」
平凡な県立高校の平和な昼休み。暖かい日が差す中庭で、俺は事の次第を懇切丁寧に話してやった。だというのに、原田は広げた分厚い本から顔を上げようともしない。
「んだよ。人が真剣に悩んでんだから少しは真面目に聞けよ」
「そのアホ丸出しの姿で真剣に悩む池沢くんと真面目に接しろと? そんな高度な技、特別な訓練を受けた人間でも習得できるかどうか……」
「とりあえず原田、お前が俺をバカにしてんのは分かったわ」
はぁあ、と幸せが全速力で振り返ることもなく逃げ出していきそうな溜息をつきつつ、ベンチの背にもたれた。
現在、高校生が最も快活になる昼時。弁当を下げて歩いて行く女子たちが、俺の頭上を陣取る花を見てひそひそと耳打ちをしあっている。ちくしょう、俺をそんな目で見るな。今朝家を出てからずっとこうだ。誰もが俺を二度見三度見する。大抵の人間は頭に疑問符を浮かべつつも通り過ぎていく。しかしなかにはスマホで写メるような無礼者もいた。どうせSNSに上げるつもりなんだろう。こんにゃろう、俺をテメーの自己顕示欲の生贄にすんじゃねえよ! そんなに注目されてぇならこのご機嫌なお花ちゃん譲ってやんよ! まあ、男子高校生が頭に花生やしてりゃ、誰でも見ちまうだろうけどなあ。あからさまに奇天烈なものを見る目で遠くから傍観すんな! 言いたいことがあるならはっきり言えってんだ。いや、あんまりはっきり言われたら傷つくかもだけど。オブラートに包んでほしい気持ちはちょびっと、いや、かなりあるけれども。
「で、なんでそうなったんだ」
俺が世の中の全てが敵だ! と絶望していると、原田が本を閉じてやっとこさ俺を見た。コンクリートブロックのように分厚い本の表紙には、なんと『徹底解明植物図鑑』と綴られていた。一応調べてはくれてんのな。
「なんでって……そんなの俺が聞きてぇよ」
溜息のついでのように細い声で呟いた。あんまりにも突飛な出来事に朝っぱらから鏡の前に立ち尽くして考えたが、思い当たる事なんてもちろんなかった。昨日はいつもと変わらない平平凡凡な一日だったし、体にも特に異常はない。花が生える予兆なんざ何もなかったんだ。
「つまり身に覚えがないと。ふーむ、興味深い」
どこぞの博士のような言葉を呟き、原田は俺の頭にそびえる花をじろじろと眺めた。なんだか、実験動物の気持ちが少しわかる気がする。かなり不快だ。
原田の研究者の視線をそらすため、俺は論点を変えた。
「なんで生えたかなんてどうでもいいんだよ。とにかく、今はこいつをどうにかして消し去りてえ」
そもそもこれが一番解決すべき問題なんだ。お花さんが顔出した理由なんて抜いた後にゆっくり考えりゃいいんだから。
すると、原田は眉を寄せてすうっと目を細めた。
「こんなに朗らかに咲いているというのにその生命を絶とうというのか。無情なやつめ。お花さんの養分となって朽ち果てるがいい」
「普通にヒドくね? つーかお前、今の俺と立場入れ替わっても同じこと言えんの?」
「ひっこぬくとかしてみたのか」
「話そらしてんじゃねーよ」
真面目に取り合わない原田に本日何度目か分からない溜息を吐き出した。この無慈悲無関心無表情の鉄仮面に相談した俺が馬鹿だったのかもしれない。家にいても何の解決にもならないと思って恥を忍んで登校したが、学校に来ても大して変わらない。というか、むしろ白い目で見られるわ朽ち果てろとか言われるわで俺のガラスハートは今にも砕け散りそうだ。
俺が透き通った空を見上げながら感傷に浸っている間にも、鉄仮面原田は風に揺れるお花さんを不躾に見つめている。
「手っ取り早く取り去るにはひっこぬくのが一番だな」
朗らかに咲いているお花さんをひっこぬく奴は朽ちたほうがいいんじゃなかったか。
「そりゃ一番初めに試したっての。けどやめた」
「やめた? なぜ?」
原田の言葉に、俺はうっ、と言葉が詰まった。今朝の出来事を思い出して、背筋が震えた。
「こ、怖くなった、から……」
「怖い? どういうことだ」
原田がいかにも興味が湧いたというように、珍しく黒い瞳を輝かせた。いつもは洞穴の暗闇のように光の宿らない目をしているくせに。人の不幸は蜜の味ってやつか。ひでぇ奴だ。
とはいっても他に話せる奴もいないし、黙っとくのも気持ち悪ぃ。俺は意を決して口を開いた。
「……始めは、何かの間違いで髪に絡まってんのかと思ったんだよ。んで、ひっぱりゃ取れんだろって、ひっぱってみたらよ……」
「みたら?」
「……脳味噌が、ひっぱられた、気がした」
自分で口にして、血の気が引くのが分かった。そう、何気なく、いや、少しの警戒心を持ちつつひっぱったそれは、なんということでしょう、俺の大事な大事な脳味噌に根をおろしていたのだ。
流石の鉄仮面原田も、この事実には驚いたらしい。目を見開いて俺を凝視した。何か、いつもは冷静な奴にこういう反応されると、本当に深刻なことなんだと突き付けられている気がする。実際、コレってかなりマズいよな……。
「つまりそれは……」
ドラマに出てくる探偵のように顎に手を添え、原田は俺を見据えた。
「そのお花さんは、池沢、お前の脳味噌を栄養分としているということか」
「みなまでいうなぁぁあっ!」
思わず腹の底から叫んでしまう。ただでさえ目立つ状態なのに、余計注目が集まってしまう。けど仕方ねーじゃん。絶叫したくなるのも当然だろ。だって、俺の愛すべき一生涯のパートナー脳味噌ちゃんが、よっ、よふっ、養分にされているだなんて!
「え、なに? 養分吸われたらどうなるんだ? 死ぬの、俺? 脳漿吸われ切って、カラッカラになって、そのままオダブツってか!」
「まるで冬虫夏草だな……」
原田が悲しそうな顔をして呟いた。
「と、トーチューカソー? なんだ、それ」
聞き覚えの無い単語に俺が聞き返すと、原田は膝の上にのせていた『徹底解明植物図鑑』を開いた。古い紙の匂いがする。何枚かページをめくると、俺の顔の前にずいっと突き付けた。
「冬虫夏草とは、簡単に言うと虫に寄生する茸のことだ。主に蛾の仲間の幼虫に寄生するらしい。冬虫夏草菌という菌が地中にいる幼虫に取りついて栄養分を吸収してしまうとある」
原田の指が一枚の写真を指す。
「幼虫は身の危険を感じて必死に地上へ出ようとするが、辿り着く前に菌によって殺される。菌は幼虫の体内で成長し、そのまま冬を越すと、夏に茸となって地上に頭を出す……これが冬虫夏草だ」
原田が指し示す写真には、頭に変な草みたいなのが生えた、焦げ茶色のカピカピの、蚕のような幼虫の死体が写っていた。
「なにお前、俺がこの虫けらミイラだっていいたいの?」
「症状が似ていると思っただけだ」
原田はパタンと本を閉じた。俺を虫のミイラと重ねるとは、失礼な奴だ。
……いやいやいや、そうじゃなくて!
「ちょい待て待て! 寄生!? 栄養吸収!? つーことは俺、そいつと同じことになるってことか!?」
お花さんがキレーに咲くためにミイラになんのか? うわ、何だその悪夢!
「可哀想に……」
頭を抱える俺を見て、原田が重苦しく呟いた。あの冷血原田が!
おいおいおい!
「ばっ、ばかやろう。お前がそういう反応するとマジで死ぬみてーだろうが。怖いからやめろよ!」
「これを可哀想と言わずに何と言えばいい……」
目頭を押さえる原田。心なしか、細い肩が震えている。
「はっ、はら……」
「そんな脳味噌を栄養分にしていては、ろくに育たずにすぐ枯れてしまうだろう……。ほぼ不毛地帯のようなクソ脳味噌に芽生えた奇跡の生命だというのに……なんて儚い命っ!!」
「テメーは俺を傷つける天才かよ」
コイツが本気で俺を心配するはずがなかった。愚か者、俺。
原田があまりにも真面目に聞かないもんだから、少し気が抜けた。しかし冬虫夏草説は拭いきれねーわけで。俺の不安は特盛りメガ盛りヒマラヤ盛りなわけで。
「あぁ~、まじでこのまま死んじまったらどうしよう……」
頭にお花生やして死んだりしたら、はっきり言って笑いモンだよな。どんだけオメデタイんだよ、と指差されて笑われて終わり。家族すら噴き出すだろ、そんなの。俺だって、今年九十歳になるひいじいちゃんが頭に花生やして死んだりしたら、真面目に泣くことはできないと思う。
「心配するな。もしお前が養分となって死んだとしても、火葬する前にお花さんは引き抜いて、お前の墓前に植えておいてやる」
「おうおう、ありがとな。嫌がらせの名人サマ」
ケッ、と唾を吐く真似をしてやった。こいつなら冗談じゃなくマジでやりそうだな。
「お前少しはダチの心配してもいいんじゃねーの」
俺は唇を尖がらせて呟いた。期待はしてねーが、雀ちゃんの涙一粒くらいでもいいからよう、心配する素振りでいいからよー。
すると、冷血原田は深―い溜息を吐いた。毒ガスでもたなびきそうな感じだ。
「もういいだろ。もう十分悩んだだろう。迷える子羊の気分に浸れてよかったな」
まさに吐き捨てるように原田は言った。
「はぁ!? なぁっ、何だよ、迷える子羊気分って!」
俺は思わず飛び上がった。こいつ、信じらんねぇ。
「からかうのも大概にしろよ! 俺は本気で悩んでんだっつーのっ」
「本気で悩んでいる奴の頭にお花が生えるわけないだろ」
「お前俺の話聞いてた!? このお花さんのせいで悩んでんの! 寧ろオメーの頭がお花畑だろ! いや、キノコだな。脳味噌にキノコ群がってんだろ! このキノコの苗床野郎! キノコの温床! キノコの王様! キノコ大魔神!」
途中から自分でも何を言っているのか分からなくなりつつも、貶しまくった。だってあんまりだ。俺が死ぬかもしれないって言ってんのに、迷える子羊気分だと? こちとらこん棒に前足後足拘束されて、メラメラ燃え盛る炎の上に晒されてる哀れなバンビだっての! 万事休す、絶体絶命、崖っぷち高校生なんだよ!
「チクショオォーッ! 何で俺がお花さんの肥料にならなけりゃいけないんだよ! んなもん鶏糞で十分だろが! あっ、俺の脳味噌は鶏糞と同レベルってか? そりゃあいいやッ! だははははッ!」
「落ち着け。あまり騒ぐとお花さんが散ってしまうぞ」
荒ぶる俺を原田が言葉で制した。こいつは落ち着きすぎてて腹立つ。
「うっせえ! 寧ろ散ってほしいっての!」
苛立ちが限界突破して、俺はさしずめロックなバンドのミュージシャンのように頭を振った。頭上のお花ちゃんが上下左右に振り乱れるのが分かる。そのまま風呂の栓のようにスポンと抜けて俺の目の届かないところへ飛んでってほしい。
「そうか。では花占いでもするか」
すると、冷たい眼で俺を見ていた原田が肩をむんずと掴んできた。そして、可憐なお花さんの花びらを一枚掴み、まるでトイレットペーパーを千切るように、迷いなくむしりとった。
ブチィッ、と無慈悲な音が聞こえた。
「ぎょいやああああああ!!」
俺の断末魔が平和な中庭に響いた。少し離れたところで弁当食いながらお喋りしてた女子たちが、ものすごい勢いで振り向いたのが目の端で見えた。
「どうした! 痛いのか!?」
原田がピンクの花びらを握ったまま、興奮気味に声を上げる。
また黒い瞳がきらりと輝いている。鼻息も心なしか荒い。
「嬉しそうにすんな! お前コレ、毎週日曜の夕方に「バッカモーン」っつってる雷親父の頭から、なけなしの一本を引き抜くのに値する卑劣な所業だぞ!!」
「そう喚くな。ところで痛かったのか」
「あ? い、いや。痛くはなかったけど、なんかとてつもない喪失感が……」
「そうか。もう心までお花さんに侵食されつつあるのか……いや、むしろお花さんが本体なんじゃないのか。お前はあれだ、花の根っことかに絡まってる、虫の死骸のようなものなのでは」
「もうそれ養分でもなんでもなくなってんだろうが! エビフライのしっぽ、お子様ランチのパセリよりも存在価値がねーよ!」
喚く俺をみて、原田が「ぐふっ」と噴き出した。
「笑いどころじゃねぇぇんだよぉぉっ!?」
「んぐぅっ……お、落ち着け、池沢。それ以上必死になるな。俺が過呼吸にっ、なるんぐふふぅ」
「笑いすぎてってかぁ!? そのまま酸欠になって神様仏様のもとへGo to heavenすれば!? なんなら手伝うけど!」
俺は原田に掴みかかった。原田は頬をハリセンボンみたいに膨らませて、今までに見た事のないブス面をしている。
「今日と言う今日は許さねえぞ、クソ原田ァ! 俺をないがしろにしたことを後悔させてやるわァッ」
「だから落ち着け。ちょっとした話題作りじゃないか。そんなに怒るんじゃあない」
「はあっ!? 話題づくり? なんのこ……」
はっ、と息をのんで、俺は原田の襟首から手を離した。
まさか。
自由になった原田は、ニヤリと口の端を吊り上げてニヒルな笑みを浮かべた。
「十分愉しませてもらった。やっぱりお前は飽きないな」
原田が言ったのと同時に、俺の頭のお花さんがふわりと風に揺れた。
肩を揺すって笑っているように。
「――はらだあぁぁああああああああっ!!」
おしまい
ただ男子高校生の頭に花生やしたかっただけ。