第五章 仲間(4)
四
口を押えるのが間に合ってよかった。杏児はピーナッツをマサヨめがけて吹き飛ばすところだった。咳き込む杏児を目の当たりに、マサヨが慌てる。
「杏児さん、大丈夫ですか!」
杏児は頷きながらハイボールを飲み干して、ピーナッツの粉末を胃に流し込んだ。
「ごほっ」
大事ないと認めて万三郎が苦笑する。
「一つ言っては間を取って、もったいぶるからだよ」
杏児が落ち着くのを待って、ユキが真剣なまなざしで訊いてきた。
「で、スリー・ポインツの三つ目は?」
杏児はユキを見て、それから万三郎に向き直ってゆっくりと言いきった。
「三つ目は、君たちは本当に存在しているのか」
「はあー?」
万三郎がおかしな声を上げる。杏児はあらためて皆を見回した。
「万三郎、ユキ、マスター、マサヨさん。皆さんは本当に存在しているの? ひょっとして僕は今、夢を見ていて、君たちは僕の夢の中の登場人物なんじゃないのかと、結論としてそう思うわけだよ」
マスターがニコニコと笑いながら言う。
「杏児くんは、ピーナッツにむせる、リアルな夢を見られるんだ」
万三郎とマサヨは笑ったが、ユキは笑わなかった。杏児は食い下がる。
「逆説的に言うと、夢でもない限り、あんなジェットコースターみたいな列車は空を飛ばないし、飛んであんな衝突事故起こせば、ワーズたちが皆無事であるはずがない」
万三郎は腕組みをして言った。
「うーん。杏児、実は俺も同じこと考えてた。これは全部、夢なんじゃないかって」
ユキが当惑したような低い声で、杏児越しに万三郎に尋ねる。
「夢なら全部、つじつまが合う?」
万三郎は苦笑を浮かべて首を振りつつ、ユキに答え、杏児に言った。
「いや、ユキ、つじつまは合わない。なあ杏児、俺は実在してるぜ? 君こそ、俺の夢の産物なんじゃないのか」
――そう! そうなんだよなあ……。
今度は杏児が腕組みをする。頬に力を入れて、唇を一瞬、一文字に結ぶ。
「うーん、そこが一番の矛盾点。夢にしてはリアル過ぎるんだ。ちょっとごめん」
杏児はそう言うと、手を伸ばして万三郎の頬をつねってみた。
「痛てて! 杏児何するんだよ」
万三郎は杏児に食って掛かる。やっぱり彼は痛がっている。こんなによくできた夢って、あるか? 杏児はカウンターに両ひじをついて頭を抱えた。
「ああ、やっぱり夢じゃない気がする。混乱してきた。うう、またアタマ痛くなってきた」
「何言ってんだ、アタマ痛くなるってこっちのセリフだよ。あー、俺もなんだか急にムカムカしてきた」
万三郎はそう言ってビールをグイッとあおってから立ち上がった。
「気分悪い。ちょっと、トイレ」
「万三郎くんも、杏児くんも、大丈夫かい」
よろよろとトイレに向かう万三郎と、カウンターに両ひじをついて頭を抱える杏児に、マスターが心配して声をかける。
「二人とも、悪酔いしかかってるんじゃないの?」
昨日とは違って、コントロールしながら上手に飲んでいるユキが、わずかに批判的な声色でそう言ってくる。
杏児は頭を抱えたままつぶやいた。
「まただ……」
マサヨが「何が?」と訊き返してきたのと時を同じくして、ズキズキと脈動する痛みのピークが脳を襲う。杏児は、耐えるのに精いっぱいで答えることができない。
ひどい痛みが多少和らぐと、杏児はようやく顔を上げてマサヨとマスターに訴えた。
「シートレの事故は、夢なんじゃないかって考えるたびに、急に頭痛が襲ってくるんだ。毎回だ」
「杏児くん、研修が始まって緊張している上に、連日飲んでるからってこと、ない?」
マスターの問いに、杏児は首を傾げる。
「うーん、それが頭痛の理由じゃないような気がするんだ」
少しの間、無言で目の前のグラスを見つめて、次のピークが来ないか警戒していたが、やがて杏児は顔を上げて、マスターに自分の意見を説明し始めた。
「夢ってさ、自分の中の無意識が見させているものだって僕は思っていた。もしそうなら、自分の夢には、自分が記憶している知識や経験をベースにした物事が起こってきそうなもんでしょ? それなのに、KCJに入ってこのかた、出会った人はみな初対面。それに、頭痛とかピーナッツが喉に詰まったりとか、不快なことも含めて、起こってくることはみな、僕が過去に経験しなかったことや、まったく予想しないことばかり。マスター、これを夢と結論づけるべきか否か、どう思う?」
第二波が来た。
杏児は、顔をしかめてこめかみを押さえる。
「マサヨさん、すみませんが、水を……」
マサヨが即座に水を目の前に置いてくれる。頭痛を思いやって、あえて冷水ではなかった。杏児は、無理やりニッコリしてマサヨに礼を言うと、水を飲んで、ともすれば吐き気に発展しそうな痛みをやりすごす。
痛みが落ち着くと、杏児は再びマスターに顔を向けた。
「例えば今、僕がこう予想する。『間もなくこのお店に、三人のお客さんが初めて来店する。とてもフレンドリーで良い人たちだ』。マスターには失礼かもしれないけど、これまで僕らの来店中に、ほかのお客さんが来たなんてことはなかった。だから僕はそんな予想、これまでにしたことがなかった。マスター。そんな中でさ、もし、僕の予想通り、都合よくお客さんが来店したら、それこそ僕の夢っぽいと思わない? 三人の一見客が来店して、その人たちがすごくいい感じの人なら、やっぱり、この世界は夢。僕の無意識が創り出した幻想に過ぎない。反対に、もし誰も来なかったら、僕の都合で物事は進んでいない。だから現実」
マスターは苦笑いした。
「私としては、どちらを願いましょうかね。杏児くんの夢の中で商売繁盛するか、お客の来ない現実を思い知るか」
その時、ドアベルがカランカランと鳴って、入口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
マサヨが声をかけながら入口に歩み寄って行く。杏児は思わず目を丸くしてマスターと顔を見合わせた。




