第五章 仲間(2)
二
アルコールや食事は相当に対人関係の障壁を低くする。一時間前、ユキが最初に謝ってくれたことで、場は一気に和らいだ。今夜もマスターのハンバーグを食べながらビールを傾けて、三人は打ち解けて会話を交わした。
だが結局、人との関係が深まっていく過程は、共通の体験について感想を分かち合うことと、自分の個人情報を提供し、相手の個人情報を受け取る作業を丁寧に積み上げていくことに他ならない。
食事中は、マスターのハンバーグのおいしさの秘密や、お店のしつらえに対する感想など、共通の話題で話ができる。だが、食事を終えて、席が温まってくると、相手を知ろうといろいろと訊いてみたくなるのは当然だろう。しかし不思議なことに、マスターやマサヨを含め、誰もが人のプライベートにかかわる質問の口火を切らないのだ。
杏児は、自分たちと同じ新人ETのユキが、昨夜の時点ですでにこの店の馴染み客だったのはなぜか、訊いてみようと口を開きかけたものの、結局、喉元まで出かかっていた質問を飲み込んだ。口さみしさから手にしたハイボールでそれを流し込み、さらにピーナッツを数粒口に入れて、ダメ押しのように質問を封じ込んだ。
どうもまだ、そういう質問をできる時機が来ていないようだと判断したからだ。どちらかというと空気が読めない人間だと自覚している自分にしては、よく抑えたと杏児は思った。
万三郎はといえば、グラスを持ったまま、昼間、第三研修室で起こったことをマスターとマサヨに饒舌に話して聞かせている。
「その、ワーズ・トークのゲストに【please】と【sorry】が連れだって入室してきた時には、俺は思わず固まっちゃったよ。包帯ぐるぐる巻き、松葉杖ついて、肩を貸し合いながら教壇の前に立つんだもん。で、【sorry】なんかさ、包帯で隠されてない方の片目でじーっと、俺たちのこと、うらめしそうに見るんだ。俺、思わずその場で起立して、【sorry】に『ごめんなさい』って謝ったよ」
マスターとマサヨは、カウンター越しにニコニコしながら黙って聴いている。
杏児の反対隣り、入り口に近い席に座っているユキは、頬杖をついて、話を聴きながら自分のロング・カクテルに軽く手を添え、グラスについた水滴を見つめるともなく見つめていた。彼女はその時、その現場にいたから、万三郎の話は知っている。
万三郎はふいにマスターから目をそらして、杏児に向き直った。
「だけどさ、彼らワーズ社員はそう簡単に死なないらしいね。あれだけの大事故だったのに」
杏児は、一口飲んでからグラスをテーブルに置き、万三郎を見返す。ハイボールを飲み込むのと、万三郎に頷くのと、手にピーナッツを数粒つかむのを同時に行った。さらに杏児は答える前にそのピーナッツを口に放り込み、ポリポリ噛み砕いた。
「うん。部長が僕にも後で耳打ちしてくれた。本当はもう傷は治ってたんだけど、僕らに当てつけるために、わざと包帯だらけで足引きずって登場したんだって。僕らETに面と向かって文句は言えないから、ああやって罪悪感を煽ろうということらしい」
「そうそう。それ聞いてホッとしたよ。それまで俺たち、本当に落ち込んでたものなあ……」
すると、ユキがにわかに顔を上げて、二人に言った。
「死なないまでも、怪我は確かにするし、痛いのは痛いらしいわよ。【please】も【sorry】もビッグ・ワードだから、エネルギー・レベルがもともと高くて、治癒力が高いってこと。部長がそう言ってた」
ユキのコメントに杏児は一瞬、口を差し挟もうかと迷った。ビッグ・ワード? エネルギー・レベル? それと傷の治りと何の関係があるんだ? だが、そう思っている間に万三郎が会話の流れを引き継いだ。
「でもねマスター、研修中に彼らもだんだん機嫌直して心を開いてくれてね、ワーズ・トークの時間の最後にはこう言ってくれたんです。『あのシートレに乗ってたみんなは痛い思いしたけど、中浜さんや三浦さんが立派なボスになってくれるならきっと、みんなこれからも我慢できる。立派なボスになってください』って。俺、嬉しかったなあ」
まるで遠くの空を見つめるような目をして万三郎が上機嫌でそう言ったのがおかしかったらしく、マスターの横でグラスを拭いていたマサヨがクスリと笑った。
杏児は、ユキが言った言葉への疑問をきっかけに、それまでピーナッツを噛み噛み巡らせていた思索を思い切って口に出してみようと決めた。
「うん、【sorry】が、僕たちの、申し訳ないという気持ちを他のワーズたちへ伝えるのに協力してくれるって。”We are sorry.”って」
万三郎がすかさず同意する。
「そう、【please】も、”Please forgive us.”(僕らを許して)って伝えてくれるって。いい奴らだよなあ、二人とも」
杏児は、飲み物でピーナッツを流し込んでおいて、少し声のトーンを変えて切り出した。
「だけどさ、さっきの話、僕、どうしてもわからないんだ。なんであいつら、死なないんだろう? それどころかあいつら、状況によっては、シートレなしで飛ぶことさえできるとも聞いたんだけど……」




