第四章 研修(16)
十六
”The style is the man.” (5)
教室の入口脇に、新渡戸部長たちと並んで立っていたほうぶん先生が感心したように、小さな声でつぶやく。
「うむ。『文は人なり』。ビュフォンか」
おそらく、万三郎たち若いETに説明する意図があっての独り言だろう。
書き終えた片井先生は、チョークを置いて、また咳払いしながらこちらに向き直ると、胸元のポケットから「ハンケチ」を出して、そう汚れてもいないと思われる、「白く汚れた」指をぬぐった。
「オホン。文語英語とは、所謂、文字に書かれたところの英語を意味すると解釈して概ね差し支えなかろうと存ずる。文語英語は格式ばっておって、小難しい印象がなかなかもって拭いきれぬ、という輩が少なからず跋扈する近年の傾向にあって、私は声を大にして真っ向からその傾向に異を唱えたい。文語英語とは、親しみやすく、平易なるものである」
――超、親しみにくい。
口には出さないが、そう思ったのは万三郎だけではあるまい。ただでさえ苦手な英語だが、この先生の文語的な説明で文語英語を学習するのは苦行に近いと万三郎は予想した。
すると、片井先生の口調は意外にもがらりと変わったのだ。
「……つうかさ、まあぶっちゃけ文語英語とか、激ムズでだりィっちゅうイメージはそんな当たってなくねー? ってこと言いたい、みたいな」
そう言いながら片井先生は、ポケットから懐中時計を取り出してちらりと見た。
「まあ、おまいらもさ、TPOに応じた使い方ゲットしてけば、全然だいじょうぶっしょ。一年もすりゃ、まじイケてて、きっとヤバいって。まあ時間来たし、ばっくれるけど」
片井先生は懐中時計をしまい、ハットをかぶり、ステッキを持つと、思い出したように言った。
「あ、自分で言うのちょっとイタいけど、自分のこと、『文ちゃん』って呼んでくれたらまじ嬉しいかも。ぢゃあ」
軽くハットを持ち上げて挨拶すると、片井文五郎先生、いや文ちゃん先生は、教壇の向こうの方に下がった。
ほうぶん先生が、顔を赤らめて三人のETに言う。
「実は、それがしは文ちゃん先生を心からリスペクトしてござる」
すると文ちゃん先生は、「コクられてるって、まじで? やばくね?」と照れたように言って、それから「いやいや、私なぞ、およそ尊敬に値する人物ではないので、追従はご無用に願いたい」と目の前で軽く手を振って、言葉とはうらはらに、嬉しそうにはにかんだ。
「ご謙遜を。文ちゃん先生の、人文科学、社会科学、自然科学全般における膨大な知識と高いご見識は、とてもとても、われらの及ぶところではござらぬ」
「いやはや、なんとも面映ゆい気持ちですな」
文ちゃん先生はハットを取ると頭を掻いた。
――とんでもない堅物かと思ったけど、なんだか、純情で可愛い先生じゃないか。
万三郎は少し安心する。
一方で杏児は苦笑している。その理由はおおよそ分かるような気がする。おっさんがおっさんにあこがれるのは、勝手だけど、傍から見るとちょっと気持ち悪いということだろう。
ユキはといえば、微笑むでもなく、しかめ面をするでもなく、背筋を伸ばして淡々と文ちゃん先生とほうぶん先生のやりとりを聞いている。さっきチョークバトルをしたことで少し上気したのか、朝いちばんに比べれば目の下のクマが目立たなくなってきたようだった。




