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ことだまカンパニー  作者: 今神栗八
プロローグ
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プロローグ(3)


 斎藤はぎょっとして目を見張った。摘美鈴と目が合ったからだ。

 だがこの喧噪の中、三メートルも離れたテーブルで、この男がマスクの下で何かをつぶやいているとか、その話題が自分のことであるとか、そんなことに摘美鈴が気づくはずはない。どれだけ考えても「ノット・マイ・カップ・オヴ・ティー」がやっぱり分からなくて、思わず顔を上げた時に、たまたま視界に斎藤を認めたに過ぎない。摘美鈴にしてみれば、ダークグレーのスーツに身を包んで、一人、音楽を聞きながらタブレットをいじっている風邪ひき中年の動向などまったく興味ないだろう。

 案の定、彼女はうつろな視線をすぐにそらした。そして、うつむいて、口に手を当てもせずあくびした。英語が分からな過ぎて不機嫌な時は、ターゲットは決まって口に手を当てずにあくびをする。それも蓄積されたデータ通りだった。

 斎藤はすかさずタブレットをタップする。液晶のバックライトが点灯し、ラップタイムが更新された。

 ――八十一秒。システムの予測より早い……。

 再び画面を睨みながら斎藤はマスクにつぶやく。マスクに仕込まれたマイクは、イヤホンの向こう側の男につながっているらしい。

「ダイヤ、ターゲットの、昨夜の睡眠時間と、午後八時以降の摂取カフェインの総量をくれ」

 スペードとは別の、今度は女の声がイヤホン越しに答える。

「はい。今神部長に照会します」

 すると斎藤はつぶやきにしては大きな声を出した。

「いや! あいつには訊くな」

「は?」

「営業調査部のスタッフなら誰でもいい。だが、今神以外だ」

「……ですが、今神さんがターゲットの提案者……」

「そんなことは分かっている! 奴には訊くな」

「……ですが、誰に聞いても、どうせ後で今神さんに報告されますが」

「あいつの手を煩わせたくないんだよ!」

「ラ、了解ラジャー

 それを聞いて斎藤はまたマスクを外し、アイスコーヒーを吸った。

 忌々しかった。

 ――今神栗八いまがみ くりや……なぜあいつだけ社長に可愛がられるんだ。同期入社で歳もほぼ同じ。俺はいまだ第一営業課長で前線勤務なのに、あいつだけ本社召喚されて、社長側近の秘書室長兼営業調査部長。なんだこの待遇の差は。あいつが何か、俺とは違う手柄を立てたとでもいうのか。

「営業調査部長なのをいいことに、俺の仕事の領域にいちいち口挟みやがって……」

 すると、イヤホンにスペードの声が入ってきた。

「今神さんはそんなつもりないと思いますよ。だいたい、斎藤さんは今神さんの部下じゃないんだし。それに現場はやっぱりベテランの斎藤さんがいないと……」

 うかつにも、マスクをつけながらぶつぶつとつぶやいたので、部下たちに筒抜けに聞こえてしまっていたようだ。斎藤は狼狽しながら、マスクを整えた。

「コードネームで呼べと言ったろう」

 そこへ、ダイヤと呼ばれた女性の声が。

「ジョーカー、営業調査部の平井さんから返事が来ました。データ、そちらに入れましょうか」

「ああ、入れてくれ」

 ちらりとターゲットに目をやる。彼女はテキストとのにらめっこを再開していた。片頬に頬杖をついて髪が垂れ下がっているので、よく確認できないが、恐らくしかめっ面をしているだろう。彼女はそもそも、英語が苦手なのだ。

 彼女が新人として勤務しているデンタルクリニックは、コンビニより多いと言われるライバルたちとの差別化のため、在邦外国人の「集客」に力を入れつつあった。院長から英語をやってくれと指示されて、新人ゆえ断ることもできず、嫌々取り組んでいる……という事情も、斎藤のチームは調査してよく知っていた。

 ――もうすぐ楽にしてやるからな、もうすぐ……。

 斎藤はタブレットを注視した。新しい窓が開いて、睡眠時間とカフェイン摂取量に関するデータがバラバラと左側に表示された。

「よし。データを計算式のパラメーターに代入して再計算してくれ」

「はい」

 イヤホンの向こうの声が答えるとすぐにまた新しい窓が開く。そしてそこには計算結果が表示されていた。

 計算結果――次回予測――前回から八十三秒後。

 斎藤の目が見開かれた。前髪の間から見える川井摘美鈴の口が大きく開かれつつあったからだ。

「ターゲットがあくびをする!」

 斎藤は言いながら急いで画面をタップする。タイムスタンプのリストが改行され、即座に右に実測値が表示された。

 ――八十三秒!

「よしっ! 予測通りだ」

 斎藤はマスクの下でつぶやく。

「こちらジョーカー、ターゲットの数値が安定した。おっぱじめるぞ!」

「スペード、了解」「ダイヤ、了解」「クラブ、了解」「ハート、了解」

 イヤホンを通って斎藤の耳に聞こえてきたのは、四人の男女の声だ。斎藤は少し顔を上げて視線を店内に巡らせる。左奥の少し離れた席ではダークスーツでサングラスをしている若い男がこちらを見ながら心持ち手を挙げた。右奥に少し離れて座っている男女もわずかにこちらを見て頷いた。斎藤のテーブル列の一番向こう奥の女も、広げていた雑誌のページをめくるときに目配せしてきた。

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