エピローグ(8)
八
宴もたけなわとなっていた。
「ビールおいしい! はあー、命あっての物種だわ。幸せー」
英語事業部の三人は今回、ヒーロー&ヒロインだった。皆が代わる代わる寄ってきてはビールを注ぎ、お祝いを述べ、うらやましいと言った。
「くそー、フランス語、中国語、ロシア語も一応、国連公式言語なんだけどなー。ま、今回は英語に花持たせてやるよー」
「おいおい、そんな何回も地球の危機が来てたまるか」
親しくなった他事業部の連中との会話も弾んだ。杏児のそばにはいつの間にか恋人の藤堂明穂も寄り添っている。寄ってくる人たちがたまたま途切れたところで、杏児がユキに訊いた。
「ところで石川審議官は今日、来られていないね?」
「ああ、うん。恵美さんから聞いたんだけど、古都田社長も石川さんと合流して、これからお通夜で、明日お葬式みたいなの。ほら、あの退官されて山梨県にご隠居されていた内村鑑三郎さん、お亡くなりになったみたい」
「へえ、そうなんだ」
「あの台風の夜だって。お家の中でお一人で。たぶん、心臓麻痺か何かだろうって」
「で、今頃お通夜?」
「地元の方で先に密葬を済ませてあって、明日が本葬、告別式になるんだって」
ユキの説明に、杏児がため息をついた。
「せっかくアポフィスがそれて助かったってのに、皮肉だね」
すると、驚いた顔の万三郎が、得心したように口を開いた。
「俺、たぶんその人から、残りの命のエネルギー、もらった気がする」
杏児がぽかんと口を開ける。
「へ?」
「ことだまワールドで、その人から言われたんだ。君はまだ若いから、私の生命を君にやろうって。それで俺、死にそうだったけど生き返ったんだ」
とたんに杏児が笑い出した。
「万三郎、それは違うよ。お前が死ななかったのは、ユキのお蔭だよ」
今度は万三郎が「へ?」と訊く。
「お前の口の周りに、口紅がついてた。お前が目を覚ます前に俺が拭き取ったけどね」
ユキの顔が見る間に真っ赤になっていく。即座に杏児が、ジェスチャー入りで、ユキの心情を口に出して説明し始めた。杏児は自分の両頬に掌を当てて大仰に目をむいた。
「しまった! 暗闇で見えていなかったわ! 万三郎が息を吹き返したことで私、安心してそのまま眠ってしまったんだわ。なんてこったい、ホーリー・マッカラル!」
これまでで一番頬を赤く染めたユキの目の前で、頭を抱え込んで見せた杏児は、頭を起こすと意地悪くユキを指さした。
「あれえユキ、何だがホッペが異常に赤いよー」
それを聞いたユキは、突然立ち上がる。
「わわわたし、ちょっと酔ったから、よ、夜風に当たってくる……」
堀りごたつだから、杏児の足を蹴飛ばすわけにはいかない。悔し紛れか、立ち去り際にがけにユキはしゃがんで、杏児に耳打ちした。
「たた対向車が来たらどじょうすくい踊ってやるって、あの時言った言葉、よもや忘れてないでしょうね……」
それだけ言うと、ユキはすたすた歩いて部屋から出て行ってしまった。
「おー、こわ……」
肩をすくめて苦笑いしながら、杏児は万三郎に目配せする。
――行けよ。
万三郎は心得て席を立っていく。杏児はそれをゆったりと見送った。
ほろ酔いで頬を上気させた、ちづること藤堂明穂が杏児にもたれかかってきた。会社の酒宴なので、杏児は少なからず戸惑って周りをそっと見回す。幸いに周りは、我れ関せずという雰囲気だ。
「明穂。君がこっちに来る前、気になってたんだけど、いくら酒の席だからといって、君、中国語事業部の同僚の男性にちょっと馴れ馴れしすぎやしないか」
杏児はここ数週間で、ちづるのETネームに次第に慣れてきていた。明穂はもたれかかったまま杏児に顔を向けて艶やかに笑う。
「あれ、杏ちゃん、妬いてるの?」
杏児は苦々しい顔をする。明穂の方もユキの影響か、杏児のことを「杏ちゃん」と言うようになった。それはいい。ただ、恵美が、「大したことないわ」と言っていた、明穂の高速学習の副作用は、アルコールが入ると気が大きくなることだと後に知らされたのだ。
――妬いている? いやそうじゃない。地球のXデーが近いときに、明穂は誰と酒を飲む機会があったのか、それが気になっているだけだ。うーん……僕はやっぱり、妬いているのかな……?
杏児自身にもアルコールが入っているので、だんだん、どうでも良くなってきた。
「心配しなくても、私は杏ちゃんに『ほ』の字よ」
酔いに任せて明穂がそう囁き、またしなだれかかってくるので、杏児の口元はつい緩んだ。明穂がさらに、耳元で囁いてくる。
「ね、うちの事業部でちょっと耳にしたんだけど、亡くなった内村さんと、石川さん、そして古都田さんの過去って、興味ある?」
杏児はとろりと返事をした。
「うん、あるある」
三分後、百人座敷のお店全体に杏児の絶叫が響きわたった。
「何だってぇーッ!」
(了)




