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ことだまカンパニー  作者: 今神栗八
第一章 万三郎
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第一章万三郎(5)


 ――ハバチュー?

 「お前には充分、時間が与えられたであろう?」と、微かな期待の声色も混ざっているように感じられる。しかし、こんなに短いセリフに、これほど圧力を持たせることができるものなのか。

 ――いや、そんなことより、考えろ、脳!

 今しがた玉砕した隣の男と同じく、思わず右手を後頭部にやりかけて、同じ反応をする頭の悪さに気付き、途中で止めた。爺さんの視線に耐えながら、胸の辺りで止めた右手でこぶしを握って、無意味な薄ら笑いを浮かべつつ、その笑いの口がたまたま「イ」を発音したがっていたので、俺は答えた。頭の中は真っ白になっている。

「イ……イエッサー!」

 そこまで言い切って、わが脳はこと切れたかに思えた。しかし爺さんは、決して俺の目から視線を外すことなく、英語で思いがけない言葉を継いだのだ。


"Go ahead."


「はい?」


"I said, ‘Go ahead’. C’mon, go on."


 爺さんの目は俺の目を見すえて寸分も動かない。爺さんは、「ゴーアヘッ」のところだけゆっくり言った。

 ――ゴーアヘって、「前へ進め」ってことか? この状況で?

 思いがけない展開に、俺の脳は処理能力を超え、ついに思考停止に至った。

 ――えーい、どうにでもなれ!

「イ……イエッサー!」

 中学の運動会での入場行進以来の手足の振りで、その場から前へ行進した。兵隊の行進のように、視線をまっすぐ、背筋を伸ばして、必要以上に足を高く上げて歩く。

 三メートル前に爺さんがいるので、ぶつからないように爺さんの一メートル手前で直角に右折、さらに一メートル進んで直角に左折、そのまま、先ほど爺さんが入室してきた扉に向かって行進していく。

 途中、怖くて爺さんの顔を見ることはできない。もちろん、マーチ音楽も手拍子もない。このふかふかの絨毯が足音を吸収してしまい、スーツの上着やズボンが擦れる音以外は、不気味な静寂が辺りを包んでいる。

 あっけにとられたように立ち尽くす新渡戸部長の横を素通りし、八メートルを行進して、閉められた扉に至った。高さが俺の身長のたっぷり倍はある重厚な扉。観音開きタイプのその扉は、ふちから、ドアノブから、豪華な金の装飾で光沢を放っている。その一部に、近づいた俺の像がおかしな形でぼんやり映りこんでいた。

 先ほど扉は部屋の内側に開いていた。だから、行進の勢いのままに扉を押し開けて廊下に出ていくわけにはいかず、爺さんたちに背中を向けたまま、扉の前で足踏みを続けるしかない。

 俺が足踏み状態に至ってもなおしばらくの間、静寂が続いた。このわずかな運動量に似合わぬ量の汗が、額といい、首筋といい、脇といい、体中に湧き出しているのが感じられる。

 ――俺は、何をやっているのだろう。

 しばらくして、わずかに笑みを含んだ声で、爺さんは号令した。


"Company …halt!"


 それに合わせて、扉に向いたまま気をつけをした。なぜ足を止めたか。それは、爺さんの英語の口調が、日本語の「ぜんたーい、とまれ!」と全く一緒だったからだ。ようやく確信に至る。

 ――前進して、良かったんだ。

 続いて、背後で爺さんの声が聞こえた。


"About … face!"


 これは、「回れ右」だ、間違いない。

 俺はその場で美しい回れ右をする。そこで初めて、今まで進行していたことの全容を、いくぶん客観的に把握することができた。

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