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ことだまカンパニー  作者: 今神栗八
第一章 万三郎
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第一章万三郎(3)


 まばたきをしない暴力的な視線を二人に交互に向けながら、爺さんは、並んで立っている俺たちの前へ、一歩一歩、絨毯を踏みしめて、歩み寄って来る。表情は、ない。近づくにつれ、小柄なはずの爺さんが、遠近法の計算値を超えて巨大化するように思えた。

 ――な、何言ったんだ、この爺さん?

 俺だけではない。隣の男も口を半開きに開けて黙っていた。


"You?"


 爺さんは、俺ではなく、隣の男の正面三メートルほどのところに立ち、彼に視線をやって、発言を促すために、彼に向けて手のひらを斜め上に向けた。詰問口調のような、語尾の上がった" You? "だ。

 逆に俺は、視線を外されて、幾分理性的にものを考えられるようになった。

 ――ということは、さっきのセリフ、英語だったんだ。英語で何か訊かれているんだ。

 それにしても、何という圧力の「ユー」なのだろうか。きっと隣の男は、例の視線に捕らえられた上で、抗い得ない電圧で「毒電流」を流し込まれ、かなりの苦痛を味わっていることだろう。

 隣の男は、先ほど新渡戸部長に対面して俺に並んで座っていた時の印象では、俺と同じ二十代前半のようだ。ライトグレーのスーツは新卒者の就活ではあまり見かけないが、部長や爺さんからの扱われ方が俺と同じであることから、俺と同じく、新規採用者か、採用最終候補者と思われた。いや、俺がそうであること自体、まったくの憶測なのだから、本当のところは分からないが、おそらく俺たち二人は同じ立場に置かれているのだろう。

 ――ということは、彼の次は俺に……?

 爺さんは彼を間近で見て何やら驚いている風に目を見開いているが、彼は爺さんを見つめ返したまま、右手を自分の後頭部に手をやって声を発した。

「あー……」

 その声には幾分の笑いが込められている。だが後に続く言葉は何もない。したがって彼の、悲鳴にも似たそのおどけ笑いの「あー」が、悪魔でも降臨しそうな黒雲の隙間から、温かな救済の光を地上に招き入れる……などということは、全くなかった。「あー」では、この場の何も変え得なかったのだ。感電しそうな空気は微動だにせず、依然、彼に逃げ場はない。あまりの痛々しさに俺は、男の横顔から目をそむけ、うつむいて彼の足元を見た。

 震えている。ズボンの上からでも分かった。

 ――無理もない。いきなり" You? "なんて振られても……。

 英語だったと気付いてみれば、この爺さんの英語は、ネイティヴのように流暢なものだった。だいたい彼は、顏も少なからず日本人離れしている。地黒の皮膚、白髪混じりの短いくせ毛と髭、年齢によって醸し出される渋み。そして、眼力やオーラの、およそ常人ならぬパワーを考え合わせると、ダンディーなアフリカ系アメリカ人みたいだと思った。

 ――そうだ、まるで昔、父親が持っていた映画に出ていた名優みたいだ。[万三郎は、直近の記憶がないけれども、もっと昔の、父親との記憶はクリアに思い出せるのか。この設定に読者は矛盾を感じないか。]あの映画を一緒に観ていた父が、「おお、カッコえいのう!」と唸った時のセリフの日本語字幕は、確かこんな感じだった。

「ヘミングウェイは言った。『人生は素晴らしい。戦う価値がある』……後の部分には賛成だ(2)」

 ヘミングウェイなんて固有名詞が出てきたから、俺はこの字幕を覚えていた。で、今、目の前の爺さんはそう言ったのか? いや、覚えている限り「ヘミングウェイ」などとは聞こえなかった。

 ――じゃあ、何と……?

 爺さんが次に俺に問うてくるのは火を見るよりも明らかだ。まずい、時間がない。考えろ、脳! 嫌な汗が、こめかみのあたりからつーっと流れてくる。

 ついに爺さんは、隣の男に明らかに失望した様子で肩をすくめてみせると、視線を俺の方に向けて、何か言おうとした。

 そのときだ。

「あ、あの……大きく分けて……ス、スリー、ポインツ……あります」

 隣の男が下腹に力を入れ、震えを制した声で爺さんに挑んだのだ。

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