6話 2つの心魂②
「ルアーシャーッ!?」
気づくと、ノアは質素なベッドの上にいた。
どこかの部屋の中らしく、そこにはあの薄紫の髪をするサジュが、一人椅子に座り、ノアの顔を心配そうにのぞき込んでいた。
「また違う『夢』でも見ているのか……どうせ、お前も死ぬんだろう……」
額に手をやり、ノアは顔を伏せるようにつぶやいた。
「ちょっと?! かってに私を殺さないでよ? そうかんたんに私は死んだりしないわ」
サジュはあきれた顔をし、そっぽを向く。
ノアはしばらく口をぽかんとあけていると、サジュは大きく息をついた。
「ずいぶん、うなされていたようだけど……いろいろ、艱苦な人生を送ってるようね……」
ノアは何も言わず押し黙った。
彼女はまた悪夢を見ていた。
はじめて見るかたちの夢だったが、結局は、自分と他人が入れ替わるような、あの何度も見つづけた〈緋い闇〉に相違ない。
「ルアーシャ……」
小さな声でつぶやくと、ノアはいったん気持ちに区切りをつけ、周囲を見まわした。
それにしても、ここはどこなのか。
まさか、「テューウォユージ」に連れて来られたのか。
あの森からでは、早くても5日はかかるはずだ。
おまけに、なぜ誰も死なずに、自分の身体もまた元に戻っているのだろうか。
ノアは思案する。
「何? 狐に鼻をつままれたみたいな顔して」
「いや……別に」
いろいろとノアの様子を見かねたのか、サジュは、
「あなた。ろくなものも口にしてないんじゃないの?」
と気を利かせ、木皿に数枚のパンを乗せて水筒といっしょに差し出した。
ノアは急激に空腹を思い出し、水筒の水を一気に飲み干すとパンを貪りはじめた。
「まだ、いっぱいあるから……」
サジュはノアの食いっぷりに少し笑うと、ワゴンテーブルを取りに行く。
「とりあえず、あなたが気を失ったから、私たちはここへ連れてきたのよ」
そう言ってサジュは椅子から立ち上がり、棚にある銀でできたティーカップ2つと、まっ黒な暖炉の上から、これもまた銀製のティーポットを手に取り、ワゴンに並べて乗せた。
「気を失った……?」
ノアは、ガラガラとワゴンを運ぶサジュに、訝しむ顔を向けた。
「ええ、きゅうに倒れて。今日でもう〈三日目〉よ」
〈三日目〉とはどういうことだろうか。
近くの街にでも下宿しているのか。
ティーカップに茶が注がれ、部屋にはハーブ――カモミール――の落ち着いた香りが立ち込めた。
「倒れて……それ以外に何もなかったのか?」
「ほかに? そうよ。何もないわ。それがどうかした?」
「いや……ならいい」
サジュは茶を注いだカップをノアに手渡す。
カップを手に取り、ノアは軽く会釈する。
ノアは、今置かれている状況に戸惑っていた。
あの発作のあと、ただ気絶していただけで、ほかには何も起こらなかったと。
しかし、こんなケースは今までになかった。
そうとなれば、『アイツ』のことは見られていないことにもなるのだが……。
(俺はこのあと、どうすればいい……)
頭を抱えてノアは悩んだ。
うまくここから逃げだせないのか。
あまり、こいつらと関係を持つわけにはいかない。
とはいえ「追手」のこともある。
悩んでいる時間はそうない。
とにかく、ここがどこなのかだけでも確認しておこうと、ノアは思った。
「な、なあ。ここはどこなんだ? さすがに『テューウォユージ』ではないだろう?」
「ええ。まだ馬車の中……」
サジュはおもむろに壁側に向かい、黒い木の窓を持ちあげて外の景色を見せた。
外は森をとうに抜け、ゆっくりと移り変わる土漠を映し出していた。
「……嘘だろ?」
あらためてノアは部屋を見まわす。
ベッド、テーブル、椅子、机にちょっとした書棚……。
奥に少し細長い部屋は黒い色調で統一され、全体として質素な印象だが、通常の部屋と大して変わりなかった。
それもずいぶんと広く、隣にももう一部屋あるようだった。
「こんなものをあの速度で……いったい何頭の馬を?! 音だって静かじゃないかッ?!」
「フフフッ。あとで教えてあげる。そうそう。傷の手当てもあったから着替えさせていただいたわ。『お嬢さん』?」
「なっ?!――」
とっさに、ノアは自分の身体を見渡した。
なぜ、今まで気づかなかったのか。
厚手の茶色のコットに、その上から、サジュと同じ白のサーコート――裾に大きく、太陽の中に黄薔薇と丸底フラスコの紋章――を着せられ、胸はいつもより窮屈だった。
(サラシも替えたのか……)
ノアはとつぜん恥ずかしくなり、顔が熱く膨張した。
「ごめんなさい。そんな服しかなくて……。それとも、もっと女性らしいほうがよかったかしら?」
「そんなのはどうでもいい! ほかに見た奴はいるのか?」
「フフッ! 平気よ。私しか見てないから。あの『女男の騎士』には、ここの指揮を任せて、しばらく席を外してもらっているし……。でも、なんで〈男のふり〉なんか? 髪もだいぶ短いほうだし……」
サジュの言葉に、ノアは前髪を掻きあげてつかみ、そのまま腕にもたれかかった。
「……そうでもしないと、穏やかに生きられないからさ……」
しかたなく殺してきた、ろくでもない傭兵や山賊たちの野蛮で汚らしい顔が、ノアの頭に思い浮かぶ――
「もったいないわね。きれいな顔をしてるのに。髪を伸ばしたらきっと似あうわ」
「そうやって人をおちょくるのはやめろ。さっきから鼻につく」
サジュは涼しく笑って見せる。
「『穏やかに生きられない』……か……まあ、でも。何となくわかるわ」
ノアはその言葉を聞くなり、ベッドから身を乗り出した。
「嘘をつくなっ!! 何が『何となく』だ! 俺のことを知りもしないくせに!」
奥歯をギリギリさせると、悪夢の追憶がノアの脳裏をまたよぎった。
(クッ! 何をこんなところで感情的に……)
拳を握り込み、顔を伏せ、ノアは冷静になろうとした。
彼女は、ふたたびサジュを仰ぎ見るや、その表情が少しも崩れていないことに、現実を思い出すのだった。
少し面倒を見てくれたといっても、しょせんは冷たい女。
とはいえ、そんなサジュの興ざめた態度も、かえってノアには新しくもあったが、どうもその心うちは、予想に反しているようだった。
「嘘はついてない。私、見えるのよ……。あなたの身体にある〈秘密〉が……」
ノアは、はっとした。
そして、あの精密に動く瞳孔を思い出すと、次には怖くなっていた。
(まさか、俺の中の『もう一人』が、見えるとでもいうのか?)
サジュは椅子に座りなおすと、自分でそそいだハーブティーに口をつけ、ゆっくりまばたきをした。