表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/18

3話 交錯①

「――クッ! 何度も、何度も!」


 革靴の底裏から、擦れる鉄のを空の蒼へと響かせる。

 ノアは、年季の入った胸当ての銀を光らせ、岩場を蹴り上げた。

 男装をしたその少女は、あどけない黒い瞳に強い意志を秘め、軽々と連なった小さな崖を飛び降りていく。

 やがて彼女は、乱れるショートの髪――灰に少し金色のかかる透きとおった髪を風に流し、目前の森を駆けた。


 胸当ての下の薄茶けた長袖のコットは、ところどころ破れ、白い肌を晒す。

 すでに傷だらけの肌は、木々のあいだをくぐり抜けていくたび、赤く痛ましい枝先の跡をためらいもなく重ねつけた。


 ノアは、谷川でマントを失くしたのを悔やんだ。

 だが今は、そんなことにかまっている場合ではない。

 追手たちの足は速く、このままでは捕まるのも時間の問題だった。


(片づけるしかないか……)


 あいにく、ここには誰もいない。

 ノアは背中の、傾斜して収めた太く長い大槍ランスに手をかけ、戦えそうな場所を探した。

 ちょうど運よく、森を突っ切る広い道が彼女の行く先に現れた。

 あとは追手たちの出方を見て、うまく待ち受けるだけだった。


 ところが――思いがけず遠方から、複数の馬蹄と馬車を引く車輪の音が聞こえてくる。

 どこの国の所属ものかはわからなかったが、小規模の兵団が、ちょうど同じ森の道を通りかかっていた。


 ノアは面倒に思った。

 とはいえ、別にどの兵団と出くわしたところで、自分の身の上に不都合なことは何一つない。

 しかし、〈今の彼女〉にとっては、最悪な状況に違いなかった。


「なんだ? あいつは?」


 馬車から離れて先導する、一人の騎兵がノアに気づいた。

 彼女はとっさに顔を隠し、反対の森へ入って身を隠した。

 だが、かえって様子をあやしまれてしまった。

 すかさず、その騎兵は、


「止まれ!! 止まれ!!」


 と大声で旗をふり、後方の黒い大きな馬車をむりやり止めさせた。

 遠くなるノアの背中のほうで、兵たちは状況確認をはじめ、変にあわただしくなっている。

 しかしながら、どうやら彼女だけがその原因ではなかった。

 ついさっき、彼女のあとを追う、ひときわ大きい「赤黒い犬」たちが、兵団の前を飛び出し、横切っていったのだった。


 ノアは少し焦りつつ、なおも森を駆けた。

 せわしく動く足下の革ゲートルは、黄色い陽に色褪せる。

 できるだけ森の深く、追手から逃れるというよりも、今は兵団()から離れることだけを考え……


(もっと深く、もっと深くへ……)


 しかし、そこに待ち伏せていたのか。

 同じ赤黒い犬たちの仲間が数匹、正面に見える木々の上で身構えていた。

 まんまと挟まれた格好になったが、ノアは迷わず正面突破を選んだ。

 すると、待ち受けていた犬たちが慌てて、樹上からいっせいに飛びかかろうとする。


 Gawrrr!!!!


 犬たちは、不快な赤黒い皮膚の色を光に散らし、喉をいかつく鳴らした。


「ヤァア――ッ!」


 密集する木々の中、ノアも負けじと大槍を両手に持ち直し、大声で犬たちを威嚇いかくした。

 そして腰を低く落とし、いったん立ち止まると、やや窮屈に両手で持った槍を力強く頭上で横にまわした。


 重く鋭く回旋する大槍に、一匹の間抜けな犬が身体をぶつけてひるむ。

 と、ノアはすかさずその喉を突き、後方へ払った。

 喉を突かれた犬は、ヒュー、と笛のような鳴き声を放ち、うしろの木の幹に背中を打ちつけてぐったりとした。


 ノアはふたたび駆けだし、ちらりとうしろを流し見る。

 追手はもう、そこまで来ている。

 すでに数匹は仕留めたはずだったが、あまり数は減っていないように思えた。

 むしろ、その数は増えているとも見受けられ、赤黒い色とあいまっていっそう不気味に感じる。


 ようやく、ひらけた場所に出た。

 ノアは大槍を軽くまわし、右手に持ち替え、身体をうしろにひねって反転させる。

 静止した犬たちは、彼女と距離をとり、向けられた槍の先を鋭く見返した。

 飛び込むタイミングを計っているのだ。


「くるならこい!……雑魚ざこども!」


 左手で手招きするよう、挑発したときだった。

 とつぜん背後から、巨大な影がノアに飛びかかってきた。

 間一髪、身をかわしたが、鋭い牙を持つ大きな口に大槍を持ってかれてしまった。


(ッ?! しまった!!)


 迂闊うかつにもほどがあった。

 あまりに骨のない追手たちに、ノアは高をくくっていた。

 だが、目前の「そいつ」は違う。

 片目に傷を負った巨大な犬は、たんに図体ばかりではない。

 ノアの使う大槍は通常より小型といえども、2メートルを越え、重さも5キログラムほどあり、軽々しく口でくわえて持っていける代物ではないのだ。


 それも直前まで気配を消して……


(……こいつは別格だ……)


 片目傷の犬は軽く顔をうしろにふって、咥えていた大槍を放り投げた。

 この犬もまた、同じ赤黒い皮膚を不気味に光らせている。

 ノアは汗をにじませる。


 この不気味な赤黒い犬たちは、一週間ほど前から、ずっとノアをつけまわしていた。

 一度は谷川に飛び込み、うまくいたと思っていたが、今もこうして追われている。

 理由はまったくわからない。


 何か恨みでも買ったか。

 縄張りでも荒らしたか。

 けれども、そんな覚えはない。


 仮にそうだとしても、ここまで執拗に追いかけてくるものなのだろうか。

 もう丸三日だ。

 そもそも自分の身体は、そんなにてっとり早く餌になるようなものでもない。

 にもかかわらず、この気に入られようには、ノアも疑問を感じずにいられなかった。


 片目傷の犬が牙をむき、真っ向から対峙する。

 ノアはだいぶ焦っていた。

 だが、自分の心配ではない。

 手前の犬たちのこともそうだが、とりわけ、付近にいる兵団を気にかけていた。

 彼らの、その後の運命を気の毒に思っていたのだ。


(しかたない……どいつもこいつも運が悪かった……。そういうことだ)


 ノアは腰につけたナイフを取り上げ、自分の喉もとに突きつけた。

 選択肢はもうない。

 ならばてっとり早く、自分の手で憎き「アイツ」を呼び覚ますほうがまだましだ。

 と――


 立てつづけに、数本の矢が片目傷の犬の足もとを鋭くかすめ、次々と地面に突き刺さっていった。


(ッ?! 木の上か?)


 頭上を見やると、木々のあいだから一人の少女が……まるで太陽から現れた天女のように、ふわりと地につま先をつけ、ゆっくり降り立った。


 人が空から降ってくるとは、ノアには何とも理解しがたい光景だった。

 おそらく二十には満たない、十代後半の少女か。

 青紫の瞳に、薄紫の長い髪。

 その長い髪は持ち上げて一つに束ね、白のサーコートを身にまとう。

 そのサーコートの裾には紋章――紺縁の菱形の枠に、太陽の中の黄薔薇(バラ)と丸底フラスコ――が、大きく刺(しゅう)されていた。


(太陽の紋……? 『イェンヌ教』の関係か?……)


 くどくどと考えている間もなく、薄紫の髪の少女は、肩に背負った矢筒から数本の矢を手に取り、そのまま、下から斜め上に腕を軽く払うようにした。

 矢はたちまち、宙に散らばって浮き、少女が手を前に差しだすとともに、鋭い勢いで犬たちの喉もとを狙った。


(矢が宙に浮いて、独りでに?!)


 犬たちは寸でのところで身をかわすと、たじろいで委縮した。

 少女は雑魚犬たちをあしらうと、また同じように矢を宙にばらまき、今度は片目傷の犬を鋭くにらみつけた。


(馬鹿が! さすがにそいつは、かなう相手じゃない!)


 ところが、片目傷の犬は苦虫を潰したかのように悔しがると、あっけなく残党を引き連れて退散していった。

 森には、拍子抜けたように静寂が戻った。


 ノアは唖然とした。

 相手は明らかに、しっぽを巻いて逃げる半端ものではなかったはずだ。

 それだけに、とつじょ天から舞い降りた少女には、想像を超えた、並々ならぬ不思議な力でも宿っていたりするのだろうか……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ