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2話 灰の少女と漆黒の狂戦士②

 炎に揺れる城郭の街の夜。

 いつのまにかノアの目には、城郭上から見るその夜が、ぼんやりと広がっていた。


(なんだ、この景色? それに今さっき、〈何か大事なこと〉を思い出していたような……)


 意識のにじんだ不思議な感覚がする。

 何度か味わった覚えのあるものだった。

 だが、その不思議な感覚は、抜け落ちた〈大事な何か〉を暗示しても、その具体性までを思い出させはしなかった。


(……ノア……)


 ふいになぜか、自分の名前が思い浮かんだ。

 と、頭の中に、ピリリと小さな雷が走った。

 ノアはきゅうに、現実へと引き戻されるように、自分の今置かれた状況を思い出していく。

 ただ、かわりに、〈大事な何か〉をほのめかすあの感覚は、忘れ去られてしまった。


 (そうだ……たしか、人を助けに……)


 目下。

 ほの暗い茜の幻想に、壊れた石造の建物がいくつも映えていた。

 そこはさらに、深い緋へと染まっていく。

 ノアはその深い緋を、自分の意識からかもし出されるものだとすぐ理解した。


 しかし、あまりに変わり果てた街並みに、ノアはいたく混乱していた。


(……夢でも……見ているのか?……)


 ノアはしばらく、その場にたたずむ。


 あの壮麗で頑丈な城壁も、きらびやかな時計台も、今は粉々になったただの石……。

 まるで街は、いくつもの巨大な鉄球を、何度も打ちつけられたかのように破壊され、あたりかしこ火の手がまわっていた。

 いまだ遠い残響には、逃げ遅れた人々の悲鳴が蔓延はびこっている。

 まるで大地震か、もしくは神の裁きでも受けたかのような惨状だった。


 はたして、これが人のなせる所業なのだろうか……


 とつぜんノアは、「緋黒い影」に連れさらわれた。

 身体は、その影に軽々と持ち上げられ、城郭上の歩廊アリューレを跳ねるように移動し、尖塔の屋根伝いに壊れた街へと侵入する。

 石()きの屋根を次々に飛び移ると、やがて影は地面へと落下していった。


 Daaaannn!!!!


 大きな鉄塊でも落ちたのか。

 影は、大通りのにび色の石畳を派手に砕き、沈み込むように降り立った。

 しびれるわずかな感触が、ノアの意識に伝わる。

 別に痛くはない。

 ただ、その一連の流れは、たんに自分の身体が、「影の持ち主」に連れ攫われたせいだと思っていたが、だいぶ様子が違っていた。


 煙る視界の中、ノアの身体はすっと立ち上がるように、その目線の位置を独りでに高くする。

 何より、そのときの手足の鈍い感覚と影の動作との一致――この「緋黒い影」は、自分の身体とまったくの同格イコールとしか思えなかった。

 それがじわり、じわりとわかりだすと心の底から戦慄する。


 まもなく影は、飛び散る粉塵ふんじんを肩で切って駆けだした。


 潰れた酒(だる)

 破れた団旗。

 ぶちまけられた果物……。


 あたりは瓦(れき)と炎に囲まれ、遠くでは逃げ惑う人々がまだ大勢見えた。


(……何をする気だ?……まさか?!……やめろ!!…… )


 影の身体をとおして映される、深い緋に染まった意識の中、ノアはふり絞るように叫んだはずだった。

 ところが、その意志は声にならず、想いの届く気配はない。


 影は獣のような速さで、人という人を追いかけていく。

 すぐに一人目を捉えると、影は不思議な原理で、両肩につけた武器――4本の黒い長刀の大爪――を手甲の前へと滑らせて突き出し、両腕を豪快にふるう。


 2人……4人……16人……


 両刃のその爪は男も女も、子供も老人もことごとく引き裂く。

 容赦なく刻まれた肉塊たちは、酸で焼けたかのように煙を発して溶けた。

 たちまち、痛みと恐怖とが混ざりあった叫び声の一つ一つが、炎の街を包み込んでいく。


「ギあァあぁアぁあ!!……」


 ノアもまた、繰り返される残虐な光景に、形容しがたい苦しみを頭の中で叫んだ。


(……あアぁァああぁァ!!……)


 これは夢ではない。

 しかし、現実なのか。

 目前の出来事とノアのここに至るまでの記憶が、点滅するよう交錯する――


 戦士であった少女ノアは、この城郭都市――ノーフティ・ユザイン――への敵の奇襲を知り、仲間たちとともに駆けつけた。

 目的は街や市民を守るのはもちろん、そこにいる一人の少女(友人)ルアーシャを救うことでもあった。

 そのさなか、仲間たちはノアを先に導くように、一人、二人と散っていった。


 敵は屈強ながら卑劣を極めた。

 彼らは逃げ惑う住民を手にかけ、金目のものはすべて強奪した。

 命に代えてでも救いたかったルアーシャもまた、無残な亡骸へと変わり果てていた。

 ノアは、人の欲望の尽くすかぎりを《《この目》》で見てきた――


 記憶をたどるかぎり、それで間違いはない。

 できれば、思い出したくなかったが、その人の欲をぜんぶ掻き集めても、この街の惨状を容易には想像できなかった。


 とたん、ノアの脳裏に疑念がよぎる。

 もしかしたらこの惨劇は、すべて自分のしでかしたことではないかと……。

 いや、ありえない。

 なぜなら、〈人のなせる所業ではない〉のだ。


 そう。

 自分は紛れもない「人間」だ。

 守るべき良心もある。

 それが、高さ十数メートルはある屋根から飛び降り、獣のように駆けられはしない。

 ましてや、罪なき人に向かって、闇雲に大爪の武器をふるうなどもってのほかだ。

 だからこそ、今まで起きたことも、これから起きることも夢に違いない。

 ノアはそう思った。


 なら、どうすればこの悪夢から逃れられるのか。

 ノアは見ないようにと思っても、目を閉じることも、手で顔をおおうことも、この緋黒い影(自分の身体)は、言うことを聞いてくれなかった。

 しまいには例の大爪で、肉や骨を引き裂かれた音、感触、焼けた臭い……それらの感覚がわずかにだけ、とはいっても強烈な不快をともない、彼女の意識へと介在してくる。


 だが、緋黒い影は、それに反して高揚するかのように、おぞましい叫喚きょうかんを空に向かってうなりあげた。

 まるでノアとは違う、怒りと憎悪に満ちた〈別の生きもの〉のように――


 Ahhhhh!!!!……


 血を無造作にふり払い、巨大な噴水場の浅瀬に立つ緋黒い影。

 あたりの闇夜が、勢いを増す炎に照らされると、水面にゆらゆらと浮かぶその姿形が、ノアの深く緋い意識に映り込んだ。

 そこには大きな、緋黒い鎧の獣のような影がある――


 誰もいなくなった噴水場には、漆黒の獣の鎧で全身を覆う怒り狂った戦士――「漆黒の狂戦士」――の姿が堂々とさらけ出されていた。

 身の丈は優に2メートルを超える。

 鎧は、大きな花弁の形をした漆黒の鱗を重ねたようで、ほかには目立って、太く巨大な鉄(ぐさり)の尾が腰から前にまわされ、肩へ斜めに掛けられる。


 兜は、鋭い犬歯――上に2本、下に2本も――の発達した、龍とも狼ともいえない獣口の形をする。

 それはまるで、首下まわりから人の頭を丸呑みにしたようで、半開きになった口の奥の暗闇から丸くぼんやりと光る深い緋色の目――深緋こきひの目――を二つのぞかせる。


 今、ノアの無力な意識は、その「深緋の目」の奥に宿っているようだった。

 その目にはまだ、緋に染まる「漆黒の狂戦士」をぼんやりと映しつづけている。


(……これが……俺……)


 大爪の先から、払いきれなかった血が一滴落ち、水面に小さな波紋をつくった。


 ノアは絶句した。

 ただでさえ、戦場に身を投じるがゆえに|少年を演じてきた彼女は、すでに自分という本質ものが、女か男なのかも曖昧になっていた。

 そこに、さらなる追い打ちをかけるのか。

 水面にあるのは、〈緋黒い〉獣鎧の戦士であり、さっきまで鋭い大爪で殺戮に興じてきた、狂った「バケモノ」の姿であった。


 いよいよノアは、遅れた恐怖を呼び起こす。

 すると奇妙にも、緋黒く見えていたその巨躯も、今では闇よりも深い「漆黒」、それも「漆黒の狂戦士」なのだと認識できた。


(……嘘?……嘘だ!!……)


 逃げだそうとしても、ノアの身体は当然のように動かない。

 そうこうするうちに、漆黒の狂戦士は深緋の目を左右に動かしだした。

 あきらかに、次の獲物を探そうとしている。


 ノアはその先を想像するなり、吐くことのできない吐き気をもよおし、今にも失神してしまいそうになった。

 しかしながら、この「漆黒の狂戦士(バケモノ)」の中に囚われた、彼女の深く緋い意識は、自らの意志で断ち切ることなどまったく叶わないのだった。


 気づけば、街の城兵や敵兵までもすべて入り乱れ、どこからともなく現れた漆黒の狂戦士と対峙していた。

 彼らはみな屈強な兵士だった。

 むろん、その精鋭たちが束になったところで、たった一人のバケモノを抑えることなどできなかった。


 狂戦士の黒く長い大爪はしなやかに鋭く、どんな兵士の頑強な板金鎧でも、武器もろともかんたんに切り裂いた。

 2メートルを超す身丈の上、獣のようにすばしっこく、たとえ攻撃をあてられたとしても、その漆黒の鎧は剣も弓矢も突き通さない。

 それは兜からのぞく顔、それも目でさえも傷一つ負わせられない。

 だからといって、身をひそめてやりすごそうにも、なぜか狂戦士は、鼻でも利かせるかのように、いともかんたんに獲物を見つけ、躊躇ちゅうちょなく命を奪った。

 しだいに、その場にいた兵士たちも、無数の〈残虐な死〉をのあたりにし、恐れ慄いて逃げだしていった。


 もう《《誰一人》》、逃げきれるはずもないのに――


 漆黒の狂戦士はこの城郭の街から、人がいなくなるまで殺戮に明け暮れた。

 やがて、ノアの身体は元に戻ったが、この「バケモノ」はずっと、その身体の奥底に潜むよう宿りつづけた。


 バケモノはもし、ノアが不安に押しつぶされようものなら、たちまち身体の中から現れ、そのままその身体を奪って暴れだすのだった。

 ならば、今度は命を絶とうにも、またもやそいつは現れ、彼女の身体を蘇生し、奪い、同じように暴れだす――


 以来、ノアは終わりのない悪夢を見つづけている。

 彼女は、この呪われた不死身の身体を悲しみ、漆黒の狂戦士を憎みながら、それでも孤独に、強く生きていくしかすべがなかった。


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