家族日記
11月某日 関東某所にて
我が家の食にうるさい父は、会員制倉庫型卸売小売店にて、その力をいかんなく発揮する。
まず、カートが似合う。
168センチ105キロという横に広い体型と、その日本においては不自然に大きなカートは、まさに黄金比と言えるだろう。
父はそのたくましい腕でカートを押し、店内をくまなく散策する。
最初は家電、雑貨等を談笑を交えながら必要なものだけをカートにのせ、無駄のない動きで次へ次へと進んでいく。
父の向かう場所は生鮮製品売り場。
まさに戦場である。
行きかうカート。泣き叫ぶ子供。試食に並ぶ長蛇の列。
ここで我が家は連係プレーへと移る。
この時点で大量の洗剤、冷凍食品等が詰まった我が家のカートは、もはや父の手によってしか押し進めることができないほどの重量になっている。このまま戦場に突入することは難しい。このカート、柔道初段の私の手をもってしてもびくともしない。
この戦況において重要となるのは役割分担、そして家族間の利害の一致である。”何が食べたいか”この利害の不一致は時に思わぬ事態を招く。過去、「ホットケーキが食べたい」と発言した母は父の反対を押し切り1キロのホットケーキミックスをカートへと押し込んだ。結果、そのホットケーキミックスは開封されることすらなく、燃えるゴミの日に惜しまれながら姿を消した。
もしこのような無駄な消費が、この生鮮製品売り場で行われたらどうなるだろうか。すでに残り容積の少ないこのカートの中では致命傷となりかねない。
”我が家に必要な生鮮製品”それはすでに行きの車の中で十分に議論されている。よって我が家においてこの時点で論争がおこることはほぼない。
私と母がカートを邪魔にならない場所で見張り、父が素早い動きで生鮮製品を厳選し、カートへとのせる。この行為は雛にえさを与える親鳥のごとく繰り返される。
肉を選ぶ父のそのまなざしは真剣そのものだ。厳選に厳選を重ねた父のその手には和牛が握られていた。
「良い肉すぎるかもしれない・・・。」
ぼそりと、父が呟いた。
家に帰るまでが遠足、とはよく言ったもので、家に帰るまでが買い物である。
コストコのカートが押せなくなるほど詰め込まれた商品は家に着くとバケツリレーの要領でそれぞれ適所適材の配置に運ばれていく。
こうして我が家の買物は終息するのである。