『訪れたその日』
「時間だ。出ろ」
監視員は表情一つ変えずに彩弓に促した。彩弓は嫌がる様子も見せず素直に檻から出た。
「彩弓…っ!」
殆ど全身に包帯を巻かれた愛理衣が強く首を横に振りながら彼の手を取って引き留めた。
「大丈夫だよ、愛理衣。待ってて」
彩弓は微笑みながら彼女を安心させた。愛理衣の手をスッと引き離し、監視員とともに行ってしまった。愛理衣は力なく肩を落とし流れた滴は音もなく床に落ちた。
「お前にはとっておきの罰を用意した」
そう言って監視員に連れられてきた場所は懲罰室だった。意味深な道具が飾られている。彩弓は天井から吊るされている鎖に両手足を繋がれ、身動きを封じられた。
「お前はあいつらのリーダーだろ?あんまり偉そうな態度取るとどうなるか思い知らせてやるよ」
監視員がスイッチのようなものを押すと、途端に彩弓の悲鳴が響き渡った。
「痺れるだろう?その鎖からは電流が流れる。いつまで耐えられるかな…?」
「っ…!お前ら全員、燃やしてやる…!」
痛みに耐えながら彩弓は叫んだ。
「残念。ここではお前達の能力は使えないんだ。バカな真似はよせよ?」
またスイッチが押され、彩弓は激しい痺れに襲われた。電流が流れる時間はほんの数秒だ。彩弓は何とか耐えた。監視員の思い通りにはなりたくない。強い意志が彼を支えた――。
「ねぇ、神流。彩弓の声、聴こえる?」
いてもたってもいられない様子の愛理衣は神流に聞いた。
「えっ…」
「お願い…!」
愛理衣の悲痛な願いに神流は応じた。頷いてみせると神流は神経を集中させた。
『…助けて…』
聴こえたのは小さな叫び。彩弓は絶対に弱音を吐かない少年だった。どんな拷問にだって泣かずに耐えていた。そんな彼だから皆もついてきた。頼もしい背中に全てを救われた気がした。だから彼が誰かに助けを求めるなんて初めての事だった。
「聴こえたの?ねえ、神流…!」
愛理衣が神流の腕を揺する。
『もう嫌だ…』
「彩弓…」
「聴こえたの?!」
神流は何も答えられなかった。彩弓は今までどれだけの辛い感情を押し殺してきたの…?
平穏が崩されたのは突然の事だった。リンはその日もいつもの様に広場で歌を披露していた。観客席には教え子の子ども達とレイラとアスカがいた。変わらない日常、全てがいつも通り。その筈だった…。
「きゃあぁあ!」
リンの歌声を遮ったのは女の子の悲鳴。広場に黒服の男達がいきなり現れ,観客の一人を殺していた。
「リン!」
危機を感じ取ったアスカとレイラが彼女の元に駆け寄る。
「逃げるぞ」
「うん」
その刹那,レイラの胸を鋭く光る剣が貫いた。レイラは吐血し、バランスを崩した。
「レイラ!!」
スッと剣が抜かれ、レイラはその場に倒れた。地面には大量の血が流れ、レイラの顔色が蒼白くなっていく。
「レイラ…!」
彼女はもう息も絶え絶えだった。リンはレイラの手を強く握りしめた。
「やだ…レイラ…死んじゃやだよ…!」
「…リン…アスカ…」
痛みに耐えながらレイラは口を開く。
「ずっと…一緒にいてくれて……ありがとう……ございます…」
「何言ってんだよ、レイラ。そんな…最期みたいな事いうなよ…」
「アスカ・・・・・・だい・・・ す・・・・・・き」
音もなくレイラの手が地に落ちた。彼女は最期まで変わらぬ微笑を浮かべていた。
「イヤ……レイラァ…!」
突然の友の死に二人は涙を流した。次第に冷たくなっていく彼女の身体。
「お前がリンか?」
二人の哀しみを他所に黒服の男達が聞いた。
「・・・何でレイラを殺したの!?」
リンは怒りに満ちた目で問いを投げ掛けた。
「邪魔だったからだ。能力を持たぬ者は殺す」
「邪魔って・・・。其だけでレイラは殺されたの・・・?」
「そうだ。お前には特別な能力がある。殺すには惜しい」
「勝手な事言わないで・・・」
「我々と共に来てもらうぞ」
ガチャンとリンの両手に手錠が付けられた。
「リン!」
アスカが男達に立ち向かう。だが、男達は表情一つ変えずにアスカの片腕に剣を突き刺した。
「アスカ!!」
「・・・リン…」
「こいつを助ければお前の命はない」
剣先を向けられ、アスカは身体が動かなかった。
「フン。仲間と言えど所詮助けられず仕舞いか。憐れだな」
「アスカ…」
連れて行かれるリンをアスカは見てるだけしか出来なかった。次第に意識が遠くなり、アスカはその場に倒れた――。
その日、神流達を除く子ども達が一斉に地雷撤去へと駆り出された。監視員達も殆ど出払っており、収容所には神流達しかいなかった。
「傷、痛むか?」
彩弓は優しい口調で愛理衣に聞いた。
「アタシは平気…。彩弓の方が痛むでしょ…?」
昨夜、戻ってきた彩弓は全身に火傷の痕がついていた。其でも彼は辛い表情を一切見せず、いつものように「大丈夫」と囁いた。
「これ位、平気だよ」
「また強がりか」
麗夢が突っ掛かった。
「別にそうじゃない」
「どうだか。いっつも笑って誤魔化してるじゃねぇか。ホントの事言えよ」
「…言ってどうなるの?」
「どうにもならねぇよ。ただ、本音を偽って平気な面してる方がムカつく」
「じゃあ、麗夢は言えるの?何にも包み隠さず本当の事言える?!其でまた辛さを認識するのはおれは嫌だっ…!」
初めて彩弓が声を荒げた。
「…辛いって言えるだけまだマシだよ。本当に辛いって言えなくなったらお仕舞いだ」
麗夢のその言葉に皆、共感した。彩弓も反論しなかった。今はまだ気持ちが言葉になる。けれどいずれ感情さえも失われていく。その時が来るのはそう遠くない。感情が薄れてしまう前にこの悪夢が覚めればいいと願わずにはいられない――。
「何で…こんな目にあわなきゃいけないの…」
愛理衣が小さく呟いた。
「アタシ達が何したっていうの…?何にも悪い事なんてしてないのに」
「愛理衣…」
彩弓が彼女を支える。此処に容れられるのに理由などない。ただ、他人とは違った力を持っていただけの事。能力を悪用した事などない。其なのに無理矢理檻に容れられた。怒りも覚える。最後に空を見たのはいつだっただろう…。
「逃げようか」
不意にそう提案したのは、戒だった。寡黙な彼のその一言に皆が視線を注いだ。
「何…言ってんだよ。そんな事…」
「出来ないなんて誰が言ったの?今なら誰もいない。やるなら今しかないけど」
脱獄なんて考えた事もなかった。逃げる事は不可能だと思っていたから。
「…やろう」
彩弓が賛同した。
「でも…どうやって…?」
「檻から出れれば良い訳でしょ?」
戒は静かに檻に触れた。意識を集中させると檻の格子が熱を帯びて曲がった。
「なっ…!」
「ごめん、今まで黙ってて。でも能力に目覚めたのは最近だったから、巧くコントロール出来なくて。意識集中させたら案外イケるもんだね」
「やるじゃねぇか」
神流達はすかさず開けた檻から出た。外に行ければ能力が使える。暗い空間を六人は一気に駆けていく。出口は必ずどこかにある。六人の表情は些か笑っているように見えた――。