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第25章:嘘つきの恋《後編》

【SIDE:井上翔太】


 早朝、母さんに頼まれた資料を届けに勤務先の病院を訪れた。

 俺が出会ったのは口髭の似合う謎のおじさん。

 母さんの事を知っているようだが、一体誰なのだろうか?

 

「……そう言えば、名前を聞いてもいいだろうか?」

 

「俺は井上翔太って言います」

 

「翔太。そうか、いい名前だ。僕は佐々木信彦(ささき のぶひこ)。この病院の院長をしている」

 

「院長先生だったんですか?」

 

「ひと月ほどまえに就任したばかりだよ。それまではずっと地方の大学病院を転々としていた。この病院は僕の祖父が経営する系列の病院でね。ようやくここに落ち着けそうだ。……葉月、キミのお母さんとは古い友人だったんだ」

 

 うちの母がこの病院に来て、すぐに看護師長になれたのは彼のおかげなのだろうか?

 その事を尋ねて見ると、彼は笑いながら言う。

 

「逆だよ。僕が彼女にこの病院にきてもらえるように頼んだ。看護師として優秀な彼女を、別の病院から引き抜いてきたのさ」

 

「そうだったんですか」

 

 廊下を歩きながら俺は母の態度を思い出す。

 この病院の話を受けた時、どこか嫌そうにしていた気がしたのだが気のせいか?

 

「……佐々木さんと母さんはどういう知り合いなんですか?」

 

「僕と葉月かい?十数年前、初めて勤めていた病院が一緒だったんだよ。まだ僕は2年目の研修医で、彼女も新人ナース。互いに新人として、戸惑い、悩み苦しみながら大変な仕事に明け暮れていた。それから僕も地方に行ったりして、疎遠気味になっていたんだ」

 

 彼はそこで言葉を止めて、俺の顔を見る。

 

「その後も時々、仕事で逢うことはあったが、本格的に1年ほど前にこちらの地方に再び戻ってきたのが縁で葉月と再会したんだ。それからは友人付き合いもしている。だが、キミの話は葉月からは聞いていなかった。子供がいる事もね」

 

「……母もいい歳ですけど?」

 

「ははっ。そう言う意味じゃない。彼女はあまり自分の事を話さないから気になってね。まぁ、十数年たてば変わっている事もある。彼女が結婚して、子供がいる事も知らないのは友人としては恥ずかしい事だな」

 

 彼は苦笑いをして、口髭を撫でた。

 

「佐々木さんは結婚しているんですか?」

 

「していた、が正しいかな。10年ほど前に結婚したが、3年前に離婚してね。妻には逃げられてしまったよ。自分でも反省しているが、家庭をかえりみない典型的なダメ夫だったからね」

 

 医者と言う仕事は忙しい事もあり、うまくいかなかったようだ。

 離婚後、彼は今は8歳になる娘とふたりで暮らしているらしい。

 

「キミは何歳かな?」

 

「今年で17歳になります。高校2年生ですよ」

 

「17歳?17年前……?」

 

「……それが何か?」

 

 彼は何か気になったのか、歩く足を止める。

 

「いや、何でもない。質問ばかりで悪いが、キミのお父さんはどういう人だろう。やはり、医師とか医療関係者かい?」

 

 俺の父親……顔も見た事のない、名前も知らない相手だ。

 少なくとも俺の記憶に父親の記憶は一切ない。

 

「父親は知りません。母は未婚らしいので」

 

「……未婚?結婚はしていないのか?」

 

「結婚はしていないらしいですよ。俺も実際の父親とは会った事もありませんから。ずっと母さんと二人暮らしをしてます」

 

 彼ならば、俺の父親の事を知っているのではないか。

 そうは思ったが、長らく会っていなかった事を思えば知らない可能性の方が高い。

 別に今更知りたいわけではないので別にいいか。

 

「ふたりで暮らすのは大変だろ?看護師なんて忙しい仕事だ」

 

「もう慣れましたけどね」

 

 そんな話をしていると、内科のナースステーションに到着する。

 

「僕はこの隣の部屋に用があるので、これで失礼するよ。また機会があれば、今度はキミの話を聞かせて欲しい」

 

「案内してもらい、ありがとうございます」

 

 俺は礼を言って彼を見送ってから、ナースステーションに入る。

 時計はギリギリ時間内、怒られずに済む。

 

「あの、井上葉月はどこにいますか?」

 

 俺が中に集まっていた女の人に声をかけると、すぐに呼んでくれる。

 母さんは俺の顔を見るや否や、「翔太、遅い」と俺を責める。

 

「せっかく持ってきてあげたのに、それかよ。これでも出来る限り、早く来たつもりだ」

 

「……時間内でよかったわ。ありがとう」

 

「今度は忘れものなんてしないようにしてくれ。そういや、さっき佐々木さんっていう院長にあったんだけど、母さんの知り合いだったんだな。口髭がダンディズムなおじさんだったぞ」

 

 俺がここまで案内してもらった事を話すと母の顔色が変わる。

 

「えっ……あの人に会ったの?」

 

「古い友人なんだろ?彼の誘いでここに来たって聞いた」

 

 何かに警戒するような彼女。

 佐々木さんに気をつける理由でもあるのだろうか?

 

「そうね。確かにそうだけど……。何か話をした?」

 

「普通の話をして、俺の事を聞かれた。母さんに子供がいたって知らなかったらしい。黙っておくほどの事か?」

 

「聞かれないから言わなかっただけよ。別に自慢できる子じゃないし」

 

「グサッ。そりゃ、医者相手に自慢できるほど出来がよくなくてすみませんねぇ」

 

 素で言われると傷付くわ。

 まぁ、その辺が母さんらしいんだけどな。

 

「あの人と母さんは仲が悪いのか?」

 

「本当に悪いなら、私が病院を移るはずがないでしょ?」

 

「そりゃ、そうだが……」

 

「昔の同僚のよしみで給料の良いこちらを紹介してくれただけよ」

 

 いつもならはっきりものを言う母さんにしては珍しい歯切れの悪い言い方だ。

 母さんは俺の言葉をはぐらかして資料を受け止る。

 

「……もういいわ。気をつけて帰りなさい」

 

「うぃっす。眠いからもうひと眠りする」

 

「学生は良いわねぇ。羨ましいわ。私もあと3時間ほどで帰るから」

 

「はいはい。それまでに風呂の準備くらいしておくよ。それじゃ」

 

 俺は任務終了して母さんと別れる。

 さぁて、さっさと朝飯食って寝るとするか。

 俺は朝焼けの眩しい中、再び自転車に乗って家に帰る事にした。

 

 

 

 

 ……。

 看護師会議を終えた葉月に佐々木が声をかける。

 

「葉月。少しいいかい?」

 

「院長がわざわざ会議を見物?何か用事でも?」

 

「別に。現場を見ておきたかっただけだ。こちらの病院もすぐに慣れたようだな」

 

「設備がいいから、前よりも楽よ。人員も優秀だし、さすが私立というところかしら」

 

 葉月は佐々木の顔を見ずにそう答える。

 

「翔太君と話をしたよ。キミに子供がいたなんて聞いてないが?」

 

「聞かれなかったから答えなかった。それだけよ。別にいいでしょう?私も38歳だし、子供の一人くらいいるわよ」

 

「彼から結婚はしていないと聞いている。ずっと、ひとりで育てていたのか?」

 

「……翔太も余計なおしゃべりをしたわね。それが何か?」

 

 葉月は仕事があると彼をあしらうような仕草を見せた。

 だが、佐々木は葉月の手を掴みながら、逃がそうとしない。

 

「16歳らしいじゃないか。17年前、ちょうど僕達がそれぞれ違う病院に勤めるようになった時期だな。あれから何度か、会う機会はあったが、子供の話は一度も聞いたことがない。なぜ、何も言わなかった?」

 

「……だから、何?懐かしい話でもしようと言うの?」

 

「あの子の父親は……?」

 

 葉月はきっと唇をかみしめながらその手を振り切る。

 

「……誰でもいいでしょう?貴方の知らない人よ。勘違いしないで。私がこの病院への誘いを受けたのは貴方の事があったからじゃない。最低でも、翔太には大学くらい行かせたいから、給料の待遇のよさに誘いに乗った、それだけよ」

 

「なるほど……。葉月、相談くらいしてくれればいいだろう?」

 

 佐々木の言葉から逃げるように彼女は視線を俯かせる。

 

「17年、か。あの当時、キミはいきなり僕をフッて、一方的に交際を終わらせた。病院を離れる事が原因だと思っていたが、その意味をもっと深く考えておくべきだったかもしれない。葉月、正直に答えてくれ。あの子の父親は?」

 

「死んだわ。……翔太にとって、父親は17年前に死んだのよ。もうどこにもいないの。心配しなくても、父親は貴方じゃない」

 

「嘘なんだろ、葉月。彼の年齢を考えたら……」

 

 葉月は佐々木を無言で睨みつける。

 佐々木にとっては大事な話なので、その視線にも耐え続ける。

  

「……嘘なんてついてない。私が貴方と別れた理由はね、私に他の男がいたからよ。彼との子供ができてしまった。だから、貴方と別れた。その後にその彼も事故で亡くなったの」

 

「葉月、僕は……」

 

「浮気をしていた私を軽蔑した?翔太に罪はないわ。憎いと思うなら私だけを恨んで。そういうことなの。それがすべてなの!」

 

「恨むはずがない。キミは、そんなことをする子ではなかった。」

 

 佐々木の言葉をさえぎるように、葉月は辛辣な表情を見せて言う。

 

「昔の事よ。私が貴方を裏切った、それだけの事なの。お願い、もう、あの子には近付かないで」

 

 彼女は呆然とする佐々木を無視するように部屋を出ていく。

 ひとり取り残された佐々木は壁を力強く叩いた。

 

「……キミは嘘が下手だな、葉月。その程度の嘘に騙されるものか。それなのに、僕はバカだ。17年もキミのついたとんでもない嘘に騙され続けていたなんて」

 

 何とも言えない複雑な気持ちが彼の心の中に渦巻いている。

 

「井上翔太……。まさか、彼が僕とキミの子供なのか」

 

 自分の手が震えている事に彼は気づく。

 それまで考えもしなかった現実が彼を襲う。

 だが、どれだけ後悔しても17年と言う年月は取り戻す事が出来ない。

 

「今まで何度も葉月と会ってきたのに、何も知らなかったなんて……」

 

 そして、病院の院長と言う自分の今の立場も……その現実を受け入れる事を許さない――。

 

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