第16章:初恋の男の子《後編》
ヒロイン、琴乃視点のお話です。
【SIDE:藤原琴乃】
井上先輩との再会。
私が長年思い続けてきた人はすっかりと成長していた。
けれど、少しだけ会う時間が遅かったかもしれない。
「よかったじゃない。こっちゃんがずっと好きだった相手なんだから、恋人になれるといいね?」
彼女の何気なく言った一言に私は愕然とする。
「恋人……?」
そうだ、あれから10年経って先輩も変わっているはず。
「もしかして、恋人のひとりやふたりもいたらどうしようっ!?」
何たる失態、この時までその可能性は全く頭になかった。
いつか私が先輩の恋人になりたいという漠然とした憧れと夢。
小さい頃に出会っただけの男の子。
それでも、ずっと思い続けてきた私にはその事実はかなりショックだった。
もっと早く、会う事ができていれば……未来は違ったのかな?
「……そっか。先輩に恋人がいるんだ?」
「おーい、こっちゃん?」
「あれからもう9年8ヶ月も経ってるんだもん。先輩に恋人がいるのも、仕方なくて……仕方ないから……ぐすっ」
「え?あ、ちょっと待って!?こっちゃん、早まるな!?まだ何も知らないんだってっば。ホントに恋人がいるかも分からないんだよ?今日会ったばかりで本人かどうかもわからないんでしょうが」
そう言えばそうだった。
先ほど会ったばかりだと言うのに、思わぬ想像で私は自分自身を傷つけていた。
何も彼に恋人がいると決まったわけではない。
「まだ私にも可能性くらいはある?」
「十分すぎるほどにあるってば。その先輩が本当にあの翔太クンなのか、確認して、色々と調べてみればいいじゃない。恋人とかの話はそれからでしょ?ね?」
マユの励ましに私は落ち込んだ気分から少しだけ回復する。
「……うん。調べてみよう」
「よしっ。とりあえず、今日はこのまま帰ろう。明日から私もお手伝いしてあげるから。今日は入学気分を味わおうよ?帰りに、駅前のケーキが美味しいお店にでも……」
親友の励ましって結構大きいものだった。
たった一言で余裕のなかった私を落着かせてくれたのだから。
数日後、私は出来る限りの方法を使って先輩の事を調べた。
この学園に通う知り合いの先輩達への聞きこみで分かったのは……。
「先輩はやっぱり、井上先輩だよ。間違いなかった」
昼休憩、マユとお互いにいろんな人から聞いてきた情報を交換し合う。
「……どうやら、本物みたいな感じ。母子家庭でお母さんが看護師って言うのもあってるんでしょ?部活は所属なし。現在は帰宅部。頭も特別いいわけでもなく、運動神経もそれほどでもない、ごく普通の男の人って印象が強いね?ていうか、これだけ平凡というか普通の子が翔ちゃんだったんだ?」
「変な事を言わないで。井上先輩はやればできる子なの」
「……それ、思いっきり失礼な発言だってことだって気付いてる?」
だって、普通とか言われるとなぜかムッとするんだもの。
それはさておき、間違いなく先輩があの時の男の子だってことは判明した。
「こんな遠まわしな事をせずに、こっちゃんのお母さん経由で調べてもらえれば楽だったんじゃないの?親友でたまに遊びに来たりするんでしょ?」
「それは、そうだけど……恥ずかしいじゃない」
肉親に自分の好きな人を知られるのって結構恥ずかしい。
両想いならまだしも、まだ片思いでしかないんだから……。
お母さんに知られたら絶対にからかわれるに違いない。
その羞恥に耐えてまで、彼女を頼るという選択肢は選べなかった。
「で、目的の男の子が翔太クンだと判明して、こっちゃんはどうするの?」
「……しばらくは様子を見たいの。まだ、正式に恋人がいないか分からないから」
「残念ながらいないっぽいよ?いないというより、世間的にはあんまりモテないっていうか……あっ、別に翔太クンの容姿とか性格がどうとかって言うんじゃなくて、女の子受けする側の子じゃないってだけだよ?そんな怖い顔をしないで?」
私が睨みつけると彼女は慌てて言葉を言いかえる。
先輩の恋愛関係における情報はほぼ皆無だった。
浮いた噂も話も特になし。
実際に聞いてみなければ分からないけれど、先輩には交際している女性はいないようだ。
「様子見って、それだけ好きなら告白しちゃえばいいのに?」
「簡単に言わないで。『好き』とかすぐに言えるはずがない」
「そうやってのんびりしてても、恋人はできないんじゃないの。ウジウジしてたら誰かに先を越される可能性も無きにしもあらず。まぁ、こっちゃんが奥手な純情っ娘ってのは知っているからしょうがないけどさ」
「……分かったわ。今すぐにでも告白して来る」
マユは「ま、待って。からかってごめん~っ」と急いで私を止めてくる。
でも、彼女の言うとおりなんだと私は理解はしていた。
何もしないで大好きな人を手に入れることなんてできるはずがないんだ――。
入学式から早数週間、ようやく高校生活に慣れ始めてきた。
中学の時とは違う生活習慣に最初は戸惑ったけれど慣れるのは早い。
私は屋上があまりにも気持ちよかったので図書館で借りてきた本を読んでいた。
心地よい風と穏やかな日差しを感じながらの読書はそれなりに雰囲気がいい。
私は本を読みながら、つい考え事をしてしまっていた。
「……来週にでも先輩に挨拶しよう。私の事を覚えていてくれるかな?」
私と井上先輩が過ごしたひと夏と言う時間は短いものだった。
小学校1年生の初めての夏休み。
私の家に預けられた男の子がいた。
母の親友の息子、それが井上先輩だったの。
最初は私に興味はあまりない感じだったけれど、少しずつ私の事を受け入れてくれた。
優しくて、彼の傍にいることがすごく楽しくて。
たったひと夏だけの思い出が……私にとって忘れられない一生の思い出だったの。
「覚えてくれているといいな……」
私は思い続けてきたから先輩の事はよく覚えている。
でも、先輩はどうなんだろう?
私の事なんて忘れてしまっているかもしれない。
その不安は常にあって……不安を隠すために私は自分に勇気を与える。
「頑張れ、私。先輩に会って告白しなきゃダメなんだから」
これまで思い続け来た気持ちを無駄にしたくない。
ダメかもしれないけど、自分なりにここまで頑張って来たつもりだった。
高校生になり、先輩と出会ってから私は自分を変えてきた。
「ここまでは何とか準備はしたつもり。後はタイミングと運がよければ……」
近いうちに私は先輩に告白するつもりなんだ。
それだけのために今日まで準備をしてきたの。
これまで気にしていなかった容姿だって、自信を持てるように化粧なども覚えた。
お世辞程度かもしれないけど、クラスメイトの男子からも評判はいい。
それに私は決めたんだ。
先輩に告白して断れるまで自分からは諦めないって。
例え、私の事を覚えてくれなくたっていい。
先輩にとってはそこから始まりでもいいから、私を受け止めて欲しい。
我が侭だよね、すっごく我が侭な自分の気持ち。
「……でも、好きな気持ちは止められない」
止められないの、自分ではもうこの気持ちを抑えることなんてできない。
私は本を読むのを止めて、腕時計を眺める。
そろそろ家に帰ろうかな。
立ち上がろうとした時、私は気づいたんだ。
いつのまにか、屋上には人がいた。
誰かいたのに私は気づいていなくてドキッとする。
考え事に集中し過ぎていたらしい。
こんなところを人に見られるなんて恥ずかしいなぁ。
私は慌てて本を片づけようとする。
「あっ!」
私を不思議そうな視線で見つめていたのは男の人だった。
彼は私に気づいて、こちらをジッと見つめている。
嘘だと目の前の現実を疑った。
そんなはずない、これは私の妄想かもしれない。
こんなに都合のいい現実が起きるはず何かないんだって。
「……っ……!」
思わず持っていた本を落としてしまう。
そこにいたのは、井上先輩だった。
偶然にしては出来過ぎていて、必然とか言っちゃうとドラマの見過ぎだと笑われてしまうかもしれないけれど……。
私はその偶然に似た必然を信じた。
これは神様が与えてくれた私へのチャンスなんだ。
あの10年前の夏から恋い焦がれ続けてきた相手。
「――好きです。私と付き合ってください」
思わず自分の口から出てきた言葉に一番自分が驚いたと思う。
あまりにも素直に、自然に、当然のように口から出た一言。
恥もなく、身体が震えてしまうこともなく。
本当に想いのままに、彼への気持ちが溢れ出た。
さっきまでどう告白しようかシチュエーションを考えていたのがバカらしく思えるほどに、あっさりと現実と言うのは動き出す。
「……はい?」
彼は呆然としながらそう呟いた。
ずっと忘れることのない思い出がまたひとつ、出来上がる。
ほぼ10年の歳月をかけた再会、そして告白。
私はこの初恋を成就させたい。
好きな人に好きだって想いを伝えて、大切な人と結ばれたい。
恋している人間ならば誰だって思うことでしょう?
井上先輩、大好きです――。