第15章:初恋の男の子《前編》
ヒロイン、琴乃視点のお話です。
【SIDE:藤原琴乃】
――大好きだった人がいた。
記憶に残り続けている小さな頃に一緒に遊んだ男の子。
ひとつだけ年上で、私にとっては初めて親しくなった男の子だった。
ひと夏だけの思い出を彼はたくさんくれた。
また会える日が来る事を期待して、私は彼の事をずっと思い続けていた。
……淡い初恋を今も抱き続けながら。
「琴乃、何をしているの!今日は入学式でしょ!」
「ふぁい……うぅ、眠い」
「ホントに朝の弱い子ね?そんなので高校生活、大丈夫なの?学校も遠くなったんだから早く準備しなさい」
「はーい」
私は眠い目をこすりながらベッドから降りる。
真新しい制服を着ながら登校の準備を済ませる。
春真っ盛り、今日は高校の入学式だった。
朝食を食べ終わった頃には急がないといけない時間帯。
「いってきますっ」
「気をつけるのよ?いってらっしゃい」
お母さんに見送られて私は自転車に乗る。
家を出てからすぐに急な坂道がある。
その手前で一人の少女が私の事を待っていた。
「遅いよ、こっちゃん~」
「ごめんね。ついのんびりしちゃって。マユは時間通り?」
「当然じゃん。私はせっかくの高校生活を楽しみにしてたの」
ふんっと私を叱る彼女は雑賀麻由美。
私の幼馴染で同じ高校に進学している。
「ほら、早く行かないと入学式に間に合わないよ」
私達は気持ち急ぎながら自転車をこぎ出す。
「ねぇ、高校に入ったらマユは何か部活でもする?」
「まだ決めてないけど、運動部は決定。陸上部とか面白そうじゃない?」
「マユには何でも合いそう。私は帰宅部、決定かな?」
「こっちゃんは運動苦手だからね。高校っていろんな部活があるんだから何かひとつくらいやってみればいいよ」
マユにそう言われて私は微笑で返す。
いろいろとありそうだけど、私は特に部活をしたいとは考えていない。
アルバイトとかしてみたいとも思っているし。
「考えておくよ。そろそろ高校だね」
私達は自転車置き場に自転車を止めて、自分たちのクラスを確認する。
「マユと同じクラスだ。よろしくね?」
「よかった。こっちゃんと一緒ならまたテストの時に助けてもらえるもん」
「え?それだけ?」
「それも本音だけど、こっちゃんと一緒になれて嬉しいよ」
やっぱり、初めての場所に知り合いがいてくれるのは心強い。
入学式が行われてこの高校に入学したんだという自覚が湧いてくる。
体育館で校長先生の挨拶を聞いていると眠くなってくる。
「ふわぁ」
つい軽く欠伸をしてしまう。
春先って温かいからいい心地なの。
ウトウトしかけていると、私が眠ってしまう前に先生の話が終わった。
「……こっちゃん。寝てたでしょ?」
入学式の終了後クラスに戻る時にマユに注意される。
「寝てないって。寝そうになったけど」
「寝ちゃダメでしょうが。この後、先輩が学校の案内してくれるんだって」
わざわざ先輩が案内してくれるらしい。
しばらくすると私のクラスに何人か男の生徒たちが入って来た。
校舎内を案内してくれる先輩達。
「へぇ、結構広い校舎だ。思ったより迷子になりそう」
マユがそう言うのも頷ける。
五角形の形をした校舎なので、どこがどこなのか1度、2度では覚えきれない。
どこを通っても同じに見えるんだもん。
「でも、この学校の設備っていいね。図書館も広いからいろんな本があるよ」
私達が最後に案内されたのは図書館だった。
「こっちゃんって本を読むの大好きだから楽しめそうじゃない?」
「うん。それは言えている」
私の趣味は読書なのでこれだけ多くの本があると読み応えがありそうだ。
いくつか気に入った本を見つけて私は楽しみにしていた。
「……こっちゃん、どうしたの?」
ふとある事に気付いて私は辺りを見渡した。
「ごめん、携帯が見つからなくて……。あれ、どこかで落としたかな?」
「鳴らしてあげよっか?」
「うん。お願い。もしかしたら、落としたのかも」
マユが私の電話にかけてくれると、誰かが電話に出た。
「あ、はい。そうですか、ありがとうございます。これからそちらに行きます。はい……、と。こっちゃん、携帯見つかったよ」
「誰か出てくれたの?」
「うん。体育館に落ちていて、後片付けをしていた先輩が見つけてくれたみたい。今、預かってるから体育館に取りに来てってさ。先生に言っておいてあげるから取ってきなよ。拾ってくれていてよかったじゃない。ムダに探しまわる手間がはぶけた」
どうやら、入学式の時に体育館に落としてきてしまってたようだ。
拾われていた事にホッとした私はすぐに体育館へと取りに行くことにした。
体育館では先ほどの入学式の後片付けで何人かの先輩達が椅子などを運んでいた。
「あ、キミね?はい、これ。椅子の下に落ちていたのよ」
体育館に入ると女の先輩が私に携帯を手渡す。
「持ち主がすぐに見つかってよかったわ。なくしちゃダメよ」
「ありがとうございます」
「うん。これからいい高校生活を始めてね」
「はい。頑張りますっ」
携帯電話がすぐに見つかってよかった。
先輩に私はお礼を言ってからその場を立ち去ろうとする。
その時、前から二人組の男の子が机を運んでいた。
「あっ、ごめん。そこをどいてくれるかな?」
私はそっと避けるとひとりの男のが「ごめんね」と軽く挨拶してくる。
私は通り過ぎていくその横顔を見つめていた。
「おい、中山。これが終わったら帰りにどこか寄らないか?」
「いいねぇ。ゲーセンにでもよっていくか。そういや、井上って……」
井上、という名前に私はハッと振り向く。
優しげな笑顔を浮かべる男の人。
その顔には確かな面影があった。
間違いない、あの人は……!?
彼らは倉庫の方へ立ち去ってしまったので私も教室に戻る。
私は高鳴る気分を抑えながら、あの人の事を思い返す。
「……井上、翔太……?」
私が幼い頃に出会った初恋の男の名前、それが井上翔太。
彼が同じ高校にいる、それを知った瞬間の高揚感と興奮は私を驚かせる。
だって、また彼に会えるなんて思っていなかったんだもの。
教室に戻り、今日の予定が終了してから私はすぐにマユを連れ出す。
「な、何よ?どうしたの?」
「あのね、見つかったの!」
「そりゃ、携帯電話は見つかったでしょう?先輩が拾ってくれたんだもの」
「違うのよ、マユ。あの人とさっき会ったの。あれは絶対に間違いなく彼よ!そうに違いないわ。うわぁ、どうしよう?本当に?会えるなんてなんて思ってなかったのに、同じ高校だったんだ」
マユは興奮する私に「ちょっと落ち着きなさい」と軽く額を叩かれる。
「……彼って誰よ?誰かに会ったの?」
「うんっ」
「こっちゃんがここまで興奮する相手って……もしや、翔太クン?」
彼女も以前に彼と会ったことがあるので、すぐに名前を思い出したようだ。
「そうよ。間違いないって。本当にまた会えたの~っ」
「喜ぶのはいいけど、それって間違いなく本人?」
「決まってるじゃない。話はしてないけど、間近で顔は見たの。本人だったわ」
「話してないのに断言できる?あれから何年経っていると思うのよ」
あの思い出の日々から過ぎ去った年月は遠い。
「9年と8ヶ月。もうすぐ10年目よ」
「……こっちゃん、よく覚えているね?私も覚えているけど、そこまで詳しくは覚えていないって。さすがに恋している女の子は違うわね。それで、翔太クンはここの先輩だったの?」
「えぇ、井上先輩にまた会えるかもしれない」
そう思うと嬉しくて仕方がないの。
彼の母親は私の母と親友なので、付き合いはある。
けれど、先輩本人の話は私もしないのでこれまで会えずにいた。
ほぼ10年の月日を経て、再会できたことの喜びは大きい。
「ていうか、何で井上先輩って呼ぶわけ?昔はちゃんと名前で呼んでたのに。そんな他人行儀にいきなりならなくても」
「だって、今さらそう呼ぶのは恥ずかしいでしょ?」
「……よく分かんないけど、よかったじゃない。こっちゃんがずっと好きだった相手なんだから、恋人になれるといいね?」
彼女の何気なく言った一言に私は愕然とする。
「恋人……?」
そうだ、あれから10年経って先輩も変わっているはず。
「もしかして、恋人のひとりやふたりもいたらどうしようっ!?」
「……こっちゃんってそんなキャラだっけ?」
運命的な再会に喜ぶ私に呆れるマユ。
それは桜の散り始めた春のお話、この物語が動き出すまであと少し――。