表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: U3
覚醒と変身

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/18

第8話 帝王学と演技指導

 東京・大手町。

 アマン東京のコーナースイートは、静寂に包まれていた。

 だが、その静けさは、これから始まる嵐の前の張り詰めた緊張感を孕んでいた。


「……違います、ムッシュ・イノウエ」


 部屋の空気を切るように、鋭い声が響いた。

 声の主は、白髪の老紳士だ。元英国大使館付きの執事で、現在は富裕層向けにマナーや振る舞いを指南しているフィリップという男だ。

 井上健太郎は、手に持っていたワイングラスをテーブルに置いた。


「グラスの持ち方は完璧です。姿勢も、歩き方も申し分ない。……ですが、目が泳いでいます」


 フィリップはステッキで床を軽く叩いた。


「あなたはこれから、帝都グループという巨大な王国の住人たちと対峙するのでしょう? ならば、あなた自身が『王』でなければならない。王は、決して他人の顔色を窺いません。他人に『見られる』のではなく、他人を『見る』のです」


 井上は鏡の中の自分を見た。

 完璧なマスク。仕立ての良いスーツ。

 だが、その瞳の奥には、長年の習性である「卑屈さ」が、油汚れのようにこびりついていた。

 10年間、妻や義母の顔色を窺い、怒鳴られないように背中を丸めて生きてきた灰谷守の魂が、まだそこにいた。


「……難しいな」


 井上は苦笑いをした。口角を上げる角度は計算通りだが、声には自嘲が混じる。


「難しくて当然です。演技とは、自分を騙すことから始まるのですから」


 フィリップは厳しい表情を崩さないまま、次の課題を提示した。


「次は会話術です。相手の言葉尻を捕らえ、沈黙で威圧し、視線だけで肯定も否定もする。……言葉数を減らしなさい。沈黙は金、雄弁は銀。特にあなたのそのバリトンボイスは、囁くように喋ることで最大の武器になります」


 それからの数日間、井上は地獄のようなスケジュールをこなした。

 午前中はフィリップによるマナーと帝王学の講義。

 午後は元心理捜査官による、嘘の見抜き方と人心掌握術の訓練。

 夜は社交ダンスのステップと、カジノでの振る舞い方。


 全ては、一週間後のパーティーで、西園寺麗華を堕とすための「武装」だった。

 金だけでは足りない。美貌だけでも足りない。

 彼女が崇拝する「圧倒的な上位存在」としてのオーラを纏わなければならない。


 異変が起きたのは、帰国して3日目の夜だった。

 ダンスのレッスンを終え、シャワーを浴びていた時だ。


「……っ!?」


 突如、顔面の奥底から、焼けるような激痛が走った。

 それは皮膚の表面ではなく、骨の髄から湧き上がってくるような痛みだった。

 井上は濡れた体のまま、洗面台にしがみついた。


「ぐ、うぅ……っ!」


 鏡を見る。

 顔が、歪んで見えた。

 いや、実際に痙攣しているのだ。右の頬骨のあたりが、あり得ない角度で引き攣り、埋め込まれたチタンプレートがきしむ音が、頭蓋骨を通じて脳に直接響く。

 拒絶反応だ。

 シュタイン博士が警告していたリスク。


 『骨格そのものを変える手術は、肉体に凄まじい負荷をかける。体が新しい形を異物として認識し、排除しようとするだろう』


「はあ、はあ……っ、鎮痛剤……!」


 井上は震える手でポーチを探り、博士から渡されていた強力な鎮痛剤を取り出した。

 水も飲まずに錠剤を噛み砕く。

 苦い味が口いっぱいに広がる。

 数分後、ようやく痛みの波が引き始めたが、鈍い頭痛と痺れは残ったままだった。


(……これが、代償か)


 井上は鏡に映る蒼白な自分の顔を睨みつけた。

 美しい顔。だが、その下では骨と肉が悲鳴を上げている。

 まるで、無理やり繋ぎ合わされたフランケンシュタインの怪物のようだ。


「……上等だ」


 井上はタオルで乱暴に顔を拭った。

 楽に復讐ができるなどとは思っていない。

 この身が朽ち果てるのが先か、西園寺家を地獄に落とすのが先か。

 命を削るレースだと思えば、この痛みさえも愛おしく……思えるはずがなかった。


「……クソッ」


 痛みを紛らわせるため、井上はバスローブを羽織り、リビングのソファに深く沈み込んだ。

 サイドテーブルには、最高級のバーボン。

 グラスに注ぎ、氷も入れずに煽る。

 喉を焼くアルコールが、少しだけ神経を麻痺させてくれる。


 広いスイートルームは、死んだように静かだった。

 話し相手はいない。

 孤独だ。

 だが、この孤独こそが、今の自分に必要なゆりかごなのかもしれない。


 井上は窓の外、眼下に広がる東京の夜景を見下ろした。

 無数の光の粒。そこには何百万という人々の営みがある。

 笑い、泣き、愛し合い、憎しみ合う日常。

 かつて、灰谷守もその中の一粒だった。誰にも顧みられない、ちっぽけで惨めな光。


(戻りたいか?)


 自問自答する。

 あの日々に戻れば、こんな痛みはない。

 誰かを陥れるための嘘をつく必要もない。

 ただ、犬のように尻尾を振って、残飯をもらっていれば生きていける。


「……戻るものか」


 井上はグラスを強く握りしめた。

 あの屈辱。あの絶望。

 雪の降る崖下で感じた、骨の髄まで凍るような無力感。

 それに比べれば、今の痛みなど、生きている証のようなものだ。


「俺は進む。……たとえこの顔が崩れ落ちようとも」


 井上は残りの酒を飲み干した。

 痛み止めとアルコールの相乗効果で、意識が泥のように重くなっていく。

 そのままソファで意識を手放した。


 翌朝。

 井上は、激しい眩暈と共に目を覚ました。

 頭が重い。二日酔いではない。もっと悪い何かが起きている。


 顔を洗おうと洗面所へ向かい、鏡を見た瞬間、井上は息を呑んだ。


「……なっ?」


 右半分の顔面の感覚が、完全に消失していた。

 触れても、つねっても何も感じない。

 口角を上げようとしても、左側しか動かない。右側は、まるで溶けた蝋のように垂れ下がったままだ。

 顔面麻痺。


 平衡感覚を失い、よろめいて壁に手をつく。

 視界が歪む。

 鎮痛剤が切れた反動か、それとも手術の不具合か。

 顔の中で、何かが崩れていく音が聞こえた気がした。


(マズい……このままじゃ、パーティーに出られない……)


 あと4日。

 この顔が崩れれば、全てが終わる。

 普通の病院には行けない。カルテを見られれば、整形の痕跡も、身元不明の骨格も全てバレる。


「……毒島だ」


 井上は這うようにしてリビングに戻り、スマートフォンを掴んだ。

 震える指で発信ボタンを押す。


「……はあ、はあ……毒島さん……俺だ……」

『どうした? 朝っぱらから幽霊みたいな声出して』

「医者を……紹介してくれ……」


 井上は呼吸を整えながら、必死に言葉を絞り出した。

 麻痺した唇から漏れる声は、酷く不明瞭だった。


「口の堅い、裏の医者だ。……腕が良ければ、無免許でも構わない」

『おいおい、まさかヤクでもキメてんのか?』

「顔だ……顔が、痛い……。このままだと、あんたへの投資もパーになるぞ……」


 金のことを出せば、毒島は動く。

 電話の向こうで、毒島が舌打ちをする音が聞こえた。


『チッ、手のかかる金蔓だ。……心当たりはある。元監察医のヤブ医者だが、死体を生き返らせるような腕を持ってる女だ』

「……女?」

『ああ。性格は最悪だがな。……すぐに場所を送る。這ってでも行け』


 通話が切れた。

 井上は床に倒れ込んだまま、天井を見上げた。

 シャンデリアが歪んで見える。


「……死なないさ」


 井上は自らを奮い立たせた。

 まだ何も始めていない。

 こんなところで、顔が崩れて終わるなんて、笑い話にもならない。


「動け……俺の足」


 井上はよろめきながら立ち上がり、コートを羽織った。

 サングラスをかけ、麻痺した右顔面を隠す。

 鏡に映る自分は、満身創痍の負傷兵のようだった。

 だが、その左目だけは、まだ死んでいなかった。


 井上は部屋を出た。

 孤独な復讐者の戦いは、まだ始まったばかりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ