第40話 祝辞という名の告発
帝都ホテルの地下3階。
迷路のように入り組んだ従業員用通路の奥深くにある、空調の効きすぎたセキュリティ制御室。
本来ならホテルの警備スタッフがいるはずのその部屋は、今、一人の少女によって完全に占拠されていた。
木村心は、持ち込んだノートPCとホテルのメインコンソールを接続し、複数のモニターに囲まれてゲーミングチェアにふんぞり返っていた。
耳にはヘッドフォン。手元には、大容量のコーラとポテトチップス。
彼女の視線は、メインモニターに映し出された1階『孔雀の間』のライブカメラ映像と、もう一つの小さなサブモニターを忙しなく往復していた。
サブモニターに映っているのは、アマン東京のスイートルームに設置されたペット用監視カメラの映像だ。
「……ふふっ。相変わらずアホだなぁ」
心はポテトチップスを齧りながら、口元を綻ばせた。
画面の中では、仔猫のハイが一匹で大運動会を開催していた。
自動給餌器から「カラカラッ」とドライフードが落ちる音が鳴った瞬間、ソファで爆睡していたハイはバネ仕掛けのように飛び起きた。
そして、エサ皿めがけて猛ダッシュをしたのだが、フローリングで思い切り足を取られ、ツルルルッ!と見事なスライディングをかましたのだ。
そのままの勢いで壁にドン!と激突する。
しかし、ハイは「ニャンにも起きてませんけど?」とでも言いたげなすまし顔で立ち上がり、頭に小さなホコリを乗せたまま、何事もなかったかのようにカリカリを食べ始めた。
「ドジっ子かよ。……おっさんが見たら、またデレデレになりそう」
心はコーラをストローで啜り、笑いを噛み殺した。
この冷たく無機質な制御室にあって、ハイの愛らしい姿だけが、心を人間界に繋ぎ止めるオアシスだった。
いつまでも見ていたい平和な光景。
だが、メインモニターの中で動きがあった。
新郎新婦の入場。
レッドカーペットを歩く、井上健太郎と西園寺麗華。
そして、井上がマイクを握り、スピーチを始めた。
『……新しい門出を祝う前に、私たちは……過去の「清算」をしなければなりません』
『清算……それは、この華やかな帝都グループの裏に隠された、あまりにも醜く、残酷な真実についてです』
モニターの中の井上が、左手を軽く上げた。
「来た」
心はポテトチップスを投げ捨て、椅子の背もたれから身を起こした。
癒やしの時間は終わりだ。
ここからは、天才ハッカー『木村心』の独壇場。
彼女の指が、キーボードの上で目にも留まらぬ速さで舞う。
「さあ、見せてあげるよ。……アンタたちがひた隠しにしてきた、掃き溜めの底をね」
ッターン!
エンターキーが、銃の引き金のように強く叩き込まれた。
1階、メインバンケット『孔雀の間』。
井上の言葉に会場がざわめき始めたその瞬間、突如として会場を照らしていた無数のクリスタルシャンデリアが一斉に消灯した。
「キャッ!」
「な、なんだ! 停電か!?」
500人の招待客が闇に包まれ、どよめきが広がる。
だが、それは停電ではなかった。
ステージの後方に設置された、幅10メートルにも及ぶ巨大なLEDスクリーン。それが、眩いばかりの光を放って起動したのだ。
静まり返る会場。
暗闇の中で、全員の視線が否応なくスクリーンへと吸い寄せられる。
そこに映し出されたのは、新郎新婦の華やかな生い立ちを紹介するスライドショーなどではなかった。
薄暗く、画質の荒い映像。
防犯カメラの映像だ。
場所は、帝都グループ本社の地下駐車場。
『……本当に使えないわね。グズグズしないでよ』
会場の高性能スピーカーから、甲高く、ヒステリックな女の声が響き渡った。
それは紛れもなく、今まさにウェディングドレスを着てステージに立っている、西園寺麗華の声だった。
映像の中。
麗華は、大量の荷物を抱えてよろめく初老の運転手を見下ろしていた。
運転手がバランスを崩し、紙袋を一つ落としてしまう。
その瞬間、映像の中の麗華は、履いていたハイヒールの踵で、運転手のふくらはぎを冷酷に蹴りつけた。
『痛いッ……申し訳ありません、麗華お嬢様……』
『汚い手で私の荷物を触らないで。這いつくばって拾いなさいよ。犬の方がよっぽどマシだわ』
会場が、水を打ったように静まり返った。
グラスを傾けていた銀行の頭取も、談笑していた政治家も、信じられないものを見る目でスクリーンを見上げている。
「な、何よこれ……!」
ステージ上の麗華が、悲鳴のような声を上げた。
彼女は血の気を失った顔で、隣に立つ井上を見た。
「健太郎さん! これ、何かの間違いよ! 止めて、早く止めて!」
「……間違い? 貴女の顔と声ですが」
井上の声は、氷点下のように冷たかった。
先ほどまで愛を囁いていた男と同一人物とは思えない、絶対零度の視線が麗華を見下ろしている。
スクリーンは次々と映像を切り替えていく。
それは、茉莉が西園寺家のローカルサーバーから発掘し、心の手によって復元された「ホームセキュリティカメラ」や「社内カメラ」の隠しログだった。
次の映像。
今度は西園寺家の書斎だ。
下請け企業の社長らしき男が、西園寺貴子の前に直立不動で立ち、震えている。
『……赤字? それが私の知ったことかしら。契約単価を3割下げなさい。嫌なら帝都の仕事は二度と回さないわよ』
『そ、そんな殺生な……! 社員が路頭に迷ってしまいます! お願いします、どうか……!』
『お前のような穀潰しに払う金は、西園寺家には不要よ。死ぬまで馬車馬のように働いて、私に還元しなさい。お前たちの人生は、私が買い取ったんだから』
冷徹に言い放つ貴子の姿。男が泣きながら土下座するのを、彼女は紅茶を啜りながら見下ろしている。
さらに映像は続く。
猛が、リゾート開発の現場で、些細なことで激昂し現場監督の胸ぐらを掴み上げている映像。
「……なんてことだ」
「ひどすぎる……現代の奴隷扱いじゃないか」
「あれが、帝都グループの令嬢と会長の本当の姿なのか……?」
招待客たちから、嫌悪と非難の囁きが漏れ始めた。
彼らは清廉潔白ではない。裏で汚いこともしているだろう。だが、同じ「人間」の尊厳を遊び半分で徹底的に破壊し、それを当然のように享受するその姿は、彼らの道徳観から見ても異常な光景だった。
「誰か!! 映像を止めなさい!!」
最前列の円卓で、西園寺貴子がヒステリックに絶叫した。
彼女は立ち上がり、周囲のSPたちに怒鳴り散らした。
「配線を抜け! スピーカーを壊せ! さっさと止めろと言っているのよ!!」
SPたちが慌ててステージ裏へと駆け出す。
だが、無駄だ。
地下の制御室にいる心が、すでに物理的なアクセス権を完全に掌握している。配線を抜こうが、システムは予備電源で走り続けるように構築されていた。
「無駄ですよ、西園寺会長」
井上が、マイクを通して静かに言った。
その声は、広大な会場の隅々にまで浸透していくような、重く、力強い響きを持っていた。
「システムはすでに私の管理下にあります。……貴女たちがひた隠しにしてきた『真実』は、今この瞬間も、プレス席にいるメディア関係者を通じて、全世界にライブ配信されています」
会場の後方、プレス席。
斎藤冴子が、プロ用のカメラを構えながらニヤリと笑った。
彼女のノートPCからは、すでに提携する数十のWebメディアに向けて、速報記事と映像のリンクが一斉送信されていた。
「健太郎さん……どうして……?」
麗華は腰が抜け、その場にへたり込んだ。
純白のウェディングドレスが、床に無様に広がっている。
「私を、愛してると言ってくれたじゃない……。結婚して、二人で帝都を救おうって……!」
「ええ。言いましたね」
井上は麗華を見下ろした。
その瞳の奥に、かつての人生で彼女の足元に這いつくばっていた男の、暗い情念が揺らめいた。
「『僕が君を連れて行く』と。……地獄の底へ、ね」
井上の宣告に、麗華はヒッと喉を鳴らし、後ずさった。
目の前にいるのは、白馬の王子様ではない。
自分たちを破滅させるために現れた、美しき死神だ。
「皆様」
井上は再びマイクを口元に寄せ、会場全体に語りかけた。
「ご覧の通り、西園寺家という一族は、他人の尊厳を踏みにじり、虐げ、飼い殺しにしてきました。映像に映っている彼ら……あなた方に搾取され、使い捨てられた名もなき人々だ。今年の春に絶望して去っていったある社員も、その犠牲者の一人です。彼らの人生は、あなたたちの傲慢によって破壊されたのです」
それは、この世界線の「灰谷守」に対する哀悼であり、同時に、一人の人間として社会から抹殺されかけた自分自身への鎮魂歌でもあった。
「ですが、彼らの罪はそれだけではありません」
井上の言葉と共に、スクリーンの映像が切り替わった。
今度はホームビデオではない。
黒い背景に、無機質な数字とデータが羅列された、エクセルの表だ。
「これは、帝都グループの裏帳簿、海外のダミーファンドを経由した資金洗浄の記録。そして……10年前に起きたトンネル崩落事故の、隠蔽工作の決定的証拠です」
会場の空気が、さらに一段階、重く冷たくなった。
先ほどのパワハラ映像が「倫理的な嫌悪」なら、今出されたデータは「法的な破滅」を意味するからだ。
「で、でっち上げよ! そんなデータ、何の証拠にもならないわ!」
貴子が青筋を立てて叫んだ。
だが、その声は焦りに震え、説得力を欠いていた。
彼女の背後に立つメイドの茉莉は、ダークグレーのスーツ姿のまま、ただ無表情で前を見つめている。助け舟を出す気配は一切ない。
「証拠がないと? ……ならば、証人をお呼びしましょう」
井上がステージの袖へ視線を向けた。
そこから、一人の女性が歩み出てきた。
黒いシックなドレスに身を包んだ、林優香だ。
彼女は凛とした足取りで井上の隣に立つと、マイクを受け取った。
「私は、西園寺猛氏の元交際相手です」
優香の声が、静まり返った会場に響いた。
その表情は、被害者会見の時のように泣き崩れてはいなかった。
真実を告発する、一人の強い女性の顔だった。
「私は彼から、薬物の使用を強要され、暴行を受けました。……そして、彼が薬で正気を失った際、過去にトンネル事故を隠蔽し、作業員を見殺しにしたことを自慢げに語るのを聞きました」
決定打だった。
優香の証言が、スクリーンのデータを「真実」へと裏打ちしていく。
VIP席に座っていた主力銀行の頭取が、青ざめた顔で立ち上がり、足早に会場を後にし始めた。
それを皮切りに、次々と招待客たちが「これ以上関われない」とばかりに席を立ち始める。
泥舟からの逃亡。
帝都グループの信用が、音を立てて崩れ去っていく。
「ふざけるな……! 誰か! こいつらを摘み出せ! 警察を呼べ!」
貴子は発狂したように叫んだ。
だが、警察を呼んで困るのは、他でもない彼女たち自身だ。
ステージの上で、井上は静かに微笑んでいた。
麗華は床に座り込んだまま、ただ震えている。
貴子は孤立無援でわめき散らしている。
祝辞は終わった。
ここから先は、法と権力による、徹底的な処刑の時間が始まるのだ。




