表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: U3
第3章:侵食と誘惑

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/39

第32話 プロポーズの演出

 決戦の日の朝。アマン東京のスイートルームは、嵐の前の静けさに包まれていた。

 だが、その静寂を破るような、奇妙な光景がリビングの中央にあった。


 3人掛けのイタリア製高級ソファ。

 そのど真ん中を、灰色の小さな毛玉が独占していた。


 仔猫のハイだ。

 彼は今、野生を完全に放棄した姿で熟睡していた。

 仰向けになり、四肢をだらりと投げ出す「へそ天」スタイル。ここまでは猫にはよくあることだ。

 だが、ハイのそれは芸術的だった。

 首が直角に曲がり、上半身と下半身が雑巾を絞ったようにねじれている。前足は「幽霊」のように胸の前で垂れ下がり、後ろ足はパカッと開脚している。

 極めつけは顔だ。口を半開きにし、ピンク色の舌をチロリと出し、白目を剥いている。


「……ボス、これ生きてるの?」


 森舞永がコーヒーカップ片手に、呆れたように覗き込んだ。

 井上健太郎はネクタイを締めながら、苦笑した。


「安心しろ。……いびきが聞こえる」


 耳を澄ませば、ズピー、ズピー、という親父のようないびきが聞こえてくる。

 時折、夢の中で獲物を追っているのか、前足がピクピクと痙攣し、口がモグモグと動く。


「完全に無警戒ね。……ここが安全だって分かってるんだわ」


 舞永がハイの無防備な腹を指先でツンと突いた。

 ハイは「んぐっ」と変な声を漏らしたが、起きる気配はない。むしろ、さらにねじれてソファの隙間に顔を埋めてしまった。

 その姿は、まるで酔い潰れて駅のホームで寝ているサラリーマンのようだ。


「平和だな」


 井上は目を細めた。

 この部屋だけは、時間が止まっているかのようだ。

 だが、一歩外に出れば、そこは魑魅魍魎が跋扈する修羅場だ。

 今日は、西園寺麗華との「婚約」を公表する日。

 彼女を完全に傀儡とし、帝都グループ乗っ取りの足場を固めるための、一大パフォーマンスが行われる。


「……そろそろ時間だ」


 井上はジャケットを羽織った。

 今日の衣装は、光沢のあるライトグレーのスーツ。


 「白馬の王子様」を演じるための舞台衣装だ。


「行ってくる。……ハイが起きたら、高い缶詰を開けてやってくれ」

「了解。……頑張ってね、王子様」


 舞永がヒラヒラと手を振る。

 井上はハイの奇妙な寝姿を目に焼き付け、戦場へと向かった。


 東京・銀座。

 中央通りに面した帝都グループ所有の商業施設『テイト・プラザ』のエントランス前には、朝から黒山の人だかりができていた。

 今日は、帝都グループが支援するチャリティー財団の設立記念イベントが行われる。

 本来なら、会長の西園寺貴子が出席するはずだったが、彼女は「体調不良」を理由に欠席。

 代わりに出席するのは、次期社長候補として名前が挙がっている西園寺麗華だ。


 マスコミの狙いは、当然ながら兄・猛の逮捕劇についてのコメントだ。

 フラッシュの嵐。怒号のような質問。

 

「麗華さん! お兄様の逮捕について一言!」

「被害者女性への謝罪は済ませたのですか!?」

「次期社長就任の噂は本当ですか!?」


 黒塗りの車から降り立った麗華は、SPに囲まれながら、必死に笑顔を作っていた。

 だが、その顔は引きつっている。

 白いドレスが、彼女の顔色の悪さを余計に際立たせていた。


「……ノーコメントです。後日、正式に発表させていただきます」


 麗華はか細い声で繰り返し、逃げるように特設ステージへと上がった。

 群衆の視線が痛い。

 好奇心、軽蔑、悪意。

 かつて自分が他人に向けていた視線が、今は何百倍にもなって自分に降り注いでいる。


(怖い……誰か、助けて……)


 麗華はマイクの前に立ったが、手が震えて原稿が読めない。

 母・貴子は自分を見捨てて屋敷に引きこもっている。

 兄はいない。

 私は一人ぼっちだ。

 孤独と恐怖で、視界が滲む。


 その時だった。


 キキーッ!

 鋭いブレーキ音と共に、一台の銀色のリムジンが、マスコミの列を割ってエントランスに乗り付けた。

 特注色のイリジウム・シルバーに輝く、マイバッハ S680。

 先日のパーティーで会場の度肝を抜いた、あの車だ。


 運転席から降りた女性ドライバー――ドレス姿の森舞永が、恭しく後部座席のドアを開けた。

 そこから、一人の男が颯爽と降り立った。


「……待たせたね、麗華」


 よく通るバリトンボイスが、喧騒を切り裂いた。

 マスコミが一斉に振り返る。

 そこにいたのは、映画スターのようなオーラを放つ美貌の男――井上健太郎だった。


「け、健太郎さん……!」


 麗華の顔が輝いた。

 地獄に仏、いや、塔に幽閉された姫を救いに来た王子様。


 井上はSPたちを手で制し、悠然とレッドカーペットを歩いてステージへ上がった。

 その堂々たる態度は、マスコミたちをも圧倒し、自然と道を開けさせた。


「遅くなってすまない。……君を一人にはさせないと言っただろう?」


 井上は麗華の隣に立ち、その腰を力強く抱き寄せた。

 麗華は崩れ落ちるように井上の胸に寄りかかった。

 カメラのシャッター音が、機関銃のように炸裂する。


「あ、あの男は誰だ!?」

「先日のパーティーにいた投資家か?」

「K.I.ホールディングスの井上だ!」


 記者たちがざわめく。

 井上はマイクを取り、群衆を見渡した。

 その瞳は、カメラのレンズを通して全世界を見据えている。


「皆様、お騒がせしております。……西園寺麗華さんのパートナー、井上健太郎です」


 井上は宣言した。


「現在、帝都グループは未曾有の危機にあります。……ですが、彼女は逃げずにここに立った。その勇気を、僕は心から愛しています」


 甘い言葉。

 だが、計算された演出だ。


 「悪徳企業の令嬢」というイメージを、「困難に立ち向かう健気なヒロイン」へと書き換えるためのシナリオ。


「麗華」


 井上はマイクを置き、麗華に向き直った。

 そして、群衆の目の前で、片膝をついた。


「キャァァァッ!」

「おい、まさか……!」


 悲鳴のような歓声が上がる。

 井上は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。

 パカッ。

 中には、大粒のダイヤモンドが嵌められた指輪が輝いている。


 『ハリー・ウィンストン』の特注品。数千万円の輝きだ。


「僕と、結婚してくれませんか」


 井上は言った。

 その声は、マイクを通さなくても、会場の隅々まで響き渡った。


「君の背負う十字架も、苦しみも、全て僕が半分引き受ける。……共に歩こう」


 麗華は両手で口元を覆い、涙を溢れさせた。

 これは夢ではない。

 世界中の注目が集まる中で、最高の男性から求婚されているのだ。

 兄の逮捕も、母の冷遇も、今のこの幸福の前では霞んでしまう。


「……はい。……はいっ! 喜んで!」


 麗華は叫んだ。

 井上は優しく微笑み、彼女の左手の薬指に指輪を滑り込ませた。

 サイズは完璧だ。事前に調べ上げている。


 井上は立ち上がり、麗華を抱きしめた。

 そして、カメラに向かって、彼女の涙を拭う仕草を見せつけた。

 完璧な絵面。


 「財閥の危機を救う愛の物語」の完成だ。


 会場中から拍手と喝采が巻き起こる。

 マスコミも、スキャンダルの追及を忘れ、このドラマチックな展開に熱狂している。

 井上は麗華の肩越しに、群衆の中に紛れ込んでいる一人の女性と目を合わせた。


 斎藤冴子。

 彼女はニヤリと笑い、スマートフォンを操作した。


 『送信完了』の合図だ。


 その瞬間、ネット上には冴子が書き上げた記事が一斉に配信された。


 『帝都の救世主現る! 謎の天才投資家・井上健太郎、令嬢・麗華と電撃婚約』

 『愛は会社を救うか? 井上氏、帝都グループへの巨額出資を表明』

 『美しすぎるカップルの誕生! 猛批判から一転、祝福ムードへ』


 冴子の筆致は巧みだった。

 井上を「彗星のごとく現れた白馬の騎士」として持ち上げ、麗華を「悲劇を乗り越えるプリンセス」として描く。

 大衆はスキャンダルを好むが、それ以上に「ロマンス」と「逆転劇」を好む。

 猛へのヘイトは、井上と麗華への興味と好意へとスライドしていく。


「……やったわね」


 冴子は人混みの中で呟いた。

 これで、井上は帝都グループの「内部」に入り込む正当な権利チケットを手に入れた。

 株主も世間も、この「救世主」の登場を歓迎するだろう。

 そして、その救世主こそが、国を滅ぼすトロイの木馬であることには、まだ誰も気づいていない。


 ステージの上。

 井上は麗華の腰を抱きながら、耳元で囁いた。


「……これで、君はもう一人じゃない」

「ええ、健太郎さん……愛してるわ」


 麗華は陶酔しきった目で井上を見上げている。

 井上もまた、愛おしげに彼女を見つめ返した。

 その瞳の奥で、氷の刃を研ぎ澄ませながら。


(愛しているとも。……お前が持っている『株』と『議決権』をな)


 井上の計画は次のフェーズへと移行する。

 麗華との婚約を梃子に、帝都グループの経営権に介入する。

 そして、孤立した女帝・貴子を玉座から引きずり下ろす。


 フラッシュが二人を包む。

 それは、祝福の光であると同時に、破滅へのカウントダウンを告げるストロボの明滅だった。


★★★★★★★★★★★


 その頃、西園寺邸。

 書斎のテレビで中継を見ていた西園寺貴子は、リモコンを画面に投げつけた。

 ガシャン!

 液晶にヒビが入る。


「……何が愛よ! 馬鹿馬鹿しい!」


 貴子は激昂した。

 麗華が勝手に婚約を発表したこと。

 そして、あの得体の知れない男・井上が、土足で西園寺家の領域に踏み込んできたこと。

 全てが気に入らない。


「あの男……やはり危険だわ。乗っ取る気ね」


 貴子の直感は正しい。

 だが、彼女の思考はそこで途切れた。

 ズキリ、と頭の芯が痛む。


「……あれ? 私、何をするつもりだったかしら?」


 貴子はこめかみを押さえた。

 怒りは覚えているのに、具体的な対策が思い浮かばない。

 思考に霧がかかったようだ。

 茉莉が盛り続けている「薬」の効果が、確実に脳を蝕んでいた。


「……お茶。茉莉、お茶を持ってきなさい!」


 貴子はベルを鳴らした。

 その一杯が、さらなる毒であるとも知らずに。


★★★★★★★★★★★


 夜。アマン東京。

 井上はタキシードを脱ぎ、シャワーを浴びてリビングに戻った。

 そこには、いつもの光景があった。


 ソファの上で、ハイが「へそ天」で爆睡している。

 朝と同じ、ねじれた奇妙なポーズだ。

 だが、その顔は平和そのもので、見ているだけで心が洗われる。


「……ただいま、ハイ」


 井上はそっとハイの頭を撫でた。

 ハイは「ムニャ」と寝言を言い、尻尾をパタンと振った。

 

 外の世界では、井上健太郎は「時の人」となり、英雄として崇められている。

 だが、ここにある小さな温もりだけが、彼にとっての真実だった。


「……ボス、お疲れ」


 舞永がビールを差し出した。

 心と冴子も、ニヤニヤしながらモニターを見ている。


「視聴率、凄かったよ。……アンタ、俳優になれるね」

「記事のアクセス数も過去最高よ。……これで貴子は孤立無援ね」


 井上はビールを受け取り、一口煽った。

 冷たい苦味が、喉の渇きを癒やす。


「……まだだ」


 井上は窓の外、東京の夜景を見据えた。

 麗華という駒は手に入れた。

 次はいよいよ、本丸への攻撃だ。


「貴子の様子はどうだ?」


 井上が尋ねると、スピーカーから茉莉の声が聞こえた。


『……順調ですわ、旦那様。奥様は今、私の淹れた『特製ハーブティー』を召し上がって、深い眠りにつかれました。……判断力は、日に日に低下しております』


 電話の向こうで、茉莉が妖艶に笑う気配がした。


「よし。……麗華は完全に落ちた。これで帝都グループの内部への『合鍵』は手に入れた」


 井上はハイの肉球を指でつついた。

 プニプニとした感触。


「貴子はまだ、俺たちを警戒している。……だが、娘である麗華を使えば、その懐に潜り込むのは容易い」


 井上の瞳が、静かに燃える。


「ゆっくりと、確実に。……内側から食い荒らしてやる」


 プロポーズという名の宣戦布告は終わった。

 ここからは、愛に溺れた麗華を操り、女帝の城を内部崩壊させる、冷酷な侵食劇が始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ