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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: U3
第2章:再会と潜入

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第17話 路地裏の野良猫

 アマン東京のスイートルームは、今日も異国の香りに満たされていた。

 だが、それは優雅な香水の香りではない。

 鼻孔を突き抜けるような、強烈なスパイスと燻煙の香りだ。


 井上健太郎は、キッチンで巨大な蒸し器の蓋を開けた。

 もうもうと立ち昇る湯気の中から現れたのは、漆黒の塊だ。

 焦げているのではない。表面にびっしりとまぶされたブラックペッパー、コリアンダーシード、ガーリックパウダーなどのスパイスが、燻製によって黒く変色しているのだ。


 『モントリオール・スモークミート』。


 カナダ・モントリオールの名物料理。

 牛のブリスケットを数日間塩漬けにし、燻製し、さらに数時間蒸し上げるという、気の遠くなるような手間をかけた逸品だ。


「……いい色だ」


 井上は肉塊をまな板に移し、包丁を入れた。

 力を入れる必要はない。刃の重みだけで、肉が繊維に沿って解けていく。

 断面は鮮やかなバラ色。

 溢れ出す肉汁と脂が、まな板の上に小さな湖を作る。


 ライ麦パンにイエローマスタードをたっぷりと塗り、そこにスライスした肉をこれでもかと積み上げる。

 野菜など挟まない。

 パンと肉とマスタード。それだけの、潔くも暴力的なサンドイッチ。


「完成だ」


 井上は皿をダイニングテーブルに運んだ。

 待っていたのは、すでに両手を組んで待ち構えている森舞永と、テーブルの下で「肉を寄越せ」と鳴き叫ぶ仔猫のハイだ。


「ボス、今日のメニューはまた一段と野蛮ね。……最高よ」

「文句があるなら食うな」

「食べるわよ! いただきまーす!」


 舞永がサンドイッチに食らいつく。

 ガブッ。

 パンからはみ出した肉がこぼれ落ちる。

 ホロホロに崩れる柔らかい肉から、凝縮された旨味とスモーキーな香りが爆発する。スパイスの辛味が舌を刺激し、マスタードの酸味が脂を中和する。


「ん〜っ! 何これ! 口の中で肉が溶ける!」

「噛む必要がないだろう。……だが、これだけじゃ喉が渇く」


 井上が用意したのは、意外な飲み物だった。

 背の高いグラスに氷をぎっしりと詰め、そこに注がれたのは、毒々しいほど鮮やかなオレンジ色の液体。

 上からエバミルクを垂らすと、オレンジと白のマーブル模様が描かれる。


 『チャー・イェン』。


 強く焙煎した紅茶に、スターアニスやバニラの香りをつけ、砂糖と練乳をたっぷりと加えた、タイの国民的ドリンクだ。


「……甘そう」

「飲んでみろ」


 舞永がストローで吸い上げる。

 濃厚な甘さと、エキゾチックなスパイスの香り、そして茶葉の渋みが一気に押し寄せる。


「……っ! 甘っ! でも……合う!」


 スパイシーで塩気の強いスモークミートと、脳髄が痺れるほど甘く冷たいアイスティー。


 「甘じょっぱい」の極致だ。


 交互に口に運ぶことで、互いの味が無限に増幅されていく。


「ジャンクな快楽だろう。……思考を停止させるにはもってこいだ」


 井上もサンドイッチを頬張り、甘い茶を流し込んだ。

 カロリーと糖分の過剰摂取。

 だが、これから向かう場所には、このくらいのエネルギーが必要だ。


「で? 腹ごしらえの後はどこへ行くの? また殴り込み?」


 舞永が口元のソースを舐め取りながら尋ねる。


「いや。……今日は『狩り』ではなく『釣り』だ」


 井上はタブレット端末を取り出した。

 画面には、秋葉原の路地裏の地図が表示されている。


「西園寺家のサーバーに侵入するための『鍵』を探しに行く」

「鍵?」

「ああ。……物理的な鍵じゃない。デジタルな鍵を開けるための、最高に生意気なピッキングツールだ」


 井上は最後の肉を飲み込んだ。

 茉莉の内部工作で情報は取れているが、核心部分――スイス銀行への送金ルートや、政治家への裏献金の全貌――に辿り着くには、より高度なハッキング技術が必要だった。

 毒島から得た情報によれば、その界隈で「神童」と呼ばれるハッカーが、最近トラブルに巻き込まれて潜伏しているらしい。


「行くぞ。……ハイ、留守番だ」


 井上はハイにササミを与え、立ち上がった。

 食後のけだるさを振り払い、再び戦場へと向かう。


 秋葉原、電気街の裏通り。

 メイドカフェの客引きや外国人観光客でごった返す大通りから一本入ると、そこは電子部品のジャンク屋と怪しげなPCショップが並ぶ、マニアたちの迷宮だった。

 さらにその奥。

 雑居ビルの隙間にある、湿った路地裏。


「……ここね。いい雰囲気じゃない」


 舞永が鼻をつまむ。腐った油と電子基板の焦げたような匂いが漂っている。

 井上は足元に転がるケーブルを跨ぎ、奥へと進んだ。


 行き止まりの倉庫の前。

 数人の男たちが、一人の少女を取り囲んでいた。

 男たちは半グレ風で、手には鉄パイプや警棒を持っている。

 対する少女は、壁を背にしてうずくまっていた。


「おいコラ、逃げられると思ってんのか?」

「テメェが抜いたデータ、どこにやったんだよ!」


 男の一人が、少女の足元に唾を吐いた。

 少女はフードを目深に被っており、顔は見えない。

 だが、その膝は震えておらず、パーカーのポケットに突っ込んだ手も握りしめられてはいなかった。


「……うっせーな。消したって言ってるじゃん」


 少女が顔を上げた。

 フードの下から覗いたのは、プラチナブロンドの髪と、透き通るようなアイスブルーの瞳。

 日本人離れした美貌を持つ、まだあどけない少女だ。

 生意気で、どこか冷めた目つき。


 木村 心。17歳。

 井上が探していた「鍵」だ。


「あぁ!? ナメてんじゃねえぞクソガキ!」


 男が逆上し、鉄パイプを振り上げた。

 心は身構えることもなく、ただ冷ややかな目で男を見上げた。

 諦めか、それとも強がりか。


「……そこまでだ」


 鉄パイプが振り下ろされる寸前、井上の声が響いた。

 男たちが一斉に振り返る。


「あ? 誰だテメェ」

「観光客か? 怪我したくなかったら失せな」


 井上はゆっくりと歩み寄った。

 その隣には、不敵な笑みを浮かべた舞永がいる。


「その子に用がある。……連れて帰らせてもらう」

「はあ? 横取りする気か? こいつは俺たちのシマを荒らした泥棒だぞ」

「いくらだ?」


 井上は懐から分厚い封筒を取り出した。

 帯封がついたままの百万円の束だ。


「慰謝料だ。これで手を引け」

「……へっ、金持ちの道楽かよ」


 男の一人が封筒をひったくり、中身を確認してニヤついた。


「いいだろう。……だがな、金だけじゃ足りねえんだよ」


 男は封筒をポケットにねじ込むと、仲間たちに目配せをした。

 全員が武器を構え、井上たちを取り囲む。


「お前らが持ってる財布も時計も、そのねーちゃんも、全部置いてってもらおうか!」

「……やれやれ」


 井上はため息をつき、一歩下がった。

 交渉決裂。想定通りだ。

 こういう手合いは、一度美味しい思いをさせると骨までしゃぶり尽くそうとする。


「舞永。……軽く頼む」

「了解。食後の運動には物足りないけどね」


 舞永が前に出た。

 ヒールを脱ぎ捨て、裸足になる。

 

「なっ、女一人で何ができる……!」


 男が言い終わるより早く、舞永の蹴りが炸裂した。

 バチンッ!

 ハイキックが男の側頭部を捉え、一撃で意識を刈り取る。

 巨体が崩れ落ちる。


「なっ……!?」

「はい、次」


 舞永は流れるような動きで次の男の懐に入り、肘打ちを鳩尾に叩き込む。

 悶絶する男の髪を掴み、膝蹴り。

 ゴッ。

 鼻が折れる鈍い音。


 一方的な蹂躙だった。

 地下格闘技場で見せた関節技ではなく、今回は路地裏の喧嘩殺法だ。

 目潰し、金的、喉へのチョップ。

 元傭兵の彼女にとって、チンピラ数人など準備運動にもならない。


 わずか数十秒。

 路地裏には、呻き声を上げて転がる男たちの山ができていた。

 舞永は乱れた髪をかき上げ、涼しい顔でヒールを履き直した。


「……お待たせ、ボス」


 井上は頷き、壁際に立ち尽くす心の方へ向いた。

 心は、目の前で起きた暴力ショーに驚くでもなく、ただじっと井上を見つめていた。

 その瞳には、恐怖ではなく、観察するような光が宿っている。


「……アンタ、何者?」


 心が口を開いた。

 ハスキーで、年齢の割に大人びた声だ。


「ただの投資家だ。……君の才能に投資しに来た」

「投資? 笑わせないで。……私、アンタのこと知ってるよ」


 心は井上の顔を指差した。


「『K.I.ホールディングス』の井上健太郎。最近、急に羽振りが良くなった謎の成り上がり。……でも、その顔、どこかで見たことあるんだよね」


 心は首を傾げた。

 鋭い。

 1周目の人生で、守は彼女とすれ違ったことがある。

 当時はボロボロの少女と、冴えない中年男だったが、その記憶の欠片が残っているのだろうか。


「……他人の空似だ」

「ふーん。ま、いいけど」


 心はフードを直し、足元のバッグを拾い上げた。


「助けてくれたのは礼を言うよ。……でも、私は誰とも組まない。一匹狼なの」

「そうか。……なら、これはいらないな」


 井上は懐から、一枚の基板を取り出した。

 それは、最新鋭の軍用暗号解読チップだ。一般には出回らない、ハッカー垂涎の代物。


「……っ!」


 心の目の色が変わった。

 獲物を見つけた猫の目だ。


「これは手付金だ。……俺と来れば、こんなオモチャはいくらでも手に入る。最新の機材、最強の回線、そして……最高の『標的』を用意してやる」


 井上はチップを放り投げた。

 心は空中でそれをキャッチし、愛おしそうに眺めた。

 そして、ニヤリと口角を上げた。

 それは、年相応の少女の笑顔ではなく、共犯者の邪悪な笑みだった。


「……へえ。面白そうじゃん、おっさん」


 心は井上に向かって、生意気にも指鉄砲を向けた。


「いいよ、飼われてあげる。……ただし、餌が不味かったら、すぐに噛み付くからね」

「肝に銘じておこう」


 井上は微笑んだ。

 路地裏の野良猫を拾った。

 だが、この猫はミルクではなく、情報を啜って生きる化け猫だ。


「帰るぞ。……アジトで美味い飯が待っている」

「マジ? 肉ある?」

「山ほどな」


 井上は歩き出した。

 後ろから、舞永と、そして小さな新しい仲間がついてくる。

 

 ハッカー、木村心。

 彼女という最強の矛を手に入れた井上チームは、いよいよ帝都グループの深部へと侵攻を開始する。

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