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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: U3
第2章:再会と潜入

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第11話 地下の狂犬

 山奥の崖から戻った井上健太郎を出迎えたのは、アマン東京の窓の外に広がる、煌びやかな東京の夜景だった。

 決戦前夜。

 明日はついに、帝都グループのパーティーだ。


「……ミャウ」


 足元で甘えたような鳴き声がした。

 仔猫のハイだ。

 数日前に拾った時は死にかけていたが、山崎桃子の処置と栄養たっぷりのミルクのおかげで、今ではすっかり元気を取り戻している。

 ロシアンブルーのような灰色の毛並みは、照明を受けて銀色に輝いている。炎症を起こしていた片目もぱっちりと開き、井上と同じ深いブルーの瞳で見上げている。


「……ただいま。いい子にしてたか?」


 井上はソファに腰を下ろし、ハイを抱き上げた。

 ハイはゴロゴロと喉を鳴らし、井上の指にじゃれつき、甘噛みをしてくる。

 無垢な温もり。

 さっきまで崖の上で感じていた、凍てつくような殺意とは対極にあるものだ。


「明日は忙しくなる。……お前もしばらく留守番だぞ」


 井上はハイの腹を優しく撫でながら、独りごちた。

 準備は整った。

 衣装も、手土産も、心構えも。

 だが、一つだけ懸念があった。

 昼間、崖で見た義兄・猛の姿だ。連れていたのはただの社員ではなく、目つきの鋭いボディーガードたちだった。

 裏社会との繋がりが深い猛のことだ。もし井上の正体に感づけば、あるいはビジネス上の敵と見なせば、躊躇なく「物理的な排除」に動くだろう。


 ブブッ、ブブッ。

 サイドテーブルのスマートフォンが震え、静寂を破った。

 画面には『毒島』の文字。

 井上はハイをソファに下ろし、通話ボタンを押した。


「……どうした」

『よう、大将。崖へのピクニックは楽しかったか?』

「ああ。おかげで腹が決まったよ」

『そりゃ結構。……だがな、一つ忠告だ。西園寺のババアと猛、最近きな臭い動きをしてるぜ』


 毒島の声が、少し低くなった。


『あそこは表向きは綺麗な財閥だが、裏じゃ昔から「掃除屋」を使ってる。特に最近、労働組合の幹部が謎の事故死を遂げたり、競合他社の役員が行方不明になったりしてる』

「……暴力か」

『そうだ。あんたがどれだけ頭が良かろうが、金を持っていようが、夜道で刺されちゃおしまいだ。……明日のパーティー、丸腰で行く気か?』


 井上は窓ガラスに映る自分の顔を見た。

 完璧なマスク。だが、その下にある肉体は、ただの人間だ。ナイフ一本で死ぬ。

 復讐を完遂するには、絶対的な「盾」が必要だ。


「……心当たりはあるのか?」

『へへ、そう来ると思ったよ。……とびきり凶暴で、とびきり腕の立つのが一人いる。ただ、こいつは「狂犬」だ。飼い主を選ぶぜ?』

「構わない。場所は?」

『大田区の湾岸倉庫だ。今夜、地下で「試合」がある。……急げよ、メインイベントが始まる』


 通話を切ると、井上は立ち上がった。

 ハイが「行くな」と言うように足にまとわりつく。


「すぐ戻る。……番犬を拾ってくるだけだ」


 井上はクローゼットを開け、夜の闇に溶け込むダークスーツを選んだ。

 今夜は、知性ではなく、野生の匂いを纏う必要がある。


 井上を乗せたハイヤーは、臨海部の工業地帯へと入っていった。

 錆びついたクレーン、積み上げられたコンテナ、そして潮とオイルの混じった匂い。

 煌びやかな都心とは対極にある、鉄とコンクリートの墓場だ。


 指定された倉庫の前には、屈強な男たちが立っていた。

 井上が毒島から教えられた合言葉を告げると、重いシャッターの一部が開かれた。

 中に入ると、湿った熱気と、男たちの怒号が渦巻いていた。

 

 地下へと続く階段を降りる。

 そこには、金網で囲まれたリングと、それに群がる数百人の観客がいた。

 ヤクザ、半グレ、あるいはスリルを求める富裕層。

 目が血走った男たちが、手に万札を握りしめ、獣のように叫んでいる。


「殺せ! 殺せぇぇ!」

「もっと血を見せろ!」


 ルール無用の地下格闘技。

 井上はVIP席のバルコニーに案内された。そこには毒島が待っていた。


「よう、来たな。……いい匂いだろ? 血と金の匂いだ」

「……悪臭だな」


 井上はハンカチで鼻を覆った。

 だが、その目は冷静にリングを見下ろしていた。


「で、どれだ? あんたの言う『狂犬』は」

「次の試合だ。……賭けるか?」

「俺は勝つ方にしか賭けない」


 ゴングが鳴る。

 MCが大袈裟な声で選手を紹介し始めた。


「赤コーナー! 身長2メートル、体重130キロ! ロシアの処刑人、ボリス・イワノフ!!」


 リングに上がったのは、巨大な岩のような筋肉の塊だった。全身に刺青を入れ、殺気立った目で吼えている。

 会場が湧く。どう見ても殺人マシーンだ。


「そして青コーナー! ……詳細不明! 流れ着いた元傭兵! マナ・モリ!!」


 ブーイングと口笛が入り混じる中、反対側の花道から現れたのは、場違いなほど美しい女だった。


 森 舞永。28歳。

 スポットライトを浴びて輝くブロンドヘア。

 身長は170センチほどか。モデルのようなスラリとした体躯だが、タンクトップとショートパンツから覗く手足の筋肉は、豹のようにしなやかで引き締まっている。

 その顔立ちは、華やかで挑発的な美貌だ。


「……女?」


 井上は眉をひそめた。

 対格差は倍以上ある。普通の格闘技なら試合成立すらしない。


「見かけで判断すると火傷するぜ。……あいつはPMCで中東の最前線を渡り歩いてきた本物だ」


 リング中央で、ボリスと舞永が対峙する。

 ボリスが卑猥な言葉を投げかけ、威嚇する。

 だが、舞永は退屈そうにガムを噛みながら、髪をかき上げただけだった。


「……Ready? Fight!!」


 開始の合図と同時に、ボリスが突進した。

 戦車のようなタックル。まともに食らえば内臓破裂は免れない。

 観客が息を呑む。


 だが、次の瞬間、舞永の姿が消えた。

 いや、消えたように見えるほどの速度で、ボリスの懐に潜り込んだのだ。


 ドゴッ!

 鈍い音が響く。

 舞永の肘が、ボリスの鳩尾に突き刺さっていた。

 巨体がくの字に折れ曲がる。

 舞永は流れるような動きでボリスの腕を取り、背後に回り込むと、そのまま関節を極めながら地面に叩きつけた。


 ズドンッ!

 リングが揺れる。

 ボリスの悲鳴が上がる間もなく、舞永は倒れた巨体の首に脚を絡め、締め上げた。

 三角絞め。

 完璧なフォームだ。

 ボリスが必死に暴れるが、舞永は涼しい顔で、ガムをプーッと膨らませた。


「……落ちたな」


 数秒後、ボリスの白目が剥き出しになり、腕がだらりと垂れ下がった。

 失神KO。

 会場が一瞬静まり返り、次の瞬間、爆発的な歓声に包まれた。


「勝者、マナ・モリィィ!!」


 舞永は勝ち名乗りを受けることもなく、倒れたボリスを跨いでリングを降りていった。

 その背中は、「退屈すぎてあくびが出る」と語っていた。


「……どうだ?」


 毒島がニヤリと笑う。

 井上は立ち上がった。


「最高だ。……紹介しろ」


 試合後の控え室。

 そこは倉庫の一角をベニヤ板で仕切っただけの粗末な部屋だった。

 舞永はパイプ椅子に座り、血のついたバンテージを解いていた。

 傍らには安酒の瓶が置かれている。


「……何の用? 追っかけならサインはしないわよ」


 入ってきた井上を一瞥もせず、舞永は言った。

 近くで見ると、その美貌はいっそう際立っていた。汗に濡れた肌が、照明の下で妖しく光っている。


「サインはいらない。……契約書にサインが欲しい」


 井上は単刀直入に切り出した。


「誰? 芸能事務所のスカウト?」

「似たようなものだ。……俺のボディーガードをしてほしい」


 舞永は手を止め、初めて井上の方を見た。

 その瞳は、獲物を値踏みする肉食獣の色をしていた。

 彼女は井上の顔――整形された完璧なマスク――をじっと見つめ、鼻で笑った。


「アンタ、いい顔してるけど……中身は空っぽね。作り物みたい」

「……よく言われる」

「お断りよ。私は退屈が一番嫌いなの。金持ちのお人形さんの遊び相手なんて、あくびが出るわ」


 舞永は酒瓶を煽った。


「金なら弾む。今のギャラの10倍だ」

「金の問題じゃないって言ってるでしょ。……帰ってママのおっぱいでも吸ってなさい」


 交渉決裂か。

 普通の人間ならここで引き下がるだろう。

 だが、井上は一歩踏み出した。


「……お前、今の生活に満足しているのか?」


 井上の声色が、スッと低くなった。

 フィリップに叩き込まれた、相手の深層心理に侵入する声だ。


「こんな地下の澱みで、三流のゴロツキ相手に鬱憤を晴らす毎日。……本当は、もっとヒリつくような『戦場』を求めているんじゃないのか?」


 舞永の手が止まった。


「俺が提供するのは、ただの警護じゃない。……戦争だ」


 井上は続けた。


「相手は日本最大級の財閥、帝都グループ。警察もマスコミも抱き込んだ巨大な権力だ。そいつらを相手に、俺は喧嘩を売る。……殺し屋も来るだろう。ヤクザも来るだろう。手段を選ばない連中だ」

「……へえ」


 舞永の瞳に、興味の光が灯った。


「つまり、アンタと一緒にいれば、合法的に暴れられるってこと?」

「合法的かどうかは保証しない。だが、退屈はさせない」


 井上は懐から、一枚の写真を取り出した。

 西園寺猛が、裏社会の人間と密会している盗撮写真だ。


「明日のパーティー会場にも、この男の息がかかった連中がいるはずだ。……そいつらを処理するのが、最初の仕事になる」


 舞永は写真を受け取り、口角を吊り上げた。

 それは、獲物を見つけた獣の、獰猛で美しい笑みだった。


「……悪くないわね」


 彼女は立ち上がり、井上の目の前に立った。

 身長差はあるが、その圧迫感は井上をも凌駕していた。

 甘い香水の匂いと、鉄錆のような血の匂いが混ざり合う。


「気に入ったわ、ハンサムボーイ。……アンタからは、私と同じ『壊れた人間』の匂いがする」


 舞永は井上のネクタイを指で弾いた。


「いいわ、飼われてあげる。……でも、鎖は緩めにしておいてね? 噛み付くのが私の愛情表現だから」

「善処しよう。……ようこそ、地獄へ」


 井上は右手を差し出した。

 舞永はその手を強く、骨が軋むほどの力で握り返した。


「森 舞永よ。よろしく、ボス」


 契約成立。

 井上は、最強の「盾」を手に入れた。


「……さて、と」


 舞永はバンテージを放り投げ、パイプ椅子から立ち上がった。

 そして、挑発的な瞳で井上を見上げた。


「ねえ、ボス。契約成立の祝いに、デートに連れてってよ」

「デート?」

「そう。喉がカラカラなの。……とびきり強い酒が飲めるところ、知ってるでしょ?」


 いきなりの要求。

 だが、ここで断れば「甲斐性のない飼い主」と見なされるだろう。

 井上は短く息を吐き、口角を上げた。


「いいだろう。……ついて来い」


 倉庫街を出ると、井上が手配していたハイヤーが待機していた。

 だが、舞永は運転手を助手席に追いやると、当然のように運転席に乗り込んだ。


「私が運転するわ。ボスの車の趣味、チェックさせて」

「……事故るなよ」


 井上が後部座席に乗り込むや否や、車はタイヤを軋ませて急発進した。

 猛スピードで夜の湾岸線を駆け抜ける。

 スリルを楽しむように鼻歌を歌う舞永と、後部座席で眉一つ動かさず夜景を眺める井上。

 奇妙なドライブデートだった。


 車が停まったのは、六本木の会員制バーの前だった。

 看板もない重厚な扉の奥。

 ジャズが静かに流れる薄暗い店内は、先ほどの地下格闘技場とは対極の、洗練された大人の空間だ。


 カウンター席に並んで座る。

 舞永はメニューも見ずにオーダーした。


「スピリタス。ロックで」

「……正気か?」


 井上が呆れると、舞永はケラケラと笑った。


「冗談よ。……マティーニを頂戴。ステアじゃなくてシェイクで。それと、オリーブは3つ」

「かしこまりました」


 バーテンダーが慣れた手つきでシェイカーを振る。

 井上はバーボンを頼んだ。


「で、ボス。明日のパーティー、私は何を着ていけばいい? 迷彩服? それともビキニ?」

「……ドレスだ。とびきり派手なやつを用意させる」


 井上はグラスを傾けた。


「お前には俺の『恋人』役を演じてもらう。……同時に、俺の背後を狙う羽虫どもを威圧する『番犬』だ」

「了解。……恋人役なら、キスくらいはサービスに含まれる?」


 舞永は顔を近づけ、妖艶に微笑んだ。

 その瞳は、井上の反応を楽しんでいる。

 井上は動じることなく、彼女の瞳を見つめ返した。


「仕事ならな。……だが、俺の唇は高いぞ」

「あら、自信過剰。……嫌いじゃないわ」


 舞永はマティーニのグラスを掲げた。


「乾杯しましょ。私たちの『戦争』に」

「ああ。……乾杯」


 カチン、とグラスが触れ合う音が響いた。

 強いアルコールが喉を焼く。

 隣で飲み干す舞永の横顔は、戦場の狂気を隠し、ただ美しい一人の女性に見えた。

 

 店を出ると、夜風が火照った肌に心地よかった。

 

「さて、まずは何をする? ホテルにシケこむ?」

「いや。……猫にミルクをやる時間だ」


 舞永は目を丸くし、それから腹を抱えて笑い出した。


「ハハハ! 最高! アンタ、見た目よりずっと面白いわ!」


 高らかな笑い声が、夜の街に響き渡った。

 

 資金、知略、美貌、そして武力。

 全てのピースが揃った。

 日付が変われば、運命の日だ。

 西園寺家は知る由もない。

 彼らの華やかな宴に、飢えた狼たちが解き放たれようとしていることを。

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