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けだもの姫の結婚

作者: Beo9
掲載日:2025/11/16

「まあ、アンネから知らない男の人の匂いがするわ!」

 午後のティータイムの空気は、10歳の王女の一言で凍り付いた。名指しで知らない男の匂いがすると言われたメイドは、思わず顔を引きつらせながらも辛うじて笑顔を作る。

「お、お戯れを……そもそもそんな相手いな……ではなくて!一体どのような根拠が……!」

 メイドの心情などつゆ知らず、王女は無邪気な笑顔で答える。

「10分ぐらい前かしら?近衛兵のリアンと会ってるわよね?その時に、私が知らない男の人と会ったはずよ」

 その言葉にメイドはホッと息をつき、周囲も拍子抜けしたような空気が漂う。

「あ、ああ、そういう意味で……仰る通り、新たに近衛に任命された、セウィンという男性と会っております」

「セウィンっていうのね!この匂い、覚えておくわ!」

 そう言ってふんふんと鼻を鳴らす王女に、周囲の者は何とも言えない表情を向けるのだった。


 ハーマン王国の王女、メルは一種の問題児であった。

 性格は素直であり、心根も優しく、勉学を嫌がるようなこともない。護身術や乗馬すら、ある程度はこなせてしまう。そういった部分に関しては、非の打ち所のない王女であると言えるのだが。

「お母様!ラズに会いに来ましたわ!」

「いらっしゃい、メル。優しく抱くのよ?」

「わかってますわ!」

 半年前、彼女に弟ができた。国としては待望の王子であり、メル自身、弟という存在は大歓迎していた。そして暇さえあれば、弟に会いに来ているのだが。

「ふふっ、ラズは今日も可愛いわね!ふすぅ~~~~~……」

 弟の首筋に顔を埋め、大きく息を吸うメル。そんな彼女を見て、王妃は表情を歪めた。

「メル、いい加減にしなさい。何でも匂いを嗅ぐのはやめなさいと、何度言ったら……」

「あっ!?ご、ごめんなさいお母様!いい匂いだったから、つい……」

「……参考までに、どこが『いい匂い』だったか教えてもらえるかしら?」

「首筋と耳の裏ですわ!あ、耳は上側じゃなくて下側の方ですわ!」

 それを聞くと、王妃は王子のメイドをじっとりとした目で睨み付けた。

「聞いての通りです。皺の間もよく洗うように」

「も、申し訳ございませんでした!今後、二度と無いように気を付けます!」

「そんなにしっかり洗わなくてもいいのに……」

「貴方はお黙りなさい」

 メルは匂いのあるものが大好きだった。それも、香水や花などの『香り』といったものではなく、どちらかというと『臭い』に強く惹かれてしまうのだ。

 自身の靴下の臭いを嗅いで、教育係に鞭で打たれることは、もはや日常の光景の一部である。

 そもそも、彼女の嗅覚は異常なレベルであり、人を見分けているのではなく、嗅ぎ分けているのではという疑惑すらある。それ故に匂いが気になるのだろうという理解はされても、それとマナーや常識とは別である。

 どんなに顔が良く、優れた学を持っていたところで、脱ぎたての靴下の臭いを嗅ぐのが趣味の女性に、国を治めることができるのか。香水すらつけぬ女性では、諸外国から侮られるのではないか。そもそも結婚相手はいるのか。

 家族や忠臣はそういった心配が尽きず、また彼女から遠い人々は、影で『けだもの姫』と嘲笑する。

 メル自身、この癖は矯正しようと努力はしている。しかし、もはや匂いを嗅ぐことは日常の動きとなっており、気付いたら嗅いでいる、という状況のため、まったく成果は出ていない。それでも、式典などといった公的な行事では辛うじて衝動を抑えられるようになっており、彼女をよく知る者からすれば大きな進歩ではあった。


「本当に、あの子の癖はどうしたら治るのかしら……ああした癖を直せるような医者とかはいるのかしら……」

 度々、王妃は国王にそうぼやく。実際問題として、メルがどこにも嫁げなかった場合、弟のラズが王にはなるが、彼女も確実に国政に関わってくる。その時に、他国の王族の匂いを嗅ぎまくるようでは、とてもまともな関係を築けるとは思えない。

 王妃の懸念は至極もっともなものであるが、国王は決まってこう答える。

「無理に治す必要もあるまい。思わぬところで、役に立つこともあるのだから」

「それはそうですけれど……」

 そして王妃も、その言葉を強く否定することはできなかった。

 というのも、国王は4年ほど前に、メルに命を救われているのだ。

 その日、珍しく家族揃っての昼食となり、三人の前には豪勢な料理が並んだ。一際興奮して料理の匂いを嗅ぎまくっていたメルだったが、国王のカップにお茶が注がれた瞬間、ふとその表情が変わり、心底不思議そうに言った。

「まあ、お父様のお茶に、雑草を入れてしまったの?」

 当然、その場の空気は凍り付き、王妃は即座にメルを叱った。

「メル!なんてことを言うの!?」

 しかし、メルはきょとんとした顔で、事もなげに答えた。

「だって、庭師が雑草にかけてるお薬の匂いがするわ。そんなのを飲んだら、お父様のおひげが枯れてしまうわ」

 彼女の嗅覚については、既に多くの者がその鋭敏さを知っていた。そのため食事は即座に中止となり、王が飲むはずだった茶と、それを淹れたメイドは詳しく調べられた。

 結果、王の茶には除草剤が混ぜられており、鶏にそれを飲ませたところ、血反吐を吐きながらも死にきれず、七日七晩苦しんで死んだ。

 国王の毒殺未遂という大事件であったため、当事者達には緘口令が敷かれた。暗殺の実行犯となったメイドからは『丁寧に』聞き取りが為され、最終的には王家の流れを汲む、ある公爵家が原因不明の病で全滅するという流れにまでなった。

 ちなみに、そういった血生臭い部分はメルには伝わっておらず『お髭を枯れさせようとした悪い人にはお仕置きをしたよ』とだけ伝えてある。それに対してメルは『しばらくお椅子に座れないわね』と無邪気に返答していた。


 結局、彼女の癖を矯正する方法は見つからず、周囲は将来について気を揉む日々を送っていた。

 そんなある日のことだった。その日は朝から城内が騒がしく、特に外交関係の者がバタバタと走り回っていた。

 メルはあまり嗅ぐことのない者達の匂いを楽しみつつも、自身のメイドに尋ねる。

「ねえ、何だかお城がとっても騒がしいようだけど、何があったのかしら?」

「はい。私も詳しくは聞いておりませんが、何でも隣国のカニス王国とフェリス王国から、使者が来るとのことで……」

「まあまあ!カニス王国とフェリス王国から!?それはとっても大変ね!獣人達の国から使者が来るなんて、初めての事じゃないかしら!」

 ハーマン王国は主に人間が暮らしており、一部にエルフ等がいる程度であるが、カニス王国とフェリス王国は、獣人達が治める獣人の国家である。

 狼族と犬族が暮らすカニス王国と、虎族や猫族が暮らすフェリス王国は昔から仲が悪く、度々戦争をしている間柄である。

 隣国とは言っても、三国はそれぞれに隣り合っているため、今までハーマン王国がその戦渦に巻き込まれるようなことはなかった。さらに、それぞれの文化があまりにも違いすぎるため、これまでカニス王国とフェリス王国が戦争をする以外では、接点が全くといっていいほど無かったのだ。

 そんな関係だった国から、しかも両方の国から使者が来るというのだ。内容はわからないにしても、戦争の応援要請である可能性もある。もしそうであった場合は、どちらへ付くべきなのか。あるいはどちらも断るべきなのか。

 そういったことが全く判断できず、城内はてんやわんやの大騒ぎだったのである。ひとまず、使者同士がかち合わないようにだけ厳重に日程調整をし、初めにカニス王国の使者と、その一週間後にフェリス王国の使者との会談をするように整えられていった。


 そしていよいよ、カニス王国の使者がやってくる日になった。城内には緊張感が漂い、謁見の間に集合した王と王妃も硬い表情をしている。そんな中、メルだけが初めて嗅ぐ獣人の匂いに思いを馳せ、わくわくした表情をしていた。

「メル……お願いだから、黙って座っていてちょうだいね?」

「はいお母様!頑張りますわ!」

 これまで一切の交流が無かった国だけに、どういった対応をするのが良いのかは意見が分かれたが、とにかく穏便に済ませたいという王の意見により、王族全員で出迎えることによって敬意を示す、という形に落ち着いたのだ。

 生後半年のラズはともかく、メルはいるだけで良いので出迎えに参加するようにと言われ、こうして座っている。むしろそうして大人しく座っていてくれ、と、彼女以外の全員が思っていたりするのだが。

「カニス王国の使者、トレバー様ご一行、到着しました!」

 部屋の外から声が聞こえ、一同は居住まいを正す。やがて扉が開き、犬の姿を持つ獣人達が謁見の間へと入ってきた。

「カニス王国が使者、トレバーと申します。後ろに控えるは、同じくカニス王国の使者、シアン、トラッド、マースです」

 先頭に立つ、がっしりとした体つきの真っ黒な体毛を持つ獣人が、頭も下げずに堂々と言い放った。その後ろには白黒のぶち模様の獣人と、滑らかな三色の長毛を持つ獣人と、2メートルを超える怪物のような茶色い体毛の獣人が立っていた。

「……ハーマン王国の王、ハルト=ハーマンである」

 実際に獣人を見るのは初めてであり、しかも頭も下げずに堂々と立っている者も初めてだったため、国王はそう自己紹介するのが精いっぱいだった。特に、後ろのマースと呼ばれた獣人は見るからに危険そうな雰囲気であるため、もし暴れ出した場合、果たしてこの場にいる兵士だけで鎮圧できるのかという疑念すら生まれていた。

 そして、メルは初めての獣人に内心大興奮だった。

―――獣臭……まさに獣臭ね!野良犬……と、言うよりは夏の猟犬かしら?みんな匂いがしっかり違うわ!トレバーさんは手入れされた猟犬!シアンさんは野山を駆け回った猟犬!ああ、嗅ぎたい嗅ぎたい嗅ぎたい!

 両者はしばらくの間、そうして見つめ合った。やがて、獣人の方が口を開いた。

「ハルト=ハーマン国王か、覚えた。それで……挨拶も無しというのが、この国の礼儀か?」

「礼は尽くしているつもりだが、何か不満でも?」

 突然の喧嘩腰に、色々驚きすぎて素が出かけている国王もぶっきらぼうに答えた。それがさらに怒りを煽ったのか、使者のトレバーは苛立たしげに尻尾をブンと振った。

「獣人ということで、侮っているのか?」

「そんなつもりはない」

 外交的に大変危険な香りの漂う場面になっていたが、違う匂いに意識が行っているメルは、全神経を鼻に集中させていた。

―――あああ、尻尾の匂いすごいですわ!まろやかなのに強烈で……刺激臭ではないけど、鼻を叩かれたような重みのある匂い!尻尾の匂い、嗅ぎたいですわ!嗅ぎたい嗅ぎたい!嗅がなきゃ!

 自分の衝動を抑えることではなく、鼻にだけ神経を集中させた王女はスッと席を立つと、自然な動作でトレバーの足元に歩み寄った。

「ん?この娘は……?」

「むっ、メル!?」

 そして、誰も止めることができないまま、メルはトレバーの尻尾に鼻を近づけ、ふんふんと匂いを嗅ぎ始めた。

 自分の尻尾の匂いを一心不乱に嗅ぐ王女を前に、動きの止まったトレバー。突然の行動に動けない周囲の者達。ただただ匂いを堪能する王女。後に国王の述懐によると『あ、この国は儂の代で終わるんだなと思った』とのことである。

 たっぷり10秒ほども経った頃、トレバーはメルに声をかけた。

「一度で匂いを覚えようとするような、大変丁寧な挨拶、痛み入ります。であれば、体格が違いますゆえ、失礼いたします」

「はわ」

 言うが早いか、トレバーはメルをひょいを持ち上げると、その尻の匂いを嗅ぎ始めた。嗅ぐことはあっても嗅がれるのは初めてだったメルは、驚きのあまりに固まってしまい、されるがままとなっていた。

 もはや周囲の者も、何をどうするのが正解なのか全く分からなかったため、誰も何も言えず、動くこともできなかった。

 十回ほど匂いを嗅ぐと、トレバーはメルを優しく下ろした。そして、それまでと打って変わって、大変に穏やかな様子で国王に話しかける。

「国王様もお人が悪い。王と王妃である貴女方は、王である以上、人としての礼儀しか尽くせない。しかし王族とはいえ、子供である王女様であれば、獣人の礼儀を尽くすこともできる、ということでしたか」

「え?あ……うむ、うん、そう。そうであるな。王としては……人の王である以上は、人の礼儀を尽くすことが、最大の敬意であると思っていただきたい」

「深謀遠慮に気付かず、ご無礼を致しました。浅慮な私を、お許しいただきたい」

「交流が無かった以上、互いに知らぬことがあるのは無理なきこと。責めはせぬ」

 辛うじて威厳を取り戻すことに成功した王は、全力で寛容な国王として振る舞うことに決めた。無礼な獣人が可愛い娘であるメルの肩を抱いているのは大変に気になったが、あえてそこも触れずに何とか話を続ける。

 結局、この日は顔見せ程度であり、本格的な話は明日ということで、使者達は小一時間程度で帰って行った。

 一行が扉から出てしばらくすると、その場にいた全員がぐったりとその場に崩れ落ちた。唯一、メルだけがきょとんとした顔で、その姿を不思議そうに眺めている。

「メル……貴方ね……」

「あっ……ご、ごめんなさい。匂い、嗅ぎに行ってしまいましたわ……」

「良いではないか……おかげで、我々は助かったのだ……」

 ぐったりしながらも、国王はそう言って、メルに笑いかけた。

「よくやったな、メル」

「は、はい!獣人さんと仲良くなれて、よかったです!」

 その言葉は本心からのものであり、仲良くなれば、きっともっと気軽に匂いを嗅げるだろうという打算もあってのものだということは、その場にいる全員が何となく察していたが、敢えて口に出すものは誰もいなかった。


 そして翌日、再びトレバー一行が謁見の間に現われ、国王と王妃、メルも同じように座っていた。

「改めまして、先日はご無礼をいたしました。使者のトレバー、そしてシアン、トラッド、マースです」

「うむ。そう恐縮せずとも良い。間違いは正してゆけばよいのだ」

 寛容で物分かりの良い王を演じる国王をよそに、メルは不思議そうな顔でふんふんと鼻を鳴らしていた。それに対し、王妃が咎めようとしたところで、メルが口を開いた。

「お父さ……王様、待ってください」

「む、メル?一体どうしたというのだ?」

 メルは席を立つと、トレバーにニコッと笑いかけた後、後ろに立つ三人の獣人をじっと見つめた。そして目を瞑り、三回ほど匂いを嗅ぐと、急に余所行きの顔になり、綺麗なカーテシーを披露した。

「初めまして。ハーマン王国の王女、メルですわ。お名前、教えてくださいな」

 一体何事かと、人間達が動けずにいる中、獣人達は一様に驚いた表情になり、特に初めましての挨拶をされた三人は狼狽えているようだった。

 と、そこでトレバーが大きく口を開け、豪快に笑いだした。

「はぁっはっはっは!これを、これを見破ってしまわれるか!いや、本当に……恐れ入る。人間は我々の見分けもつかず、嗅覚も鈍い者達だと聞いていたのだが……同族ですら間違う者達を、これほどあっさりと……」

「ふむ……そなたは、我々を試したのか?」

 国王の言葉に、トレバーは軽く頭を下げた。

「失礼ながら、試させていただきました。見分けも嗅ぎ分けもできなくては、悪意ある者が使者と偽って、悪行をしないとも限りませんゆえに。しかし、一人でも偽者と気づけばよいと思っていたのですが、三人とも違うと見破られるとは」

 そこで、後ろの三人は頭を下げ、順番に口を開いた。

「シアンの双子の兄、ダルマーと申します」

「トラッドの従兄、シェルトです」

「マースのただのそっくりさん、チーフと言います」

「まあ、双子だったのですね!匂いも本当に似ていますわね!」

 メルは三人の尻尾の匂いをしっかりと嗅ぎ、三人もメルの尻の匂いを嗅ぎ、挨拶は終了となった。

 自由な王女が席に戻ったタイミングで、トレバーが静かに口を開く。

「我々は、人間というものを見誤っていたようです。これほどまで、我々について深く知っていようとは……」

「ああ、いや、そのことであるがな――」

 メルを基準にされてはたまらないと思い、国王は正直に全てを話す。

 彼女の挨拶は、単に匂いを嗅ぎたかっただけであること。嗅覚も彼女だけが異常に鋭いこと。自分達では使者の三人が変わっていることなど、見分けることも嗅ぎ分けることもできなかったこと。

 それら全てを聞き終えたトレバーは、目を真ん丸に見開き、止め切れない尻尾が不規則に振れていた。

「つまり……王女は、人間でありながら『なぜか』嗅覚が我々並に鋭く、『たまたま』我々のように匂いで様々なものを覚え、『偶然に』我々の文化に則った挨拶をした、と?」

「うむ、つまり、うむ。そうであるな」

「そんな……そんなの……」

 俯いてブルブル震えるトレバーに、これはやはり隠しておいた方が良かったかと思いかけたところで、彼はバッと顔を上げた。

「もはや運命ではないですか!!!」

「……は?」

 思わず素っ頓狂な声を上げる国王に、トレバーは熱の籠った声で答える。

「いや、実は私達はフェリス王国を滅ぼそうと、その応援を頼みに来たのですが、もうどうでも良い!人間でありながら、まるで我々と同じような行動を取る王女よ!私はカニス王国第一王子、トレバー=ラブラ=カニス!我が国で、我々と暮らす気はないか!?」

 突然のとんでもない会談内容の暴露に、さらに思わぬ大物カミングアウト、そして熱い求婚に、人間達はもう何度目かわからないフリーズを起こしていた。それでも、求婚を受けた本人であるメルは何とか返事をしなければと、辛うじて再起動した。

「あ、その、えと……せ、戦争はダメです!戦争したら、死んじゃう人がいっぱいです!そんなところには、私行きたくないです!」

「つまり、戦争をやめれば、我が国に来ていただけると?」

「え?やめたら……うーん……?」

 獣人の匂い嗅ぎ放題。これは受ける価値があるのではないだろうか。

 そんな顔をしていることに、国王は即座に気付き、様々な思考を強制終了させて親として立ち上がった。

「まあ双方、待つが良い。メルはまだ10歳である。嫁ぐにはまだ幼い……」

「ええっ!?こ、このお姿で、私より年上なのですか!?」

「年上!?」

 とんでもない爆弾発言に、王はおろか王妃もメルも護衛もメイドも、全員が目をひん剥いてトレバーを見つめた。

「お主、歳は一体いくつだ!?」

「7つですが」

「嘘をつけ!その声、その体格、どう見ても完全な大人ではないか!?」

「ええ、5つを超えたので、大人ではありますが……」

「……どうやら、人間とは歳の取り方が違うようだ。そこの説明を頼めるか?」

 一周回って冷静になった王が尋ね、トレバーは他の使者からも補足を受けつつそれに答えた。

 どうやら、獣人は幼い間は急激な成長をするらしく、5歳で人間の20歳相当になり、そこでようやく人間と同じ年の取り方に落ち着くらしい。聞いてみれば、他の使者達はダルマーは6歳、チーフは7歳であり、シェルトのみ年長者ではあるが、それでも15歳であるらしかった。

「……娘を、メルを嫁に出すとしても、だ。まずは、お互いに互いのことを、よく知ることから始めるのが良いのではないか?我々は獣人族のことを、ほぼ知らんわけであるしな」

「それも、そうではありますか……わかりました。戦争については、極力回避する方向で話を進めましょう。戦争を回避出来たら、その時は……改めて、メル様に結婚を申し入れるとしましょう」

 そう言って視線を向けると、メルは何か返事をしなければと、あわあわしながら答えた。

「あ、え、はい!お、お待ちしてます!」

「メルっ……!」

 王妃が頭を抱え、国王は達観した作り笑いを浮かべ、トレバーは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「それでは、私達は一度国に帰り、王と協議をします。では、失礼いたします」

 もはやトレバーは尻尾を止めることもなく、ぶんぶんと激しく振りながら帰って行った。

 意図せずとはいえ、トレバーの求婚を半分ほど受けてしまったメルを、国王と王妃は疲れた目で見つめた。

「メル……まあ、もう、何も言うまい……」

「戦争、しないことになればいいですわね!」

「そうだな、うむ……それは確かにな」

 ひとまず、戦争は回避できたし、カニス王国との関係も悪化はしなかった。なのでこれは及第点だろうと、国王は半ば現実逃避気味にそう考えるのだった。


 それから一週間後。一同は再び謁見の間に集合しており、今度はフェリス王国の使者を待っていた。

「フェリス王国の使者、カトゥス様一行、到着いたしました!」

 カニス王国の使者を迎えるのと同じか、あるいはそれ以上の緊張感を持って、一同はフェリス王国の使者を迎える。

 というのも、カニス王国は戦争回避に動くという話になったが、元々は戦争への助力を乞いに来ていたのだ。となれば、フェリス王国に関しても十中八九同じ要件であることは察しがつくが、それをどうやって断れば穏便に済むかということは、結論が出なかったためだ。

 結局、出たとこ勝負で何とかするしかないという結論になり、ひとまずはカニス王国と同じように、人としての礼儀を尽くすという形に落ち着いたのだ。

 さて、どんな者が来るかと身構えていると、辺りに朗々とした大声が響き渡った。

「失礼する!フェリス王国の使者として来た、第一王子のシルヴェスト=オッド=フェリスだ!」

 こっちも王子か!と人間側は心の中で叫んだが、辛うじて口には出さずに済んだ。そして、入ってきた者を見て言葉を失う。

 艶やかな純白の体毛に、右目は空を取り込んだような青、左目は黄金の如き黄色という目をしており、すらりと伸びた尻尾と相まって芸術作品のような美しさを誇っていた。

 カニス王国とは違い、使者のシルヴェストは従者をたった一人しか連れておらず、その従者は半ば垂れた耳を持つ、何ともおっとりした顔立ちの者だった。

「私は外交担当の、スコティ=ヘーゼルです。皆さま、よしなに」

 おっとりと頭を下げるスコティとは対照的に、シルヴェストは堂々と立ったままであり、『自分こそが一番偉い』という雰囲気を醸し出していた。

「……ハーマン王国の王、ハルト=ハーマンである」

 ひとまず、人としての礼儀を尽くすため、国王はそう自己紹介する。カニス王国の一件を見る限り、このカニス王国でも独特の風習はありそうだったが、さすがにどんな文化や風習があるかなどはわからなかった。

「ハルト=ハーマンだな。単刀直入に言おう。俺達はカニス王国との戦争に備えている。ついては、今度こそあの犬共を滅ぼしてやるつもりであるゆえ、お前達の力を借りたい」

 やはり来てしまったかと、国王達が内心で頭を抱えている中、メルはいつも通り匂いに夢中だった。

―――ほとんど匂いが無い……カニス王国の皆さんとは大違いですわ!あ、でも、スコティさんはちょっと……汗、かな?掌にちょっと汗かいてる?

 通常営業のメルについては誰も気に留めず、大人達は何とか戦争を防ごうと話をしているが、シルヴェストは取り付く島もない。

「いや、それは――」

「ふん、あの犬共に何か言われたか?あのくっせえ犬共の臭い、まだあちこち残ってるぞ。これだから、あいつらは好かん」

 言いながら、シルヴェストはバタバタと耳を動かす。尻尾も苛立たしげに上下に振れており、一目で不機嫌であることが見て取れる。

 そんな、きな臭い状況になってきたにもかかわらず、メルは空気より獣人の匂いを嗅ぐことに全神経を集中させていた。

「だが、あいつらに付くのは賢い選択とは言えんぞ。我々に付くのであれば、礼儀知らずのお前達でも生かしてやって良いのだがな」

―――う~ん、少しだけ匂い感じますわ……何だかとっても気になる匂い……気になりますわ……嗅ぎたい、嗅ぎたい!嗅がなきゃ!

 護衛の者が、密かに剣の柄へ手を掛けようとしたタイミングで、メルは衝動に従って立ち上がり、シルヴェストの前に歩み寄った。

「メル!?お前はまたっ……!」

「む?どうした、娘?」

―――やっぱり、口元は匂い強めですわ!唇が分かれてる辺りかしら?あああ、届かない……屈んでくれないかしら!?

「……なるほど」

 自身を見上げるメルを不審そうに眺めていたシルヴェストだったが、ふと表情を緩めた。そして、メルの顔に触れんばかりに、自身の顔を近づける。

―――やりましたわ!これでっ……あ、でも、お顔近くて、ちょっと恥ずかしいですわね……見ないように見ないように……。

 メルは視線だけを逸らしつつも、まるで口づけするかのようにシルヴェストの口元に鼻を近づけた。すると、シルヴェストはフッと笑い、同じように軽く視線を逸らしつつ、メルの口元の匂いを嗅ぎだした。

 フンフンと両者が鼻を鳴らす音だけが部屋に響き、やがてお互いが満足したところで、どちらからともなく、そっと顔を離した。

 そのまま流れるように、メルは尻尾の匂いを嗅ぎに行こうとしたが、シルヴェストは二カッと笑ってそれを止めた。

「おおっと、そっちを嗅がれるのは勘弁だ。俺が嗅ぐならいいがな」

「あ、ごめんなさい……でも、とっても気になる匂いなんですの」

 そう言われ、上目遣いに見つめられたシルヴェストは、若干たじろいだように見えた。

「そ、そうは言われてもな。俺が下であると認めるわけにはいかんのでな、やめてもらえると助かる」

「まあ、それはいけませんわね!失礼しましたわ!」

 存外、聞き分けよく席に戻ったメルを見送ってから、シルヴェストは国王の方へ顔を向けた。

「お前の娘か?礼儀をよく弁えていて……強かだな」

「そ、そう、か?」

「ああ。見ず知らずの相手でも、しっかり匂いを嗅ぐ際に視線を逸らせていた。かと思うと、サッと尻尾の匂いを嗅ぎに来る。危うく、この俺が序列を下にされるところだった」

 口では不満げに言いつつも、その顔には『面白いものを見つけた』というような笑みが浮かんでいた。耳も横を向いていたのが前向きに戻っており、尻尾はゆっくりとした動きに変わっている。

「まさかとは思うが、お前の仕込みか?」

「いや、断じて違う。そもそも、儂等は獣人の文化にそこまで詳しくはないのだ」

 そこで、国王はカニス王国のトレバーに話したことと同じような説明をする。シルヴェストはそれを尊大な態度で聞いていたが、従者のスコティは興味深げにふんふんと頷きながら聞いていた。

「なるほどな。人間であるにもかかわらず、獣人と同じような行動をする王女か……なるほどな」

 何となく見覚えのある流れだなと、一同が既視感を覚えたところで、シルヴェストはメルの手を取った。

「お前、俺の国に来る気はないか?」

「え!?えっ、と、その……」

「俺達は隣国でありながら、お互いの文化を知らん程度には遠い間柄だった。だが、お前は人間でありつつ、俺達に近い感性を持っている。となれば、人間と獣人の橋渡しに最適な人物だと思うんだがな」

「シルヴェスト様……王女様が困っておいでですよ」

 スコティがおっとりと窘めるが、シルヴェストはどこ吹く風である。

「こんな逸材、逃してたまるものか。何より、お前からはあの犬畜生共の臭いがする……人間同士ならば我慢もできるが、あいつらに渡すのだけは、我慢ならんぞ」

「あ、あのあの!戦争はダメです!戦争するところには、私は絶対行きません!」

 カニス王国の者達よりはるかに強い執着を示され、メルはあわあわしつつも、何とかそう言った。すると、シルヴェストは大変に不満げな表情に変わった。

「……あいつらを滅ぼすのを、やめろ、と?」

「はい!人が死ぬのは、良くない事です!良くないことをする人のところには、絶対に行きません!」

「ふぅむ……それほどまで言われては仕方ない。こんなことを協議したくはないが、父上にもお前と、方針変更の話をしなければならんな」

 メルの手を離すと、シルヴェストはサッと踵を返した。

「邪魔したな、ハーマン王国の王よ!戦争の話は白紙に戻す!次に来る時は、お前の娘を貰い受けに来るぞ!」

 肩越しに堂々と言い放ち、シルヴェストはそのまま謁見の間を出ていく。残されたスコティは小さく溜め息をつきつつ、国王に頭を下げた。

「人間の皆様には、大変な失礼をしました。あれで悪気はないのです。ただ、自分が最も偉いのだと信じて疑っていないだけでして……」

「……そなたも大変だな」

「恐縮です。ですが、メル様のおかげで、戦争が止められそうなことは、大きな収穫です。私から、感謝を申し上げます」

 スコティはメルに頭を下げ、そして少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「そして、シルヴェスト様をも御してしまうメル様には、私も我が国に来ていただきたいと……心の底から、願っております。王子の申し出……前向きに検討していただけますと、幸いです」

 最後に再び一礼すると、スコティはシルヴェストを追いかけ、急ぎ足で退室して行った。

 残された者達は、揃って大きな息をついた。今回は実に短い時間だったが、その分、大嵐のような目まぐるしさであった。

「メル、一つ尋ねるが……」

「はい、おと……父上」

「犬と猫、どっちが好きだ?」

「犬の方が、全身に匂いがありますわ!でも、猫はところどころすっごく気になる匂いがありますわ!だから……どっちか選ぶのは、難しいですわね……」

 純粋に犬と猫の比較を始め、そして悩み始める娘を見つめ、国王と王妃は特大の溜め息をつくのであった。


 それから数か月が経過した。カニス王国とフェリス王国の戦争は無事に回避され、ハーマン王国も巻き込まれる心配はなくなった。

 加えて、ごく僅かずつではあるが、獣人国家との交流も始まり、こちらからは道具類や工芸品を輸出し、獣人達からは普段見ないような肉や毛皮などを輸入するようになっている。

 そうした品々はお互いに大きな利益を生み出しており、交流がもっと広く深くなっていくのは時間の問題だろう。

 民間では、獣人達との交流を喜ぶ声が大きくなってきていたが、一方の王城では。

「また来たのか、傲慢ちぐはぐ目」

「お前に言われたくはない、悪臭垂れ耳」

 ほぼ毎日のように来る第一王子達に、もはや周囲もすっかり慣れてしまい、喧嘩を止める者すらいない始末である。

「目を落としたからといって、適当な目を拾って入れるのはどうかと思うぞ。持ち主に返してきたらどうだ」

「ほ~、犬族は匂いに敏感だと聞いていたんだがな?まあ、自分の体臭にも気付けないようでは、なあ?人間の香水とやらを、頭から被ってみたらどうだ」

 メルを間に挟み、二人は子供の様な喧嘩を繰り広げている。そんな二人を、メルは困った目で見つめている。

「もう、二人とも喧嘩はダメですわ!もう何度も会ってるんだから、仲良くできませんの?」

 メルの言葉に、二人は同時に口を開いた。

「メル様を狙う泥棒猫と、仲良くする義理はありません」

「お前を狙う犬畜生と、なぜ仲良くしなきゃならん」

 そしてまた、二人の視線が火花を散らす。メルは困ったように息をつくと、ぷいっと横を向いた。

「喧嘩をする人は、好きになれませんわ!」

「ぐ……そ、そう言われてしまうと……」

「むぅ……お前にそう言われては……」

 二人とも、メルに嫌われることだけは避けたいようで、大体はこの一言で仲裁されている。というより、これ以外では喧嘩を止めることなど不可能であるため、放置せざるを得ないという方が正しい。

「じゃあ、仲直りの握手、できまして?」

「それは、さすがに……メル様といえども……」

「そいつに触ったら、手に臭いが移っちまう」

 二人の言葉に、メルはうんうんと頷いた。

「わかりますわ。相手が悪いって思ってたら、仲良くするのも勇気がいりますわね。私だって、陰で私のこと『けだもの姫』なんて言ってる人と、笑顔でお茶会するのは、ちょっと大変でしたわ」

 それを聞いた瞬間、トレバーとシルヴェストは猛獣のような目つきに変わった。

「……その者の名前、お聞きしても?」

「俺も、ちょーっと爪とぎしたくなってきたぜ。激しめにな」

「ダメですわ!二人とも、とっても悪い顔してるもの!それよりも、私が言いたいのは、たとえ相手が悪いって思ってても、仲良くすることはできるってことですわ!」

 言いながら、メルは左右それぞれの手で、トレバーとシルヴェストの手を取った。

「だから、こうやって……ほら、これで私を通して、握手できましたわ!これで仲直り、ですわね!」

 そう言って無邪気に笑うメルに、トレバーとシルヴェストは感動した目を向ける。

「メル様……我々のためにそんなことを……!」

「メル、俺のためにそこまで……!」

 そしてまた、二人の視線が激しい火花を散らしだす。

「断じてお前のためではないぞ、傲慢王子め」

「お前等全員のためのわけねえだろうが、傲慢はどっちだか」

「もぉ~……仲直りしても、すぐ喧嘩してしまいますわね……」

 そこへ、様子を見に来た国王が現れた。

「王子達よ、またやっておるのか。わが娘、メルを好いてくれることは嬉しいが、迷惑をかけているとなれば、こちらとて黙ってはおらぬぞ」

「……すみませんでした、国王様」

「ちっ……悪かったな」

 恐らく、実際に戦えば相手にもならないのだろう。しかし、あまりに年季が違う。

 国王自身とメルは全く気付いていなかったが、獣人からすると、国王はかなりの強者の匂いを漂わせているのだ。しかも、メルが絡むとその匂いは特別に強くなり、匂いに敏感な獣人としては、絶対に衝突を避けたいと、本能的に思うレベルにまでなってしまうのだ。

「では、これ以上のご迷惑をかける前に帰ります。メル様、またお会いしましょう」

「俺も今日は帰る。明日こそ、色よい返事を聞かせてくれ」

「何が色よい返事だ、この色ボケ猫め」

「城出たらやるか?歯抜け犬が」

 実に仲良く喧嘩をしつつ、何なら尻尾や反対側の足で相手の脹脛を蹴り合いつつ、二人は城を出て行く。もはや一周回って仲が良いのでは、と周囲には思われているが、仮にも敵国の王子同士であり、恋敵でもあるため、実際に仲は悪い。

 城を出ると、二人は揃ってフンと鼻を鳴らす。

「お前にメル様は渡さんぞ」

「こっちの台詞だ。メルは俺のもんだ」

 お互いにしばらく睨み合ってから、二人は同時に息をついた。

「とはいえ、メル様に選ばれないことにはな……」

「へえ、そこは一緒か。俺も親父に『女に選ばれる男になれ』とはいっつも言われてる」

 あまり理解している人間はいなかったが、獣人達は恋愛に関してだけは、強烈な女性優位であった。たとえどんなに身分が違おうと、富があろうと、女性が受け入れなければ結婚どころか、恋愛関係になることすらできないのだ。

 そのため、獣人の男達は来るべき時にすんなり受け入れてもらえるよう、自身を磨くことをやめない。

 とは言っても、最後は結局好みの問題になるので、ダメなときはダメなのだが。

「メル様に限らず、お前が女に選ばれることはなさそうだがな」

「俺をいくら下げたところで、お前が浮かぶことはねえぞ?ガキめが」

「お前は俺と同い年だろうが」

「半年早えわ」

 そして再び、二人は蹴り合いながら帰っていく。当人同士の認識では、未だに敵同士ではあるのだが、周囲の人間達から見ると、二人はすっかり仲良しさんなのだった。


 だいぶ雑な扱いになってきた王子達が帰ったのを見届けてから、国王はメルと別れて自室へと戻った。

 飾らなくていい場所に来たことで、国王は大きな大きな溜め息をつき、ふかふかのソファへと体を沈めた。その隣では、一足早く王妃が沈みこんでいたが、それについては何を言う気にもなれない。

「あなた、どうしますの?まだしばらくは大丈夫とはいえ、いつかは決めねばならないのでしょう?」

 ソファの一部と化した王妃から尋ねられ、同じくソファと一体化した国王は答える。

「うむ、そうだな……カニス王国か、フェリス王国か……悩ましいものだ」

 今回の事態に関して、国王は為政者として、メルを褒めちぎり倒したいと思っていた。

 獣人の国との戦争を回避したばかりか、その両方の国との交流が始まり、しかも王族と縁を繋げることが確定している。仮にどちらかの求婚を蹴ることとなり、その国との関係が悪化したところで、もう一つの国とは強固な絆があるのだ。場合によっては、選ばれなかった方を攻め滅ぼすことすら、不可能ではないだろう。

 そんな状況を、メルは作り出したのだ。幼い王女の功績としては、もう破格といって良いものである。

 国王自身、王族に生まれた者として、娘を政治の道具として使うことに、ほとんど抵抗はない。そのため、どちらかの国に嫁がせることは確定しているのだが。

「忠誠厚く、集団行動が得意で、上下関係が厳しく、臭いカニス王国か……あるいは、きまぐれで個人主義ながら、こうと決めたことには命を掛ける事も厭わぬ、臭いの少ないフェリス王国か……悩むところだ」

 カニス王国は付き合いやすいのだが、誰も彼もとにかく臭い。フェリス王国は人として付き合いにくいのだが、全員が凄まじい運動能力を持っており、また思わぬ人情を見せることもあり、そして何より臭いが少ない。

 どちらも一長一短であり、果たしてどちらと『家族』になるのが良いのか、国王には判断が付かなかった。

 ちなみに、それをもって『けだもの姫が、本物のけだもの姫になったな』と言っている貴族を何人か知っているため、そいつらには税を重めに掛けていき、払えなくなったら反逆の意思ありとして粛清してやろうと、心に固く決めている。

「交易で得られる物にも、そこまで大きな差はない……選ぶための要素が、メルの好みぐらいしかないのがな……」

「でも、本当に良いのですか?獣人と結婚だなんて……王族としての務めなのはわかりますが、メルの気持ちはどうなのです?」

 その言葉に、国王は静かに目を瞑った。

「どちらとも結婚しないとなれば、我が国はたちまち攻め滅ぼされるかもしれん。メルの気持ちより、国益の方が重要だ」

「そうですか……」

「……と、言っても、だ。せめてメルには負担の少ない方に嫁いでもらいたいとは、親として思ってはいる。思ってはいるが……どうなることやら、な……」

 ハルト=ハーマン=ソファとその妻は、国と娘の将来を思い、再び揃って大きな溜め息をつくのだった。


「まあ……では、メル様は本物の『けだもの姫』になってしまいますのね」

 うららかな午後の昼下がり、まったくもって無邪気に言い放ち、お茶会の空気を瞬間凍結させたのは、ある伯爵家の令嬢である。決して本人に悪気があるわけではないのだが、親がいつも言っているので、公認のあだ名だと勘違いしており、一つも悪いと思わずに口に出しているのである。

 当然、将来の国王の粛清対象である。

「そ、そうですわね。でも、『けだもの姫』……う~ん」

 難しい顔で考え込んでしまったメルに、別の伯爵家の令嬢が先程の令嬢を摘み出しにかかり、侯爵家令嬢がメルを慰めにかかる。

「おいたわしい……メル様、きっと悪いようにはなりませんから、お気を確かに……」

 彼女の言葉は、メルにはまったく届いていなかった。

―――けだもの……カニス王国なら、獣臭が溢れててまさにそんな感じですわね!色んな獣臭嗅ぎ放題……まさに楽園ですわ!

 にやけそうになる顔を無理に引き締めているため、傍から見るとメルは泣き出しそうなのを必死に堪えているように見えてしまい、親交のある公爵令嬢が追加で慰めにかかる。

「そんなにお辛いなら、わたくしのお父様からも王様に何とか言ってもらいますわ!だからメル様、泣かないでくださいまし!」

―――でもでも、フェリス王国だと好きなものに匂い付けとか、要所要所で匂いを使いますし……こっちはこっちで天国ですわね!

「メル様?メル様!?まあ、わたくしの声も届かなく……!」

―――ああ、でもどっちか選ばないといけないのですわね……ううん、どっちかは選べる、ですわ!ああっ、トレバー様は良い匂いですし、シルヴェスト様はかっこいいですし、とっても悩んでしまいますわ!

「はぁ……どちらを選べばいいか、悩ましいですわ」

「うぅ、メル様……お可哀想に……!」

 どちらを選ぶにしろ、人間社会では決して許されない、匂い嗅ぎ放題が待っている。となれば、メルにとって結婚しないという選択肢は存在しなかった。

 そうなると、種族の違いなどというものは、彼女にとって些細な問題どころか、そもそも問題だとすら思っていない。

 そんなわけで、獣人族との結婚については、周囲の心配をよそに、メル本人は大いに乗り気だったりするのだった。

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― 新着の感想 ―
お話の構成や、いろいろな種族のいる世界観などはすごく好きです。でも率直な感想としては二次性徴も終えていない十歳の女の子、しかも本人はやや発達障害気味?が親の都合などもあり、(本人も興味はあるとはいえ)…
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