怖い加湿器
第1回:呼吸が奪われる家──都内主婦が語る『吸い込んだ死』
取材・文:新見 環 (ノンフィクションライター)
▍はじめに
都内で増え続ける“原因不明の肺疾患”。
被害者はいずれも同時期に、ある液体を加湿器に使用していた。
無償で配られた“清潔の象徴”は、なぜ家族の命を奪ったのか?
空気から死がやってくる。これは、そんな現代の恐怖である。
□2024年12月、東京都北区・赤羽駅前
商業施設の広場に立っていたのは、赤いジャンパーを着た若者たちだった。段ボール箱の上には、「乾燥対策グッズ無料配布中」の文字。
彼らが配っていたのは、小さな小瓶だった。ラベルにはこうある。
『加湿器専用殺菌液』
「天然成分配合・植物由来・除菌率99.9%」
「冬の乾燥と菌からご家族を守ります」
その液体は無色透明で、香りもない。配布員は笑顔で、チラシとともにそれを手渡していた。
□主婦と家族に訪れた静かな異変
A子さん(仮名・38)はその殺菌液を受け取った一人だ。北区のマンションに、夫と小学3年生の娘と暮らすごく普通の家庭だった。
「まさか疑うなんて思いませんでした。ミストが静かで、空気が綺麗になった気がしたんです」
殺菌液は加湿器のタンクに一滴入れるだけ。だが、使用から3日後、娘が激しい咳を繰り返すようになる。
「ヒューヒューって、喘息の発作みたいで。でもうちは喘息なんか一度もなくて…」
その翌週、夫が咳と喉の痛みを訴え、発熱。そのまま呼吸困難に陥り、救急搬送。
3日後に死亡した。診断は急性肺線維症。発症からわずか7日だった。
(某テレビ報道より)
都内で相次ぐ謎の肺障害。その背後に、『加湿器殺菌液』の存在が浮かび上がってきました。
関係者によりますと、いずれのケースも同時期に、無料配布された同じ液体を使用していたとのことです。
□医師の警告:「加湿器に入れるな」
A子さんの担当となったのは、呼吸器専門医・村岡(仮名)だった。彼はこれまでにも複数の類似例に遭遇していた。
「最初はインフルエンザの重症化かと思いましたが、患者の肺が数日でスポンジ状に変質していく。これは吸入性の化学物質による中毒のパターンです」
村岡はA子さんにこう尋ねた。
「何か最近、新しい空気清浄機や芳香剤など使い始めていませんか?」
A子さんが差し出したのは、駅前でもらった“殺菌液”の小瓶だった。
医師は、言葉を失ったという。
□都内で被害拡大───なぜ報道されない?
同様の症例は都内各地で40件以上報告されていた。しかし、いずれも「季節性の呼吸器疾患」として処理され、因果関係は一切報じられていなかった。
取材班が都の健康福祉部に問い合わせたところ、以下のような回答が寄せられた。
「当該イベントは民間による自主的な啓発活動であり、都としては関与しておりません。
製品による健康被害の報告は現時点では確認されておりません」
加湿器殺菌液の製造元は明かされず、配布に関わったとされるイベント会社も「下請け業者が派遣した若者に任せていた」と責任を回避。
この間にも、同じ製品が家庭内で使用され続けていた。
□製品成分の解析と“白い霧の正体”
村岡医師は独自に成分分析を依頼。小瓶に含まれていたのは、日本国内で認可されていないポリグアニジン系化合物「PHX-92」である可能性が高いという結果が出た。
この成分は、超音波加湿器によってエアロゾル化されると肺の奥深くまで到達し、肺胞を破壊し線維化させることが動物実験で確認されているという。
つまり、ただのミストだと思っていた“白い霧”は、呼吸器を内部から蝕む毒ガスだったのだ。
□韓国の先例:加湿器殺菌剤事件(2011年)
村岡医師は、記録資料のコピーを取材陣に手渡した。
それは2011年、韓国で実際に起きた国家的スキャンダルだった。
家庭用加湿器に混ぜる「除菌液」の吸入により、1400人以上が死亡
使用された成分は、PHMG
多くの乳幼児・妊婦が犠牲となり、国家謝罪・企業訴訟が続いた
被害者の中には「原因がわからないまま亡くなった人」も数百人にのぼる
□静かに置かれた“それ”と、ひとつの終わり
A子さんは現在も酸素吸入器を携帯して生活している。娘は軽症で済んだが、夫の死因はいまだに「急性肺炎」とされたままだという。
「誰も、あの霧を疑わなかった。でも、それは確かに、命を削っていたんです」
彼女のリビングには、電源を抜かれた加湿器が今も置かれている。白くて清潔な見た目のまま、何も語らず、ただ黙っている。
□その後
村岡医師は、交通事故で亡くなった。
現場は都内幹線道路。居眠り運転と報じられた。
小瓶を配っていた若者たちの一部は、次回の国政選挙で特定政党の広報活動に従事していたことが確認されている。事件との関係について尋ねたが、彼らは何も語らなかった。
──月刊【FACTUS】編集部
このルポは『白い霧』シリーズの第1回として企画されたものですが、
筆者・新見環氏の都合により、以後の連載は中止となりました。
編集部として深くお詫び申し上げます。
思ったより腰がよくならず、なかなか執筆できるまで戻らない。ぎっくり腰がつらいのなんのって