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あに・おとゝ

〈寺山は剽窃小僧白き靴 涙次〉



【ⅰ】


 じろさん、此井功二郎。名前から分かると思ふが、次男坊である。

 兄は一名を迅壱(じんいち)と云つた。若くして亡くなつてゐる。

 二親は早くにこの世を去り、兄弟で支へ合つて生きてきたゞけに、その死のショックは、じろさんには甚大なものがあつたのである。

 迅壱も、武道家を志してゐた。少し長くなるが、第148話の引用を-


 俺がまだ武者修行中の話だ。毎日が果し合ひ、それはもう「試合」なんて生ぬるいもんぢやなくて、まさしく「死合」だ。その中で、俺の当時の心の友、武道のライヴァルでもある奴が、もし生き殘れたら、某月某日、こゝで笑顔で會はう、と云つて、奴には奴の對戦があつたから、消えたんだけど-


 彼は惜しむらくも、修行の最中(さなか)、不慮の事故で命を落としてしまつた。風の噂でさう聞いたんだけど、その某月某日は、俺なんだか胸騒ぎがして、約束の場所にやつて來たんだ。そしたら、奴が笑つて現れたぢやないか! 俺は無遠慮に聞いた(友達だからこそ許される行為だけど)、お前、死んだんぢやなかつたのか!? すると、奴、かう答へたね。肉體は死んだ、だが靈魂は生きてゐる。お前に會ひたい一心でな。



【ⅱ】


 枝垂と惠都巳に話して聞かせた事だが、この「ライヴァル」とは、實兄・迅壱の事だつたやも知れぬ。本当の事はどの道、じろさんしか知らない。


 じろさんは流れる月日の中、歳相應の姿になつたが、迅壱はいつまで経つても、若き頃の儘だ。そんな兄を「兄さん」と呼ぶのは面映ゆく、「迅さん」とじろさんは呼んだ。


 今年も約束の期日に、約束の場所で會ふ。じろさんはその度に、懐かしい思ひに滿たされる。若かりし彼らの、武道に對して眞つ直ぐだつた事よ! 思ひ出すのは、そんないゝ面ばかりだつた。



【ⅲ】


 だが- 迅壱がじろさんの夢枕に立つた。かう云ふのだ。「功二(と彼はじろさんを呼ぶ)、俺の魂もそろそろ薄汚れて來たよ。俺は靈魂として彷徨ふのに、疲れた」-今までになく、憔悴し切つた兄の顔。じろさんは覺えず、【魔】の介在を思つた。


「迅さん。取り敢へず、今回迄は例年の通り、俺と會つては貰へまいか」-「もうこれで最後だよ、功二。俺を成佛させてくれ。お前に祓つて貰ひたいのだ」-彼の見てゐない處で、じろさんは泣いた。



 ⁂  ⁂  ⁂  ⁂


〈凋落は速しこの世を見限つて貴方が何処へ行くか知らねど 平手みき〉



【ⅳ】


 カンテラには云はず、じろさん、約束の場へ、一人赴いた。迅壱の靈は每年の如く現れた。しかし、その姿は- 殘酷な話だが、元の迅壱とは似ても似つかぬ、【魔】に犯された彼を、如實に表してゐた。

 首が二本、生えてゐる- 片方の頭は、従來通りの兄、を表出してゐたが、もう一方の頭は、彼のネガティヴな面を露呈してゐる... 盛んに、じろさんの惡口を云つてゐた。


「迅さん...」‐「こんな今の俺だ。【魔】にやられたのだ」。人間、衰へを感じると、後の凋落は速い。迅壱が、自らを「祓つて慾しい」と云ふのも、無理はなかつた。「功二、死ネ!」ネガティヴな頭に付いた口は、そんな事ばかりを云つてゐる。


 あゝ、さやうなら兄よ。じろさんは、美しい思ひ出を崩したくなかつたのかも知れない。超一流の武道家になりおほせた今のじろさんであつたが、彼にも脆い、人間の心が備はつてゐた...



【ⅴ】


「此井秘術・南無虛空!!」じろさんが兩腕を拡げて、迅壱の靈を抱く- するとその腕の間には、一種の眞空狀態が生まれ、迅壱の靈は、この世から、消えた。永遠に、である。


 じろさん、わんわん大聲で泣いた。まさしく男泣き、である。男だからこその涙が熱かつた。


 氣が濟むと、じろさん、ジャケットの皴を直し、洟をかみ、いつものじろさんとして、その場を去つた。もう二度と、この場所に來る事は、なからう。



【ⅵ】


 こんな顛末。じろさんはこの事は、誰にも語らなかつた。



 〈あに〉此井晩秋


 僕は兄を殺した

 死んでゐる兄をまた殺した

 弟でゐるのは

 辛い、正直

 もう卒業の時が來てゐたのに

 僕がもし

 氣付かなかつたとしたら

 どんなにグロテスクな事態になつたか

 預かり知らぬ

 弟の存在で

 兄と云ふものは

 クローズアップされる

 僕は自己を滅却した

 そしたら兄は

 バイバイ功二、と云つて

 氣易く消えて行つた


 嗚呼兄よ

 僕を附属品として扱はなかつた

 貴方に感謝する

 消えた兄を

 僕は探し求めない

 僕は兄を殺した

 兄の最期は潔かつた

 それだけが、殺しの

 報酬だつたのだ-



 ⁂  ⁂  ⁂  ⁂


(あるじ)とは靑田に棲まふ蟲たちよ 涙次〉



 作者も悲しいので、これにて...

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