NO.5 よく食べる女の子は胸が悪くない
姜沐はしばし呆然としていた。
かつて彼は『スターデューバレー』というゲームを遊んでいて、作中のテレビから流れる“精霊”の占いを毎朝チェックしていた。「今日は精霊たちがとても喜んでいます」「今日は精霊たちの機嫌が最悪です」──そんな感じの文言だ。
もし本当にあんなテレビが存在するなら、まさに「精霊たちが今日はクソッて言いながらおまえを爆撃するってさ」とでも表示されていたに違いない。
一方、呂玲児も固まってしまった。
この食いしん坊な娘の胸いっぱいに、どうしようもない気まずさが一瞬で満ちあふれる。まるでお父さんと叔父さんが下ネタを話していて、叔父さんが笑わないうちに自分だけ吹き出してしまったときのような気まずさ。
彼女はかすかに思い出す。こんなにいたたまれなくなったのは、正月のときにこっそり部屋の祭壇に供えてあった豚の肘肉を全部たいらげてしまい、翌朝起きたら、おばあちゃんが「仙家がまるごと召し上がった」と言って仏壇に何本も線香を立てていたとき以来だ。
呂玲児は「それ私が食べちゃったんだよ」と正直に告白したが、おばあちゃんは「そんなに食べられるわけないだろう。あんた豚じゃあるまいし」と信じてくれなかった。
沈黙。滝のような大雨みたいに重たい沈黙。
しかし。
その沈黙を突き破るように「ぐぅるるる……」という哀しげな腹の音が響いた。
姜沐は無表情で、空っぽになったラーメンどんぶりに視線を落とし、それから手にしたドリンクにまた目を移す。あたかも「あの液体にどれだけのカロリーがあるだろう」と真剣に考えているようでもある。
実際、どんぶりにはスープすらまったく残っていない。
いつもなら、こんなに苦しくはなかったのかもしれない。神農氏という一族はそこまで裕福ではないが、姫素衣の家ほどでもないにせよ、家族は二人しかいないので、あまり節約云々を気にすることもなかったからだ。
だが今日は、姜沐は慌ただしく家を飛び出してきたせいで、ほとんど現金を持っていない。しかも父親に追われたりと、体力を消耗することばかり続いたうえ、ちょうど成長期で「半端な若者が親を食いつぶす」年頃だ。
そんな状況を考えれば、姜沐ははっきり悟った。「ああ、なるほど、こういうのが“知識に殴り倒される”ってやつか……実にクソッたれな感覚だ」と。
……とにかく、しびれを切らしたのは呂玲児のほうだった。
彼女の頬は真っ赤で、まるで唐辛子の赤油をまとった生卵のよう。あわてて箸を置いて立ち上がり、
「えっと、その……」と言おうとした瞬間……
「げぷっ──」
喉を詰まらせてしまったのだ。 誰だって、口いっぱいにラーメンを頬張り、噛みもせずに一気に飲み込めば、そりゃ喉につかえて当然だろう。
「うぐぐ……み、水、み、水……!」
呂玲児は腰を折り、目をぎゅっとつぶったまま、手をバタバタと振り回す。次の瞬間、ずしりと重いペットボトルが無理やり手に握らされた。中身が何かも気にせず、まるで酒豪が豪快にぐい飲みするように、一気に飲み干す。
飲み終わって、彼女は唇をぺろりと舐めた。ほんのり甘い。まさか俺ンジジュースとは。
……あれ? 私そんな俺ンジジュース買ったっけ?
その手のひらからキャップを外していたのは姜沐。彼はじっと無表情で、 「……」 とだけ言葉を飲み込む。
素晴らしいことに、彼は心の中で呟く。
「これで《EQ》の本を擦り切れるほど読み込んで、50円も値引きして買った俺ンジジュースのカロリーを計算する手間が消えたわけだ……」
たぶん彼女が思い出したのだろう。もう所持金が尽きていること、さっき買ったラーメン以外に余分なお金などないこと、そして目の前の姜沐の冷ややかな視線……いろいろ合わさって視線が痛いわけだ。
呂玲児はしばらく馬尾をいじりながら、絞り出すように言う。 「えっと……いま手持ち200円しかないの。とりあえずミネラルウォーターなら買ってあげられるけど……」
「いや、人類はまだ水だけで生きられる生物には進化してないと思う」と、姜沐は遠回しに「自分は観葉植物じゃない」と伝えた。
「じゃあ、このラーメン返す」
呂玲児は躊躇なく、自分の前にあった丼をぐいと差し出すものの、気まずそうに小さくつぶやく。
「今の財布、本当にすっからかんなの……もしよければ食べかけでも気にしないでしょ?」 姜沐はとても寛大な雰囲気で「自分は嫌がるね」とあっさり告げる。
「……」
呂玲児は「そこまでズバッと言う?」という顔でショックを受けている。
一方、店の奥で外を気にかけていた店主は心の中で「……」と呆れていた。
(嫌ってるわりに、ずいぶん懐が広い顔してるじゃないか)
呂玲児が傷ついた顔をしているのを見て、姜沐は不意にくすっと笑う。その笑みはどこかあきらめと解放感が入り交じったようで、潮風にさらされた果物のようにさらりとしている。
「冗談だよ。別に君を嫌ってるわけじゃない。俺があんまり辛いの得意じゃないだけ」
そう言いながら、姜沐はため息をつき、続ける。「まあ、こうして見ると、そんなに損したわけでもないんだよな」呂玲児は瞬きをして尋ねる。
「どうして?」
「だって、もうご飯をおごったわけだし、このタイミングで名前ぐらい聞いても、さすがに教えてくれないってわけにはいかないだろう?」
姜沐の口元は笑っている。「それじゃあ、教えてくれるかな、君の名前を?」さすがに断れる気まずさなどなく、呂玲児は答える。
「呂玲児っていうんだ。両方とも口が二つの『呂』に、玲瓏の“玲”……。ごめんね、ほんとうに意図したわけじゃなくて……。ええと、よかったらこのあとすぐ家に戻って、お金を持ってきて返すから、ちょっと待っててくれる?」
そう言って、期待に満ちた大型犬みたいな視線をこちらに向ける。
「いや大丈夫。別に気にしなくていいし。知り合えてよかったよ」姜沐はそう言って頷く。
呂玲児は黙ったまま、じっと姜沐を見つめる。
姜沐も視線を外さず、まっすぐ見返す。
数秒の沈黙。意外にも先に口を開いたのは呂玲児だった。
「……ねえ、何か忘れてることないの?」
姜沐は「あっ」と声をあげ、
「そうそう、悪い悪い。すっかり失念してたよ」
「うんうん!」
呂玲児はうれしそうにうなずき、その背後にふさふさのしっぽでも生えているかのように、わくわくと揺れている。
しかし姜沐はこう言った。
「もう遅いからなあ。うちの家族が待ってるし、もう帰らなくちゃ。教えてくれてありがとな」
「……」
彼女のしっぽがぴたりと止まる。歯ぎしりしたそうな顔をする。
「名前だよ! あなたの名前って聞くべきだろうが!」
すると姜沐はまた笑った。
さっきの笑い方とは違う。その笑顔は呂玲児にとっては非常に見覚えがある。
なぜなら彼女のお父さんが、家中のペットボトルのキャップを限界まで固く締めて、お母さんがそれに気づいたときに、このニヤニヤ顔があったのだ。そこから先は盛大に笑い転げる――ところが、結局はお母さんに「ちょっと来なさい」と言われて痛い目を見るのがお決まり、というあの顔。
「俺、キミにラーメンをごちそうしたの覚えてる?」
「……食べた」
「じゃあ君が俺におごってくれたか?」
「え? いや……」
「つまり……甘い期待すんな!」
姜沐は大笑いしながら、そのまま店から飛び出していく。
呂玲児は一瞬だけぽかんとし、「はぁ?」と長く声を漏らしつつ、すぐに外へ駆け出した。
しかし外は変わらず激しい雨。傘が天を埋めるほど行き交う。
ただ、遠くから笑い声がかすかに聞こえる。「人混みの間をすり抜ける風」に混ざって。
「忘れんなよ! 俺はまだ名前を教えてないし、キミも俺に夜ご飯をおごらなきゃいけないんだからな!」
【新しいCGをアンロックしました。メイン画面に戻って[ギャラリー]からご覧ください。】
【新しい幕間ストーリーが解放されました。未受領のボーナスがあります。】