6話 囮捜査への立候補
警察署の捜査本部として使われている会議室は、異様な緊張感に包まれていた。
刑事たちはそれぞれに地図や資料を手にし、鋭い目つきで話し合っている。
被害者の居住地を示す赤いピンが地図の上にいくつも刺さり、不気味な連続性を浮かび上がらせていた。
柴崎翔は、その会議室の隅で声を殺して様子を窺っていた。
刑事たちの言葉が耳に刺さるように入ってくる。
「次の被害者が出るのは時間の問題だ。」
「犯人は確実にオメガを狙っている。何としても先手を打つ必要がある。」
その中で、ある刑事が小さく溜息をつきながら言った。
「囮捜査をするしかないんじゃないか……だが、誰を囮にする?」
その言葉に会議室が一瞬静まり返る。
誰もが思っているが、誰も口にしたくない提案だった。
囮になるリスクの大きさを知っているからだ。
「適任者なんているのか?」
「いや、これは……無理だろう。」
刑事たちの議論が再びざわめきに変わる中、柴崎は自分の胸が高鳴るのを感じた。
誰も立候補しないなら、自分がやるしかない。
そう思うと、不思議と手の震えが止まり、心が静かになっていく。
「俺がやります。」
会議室が一瞬にして静まり返った。全員の視線が柴崎に集中する。上司も同僚も、驚きに目を見開いていた。
「お前が? 冗談だろう。」
上司の冷たい声が飛ぶ。しかし、柴崎は視線を逸らさず、毅然とした声で続けた。
「俺はオメガです。この事件を解決するために、自分にしかできないことをやります。」
刑事たちがざわつき始める。
「危険すぎるだろう! お前が囮になったら……」
「自分がオメガだってわかってるのか? 捕まったらどうする?」
それでも、柴崎は食い下がらなかった。
「今までの被害者も、自分がオメガであるせいで狙われた。それを知りながら、黙って見過ごせません。」
「無茶だ!」
上司はなおも反対するが、柴崎は真っ直ぐに彼の目を見つめる。
「誰もやらないなら、俺がやるしかないんです。この街のオメガたちを守るために。」
その言葉に、会議室は再び静まり返った。やがて上司は渋々とした表情で言った。
「……わかった。ただし、計画は慎重に進める。いいな?」
◇
柴崎は囮捜査のための準備を始めた。
犯人の目を引くため、普段とは異なる装いを提案される。
黒のタイトなシャツは、上のボタンが二つ外れ、首元がわずかに見えるデザイン。
身体のラインを強調するシルエットで、動きやすさと華やかさを兼ね備えていた。
左手首にはシルバーのブレスレット、首元には控えめなペンダントが光る。
普段の柴崎とは少し違う雰囲気を醸し出している。
その顔には、わずかに戸惑いと不慣れさが滲んでいるが、使命感を宿した瞳がその迷いを打ち消している。
その姿を鏡に映したとき、柴崎は小さく息を吐いた。
「これで本当に犯人が釣れるのか……?」
胸の奥に湧き上がる不安を抑え込みながら、柴崎は自分に言い聞かせた。
「警察官として、やるべきことをやるだけだ。」
◇
準備を終えた日の夜、柴崎は警察署を出たところで和馬に出くわした。彼の鋭い目が、すぐに柴崎の異変を察する。
「お前、何か企んでるな。」
その一言に、柴崎はぎくりとした。だが、すぐに冷静を装い返す。
「別に、お前には関係ないだろ。」
しかし、和馬はその場を動かず、低い声で言葉を続けた。
「……勝手に死ぬなよ。」
その言葉に柴崎は思わず足を止める。しかし振り返らずに答えた。
「俺は死なない。誰かを守るために生きてるんだ。」
和馬は何も言わず、背を向けて去っていった。その後ろ姿を見送りながら、柴崎の胸には再び静かな決意が宿った。