3話 雨の中の再会
雨音が静かに響く夜。柴崎翔は、制服の上にカッパを着て商店街を巡回していた。昼間でも人通りの少ないこの街が、夜ともなればさらに寂しさを増す。そんな静けさの中、ふと路地裏からかすかな鳴き声が聞こえた。
「……なんだ?」
柴崎は足を止め、暗い路地を覗き込む。そこには、濡れた段ボールが無造作に置かれていた。しゃがみ込んで覗き込むと、中には小さな子犬が丸まって震えている。
「お前、こんなところで……」
段ボールには傘が立てかけられ、雨をしのぐようにされていた。誰かが置いたのだろうか。柴崎が子犬を抱き上げようとしたその時、背後から低い声が響いた。
「そいつ、どうするつもりだ?」
驚いて振り向くと、そこには濡れた黒髪の男が立っていた。傘も差さず、雨に濡れているその男は、静かに柴崎を見下ろしている。
「和馬……?」
記憶が鮮明によみがえる。東条和馬――極道組の若頭であり、かつての同級生。その名前が、柴崎の口から自然と漏れた。
「もしかして…お前が捨てたのか?」
和馬はポケットから犬用のペットフードを取り出しながら、無表情で答える。
「雨に濡れてたから傘くらいかけてやっただけだ。それ以上のことは俺の役目じゃねぇ。」
冷たい声だが、その言葉にはどこか優しさが滲んでいるように聞こえた。
「それだけで済むと思うなよ。責任取れよ。」
柴崎は言葉を投げかけるが、和馬は肩をすくめるだけだ。
「拾えってか?それは無理だな。」
言い捨てて立ち去ろうとする和馬に、柴崎は思わず声を張り上げた。
「待てよ! 動物愛護法違反で逮捕されたくなければ、拾得物届けを書け!」
◇
雨に濡れた和馬を連れて交番に戻ると、シュールな場面が展開された。和馬が椅子に座り、無表情で拾得物届けを書き込んでいるのだ。
「こんなもん、書かされるとはな……」
ぶつぶつ文句を言いながらペンを走らせる和馬を横目に、柴崎は段ボールの中の子犬を覗き込む。
「法律なんでね。これも俺の仕事だ。」
和馬が書き終えた届け出を手渡すと、柴崎はちらりとその字を覗き見る。
「意外と字が綺麗だな。」
思わず漏らしたその言葉に、和馬が顔を上げて不機嫌そうに眉をひそめる。
「お前、いちいち突っ込むな。」
沈黙が交番を満たし、子犬のかすかな鳴き声だけが静かに響いていた。
ーー数ヶ月後
子犬は警察署で保護されていたが、数ヶ月経っても飼い主は現れなかった。拾得物の所有権が和馬に移ることになり、彼が一人で警察署にやってきた。
「本当に引き取るのか?」
柴崎は和馬の顔を見ながら尋ねた。和馬が無言で子犬を抱き上げる姿は、意外なほど自然だった。
「余計なお世話だ。」
短く返すその声には、どこか温かさが感じられる。柴崎は驚きつつも、ほっと胸をなで下ろした。
◇
数日後、柴崎が商店街を巡回していると、和馬の舎弟が子犬を連れて歩いている姿を目撃した。
「翔!おいで!」
舎弟が元気よく子犬を呼ぶ声が聞こえ、柴崎は立ち止まる。
「翔……?」
その名前に戸惑いを隠せない柴崎は、後日、和馬本人に問いただした。
「名前、翔にしたのか?」
和馬は平然とした表情で短く答える。
「ああ。似合うと思っただけだ。」
「……俺の名前じゃないか。」
柴崎は困惑の表情を浮かべるが、和馬はそれにも動じず、少し口元を歪めた。
「気にするな。良い名前だろ?」
あまりに自然に言われた言葉に、柴崎は返す言葉を失う。心の奥底で、何か温かいものが広がるのを感じながら。
雨上がりの空の下、和馬の子犬――いや、「翔」が元気よく舎弟の周りを跳ね回り、その無邪気な姿に柴崎は思わず微笑んだ。
「元気そうで何よりだな……」
ふと、和馬の言葉を思い出す。
「似合うと思っただけだ。」
何の感情も見せないような態度だったが、どこかその一言には、和馬なりの不器用な優しさが滲んでいた。
「アイツ、何を考えてるんだ……」
窓ガラスに映る自分の顔が少し苦笑を浮かべているのに気づき、柴崎は小さく首を振る。そして、椅子に座り直すと、机に置かれた書類へと視線を戻した。
再びペンを握り、日誌を書き始める。だが、心の片隅では、まだどこか落ち着かない気持ちが残っている。
「和馬……」
再会した中学時代の同級生――極道の若頭としての冷徹な一面と、捨て犬に傘を差し出す不器用な優しさ。その二つが頭の中で繰り返し浮かび上がる。
柴崎はため息をつくと、窓の外にもう一度目を向けた。散歩を終えた舎弟が子犬を抱き上げられ、帰って行く姿がみえる。そして、その後ろ姿が商店街から消えた時、柴崎はペンを止め、ぼそりと呟いた。
「……次はどんな顔して会えばいいんだよ。」
雨上がりの空に、一瞬だけ薄く虹がかかっているのを、柴崎は気づかないまま書類に目を戻した。