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その日の放課後、私は愛用の剣を抱えてひっそりと教室を出た。
服装は動きやすい訓練着。常日頃からこのスタイルを通しているので、この格好でうろついていても誰にも不審に思われない。通りすがりの先生方も穏やかな顔をして、頑張れよ~!と声をかけてくれた。
後ろめたくて笑みがひきつる。これから私が自主練をすると、疑いもしていない様子である。
むしろ、スカートを履いてる方が、不審に思って呼び止められただろうな……
制服、ほとんど着ていないからな。
登下校時も座学の授業時も、何食わぬ顔して訓練着で過ごさせてもらっている。
だって! 女子の制服は可愛すぎて全然似合わないし、スカートの丈も短いから落ち着かないんだ!
先生に注意されたことはないから無問題なはず。一度、試しに男子の制服が着たいと言ってみたら、残念な子を見るような目で見られてしまったが……
何故だ。女子の制服より、断然似合うと思うのに。
騎士科の校舎から外に出ると、傾きかけた陽の光が眩しくて目を細めた。
さぁ。いよいよだ。
剣を握る手にぐっと力が入る。馬鹿なことをしている自覚はある。けれど、胸のうちにくすぶる熱を、吐き出してしまいたくてたまらない。荒ぶる心を鎮めたくて、誘い込まれるように校舎の裏手へ回り込んだ。
もちろん、この剣も刃は潰してある。
そもそも本物の剣は危険なので、個人が校内に持ち込むことは固く禁止されている。騎士科の皆が持っている剣は、どれも刃を潰した練習用の剣なのだ。
だから斬られても死にはしない。お互い手加減なしでやりあったとしても、せいぜいが骨を折る程度で済むだろう。
明るくにぎやかな昇降口とは真逆に、裏手は校舎に日を遮られてじめじめと暗く翳っていた。辺りは静かで、人の気配をまるで感じない。じゃりじゃりと土を踏む音を立てながら、私は奥へと足を進めていった。
「おい、こっちだ」
誰も来なさそうな校舎裏の奥地に辿り着くと、大きな木の近くに呼び出した2人が立っていた。
どちらも表情を取り繕うこともなく、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、剣を構えてにじり寄ってくる。
予想通りの展開にいっそ笑えて来た。
お前ら、やる気満々じゃないか。
「っ、何笑ってんだよ!」
「そういうとこが生意気なんだ、馬鹿にしやがって!」
おいおい。前口上もなしかよ。
いきなり襲いかかってくるとか、もう少し落ち着いたらどうなんだ。頭に血を上らせた状態で戦っても返り討ちに合うだけだぞ。まあ、ここに来た時点で、私も人のことは言えないが……。
勢いよく突っ込んできた2人をひらりとかわして、鞘から剣を抜く。
「礼をしてくれるんじゃなかったのか?」
クスリと笑うと、2人が怒りに顔を真っ赤にしながら大きく剣を振りかぶってきた。どちらも動きは雑だし、隙だらけだ。
「礼なら、これからたっぷりしてやるよ!」
「今度こそ痛い目みせてやる!!」
それでも同時にかかってこられると、正直ヒヤリとさせられる。相手の剣が振り下ろされる前に、素早く動いて1人目の攻撃を弾き返した。続いて繰り出された2人目の攻撃を、勢いを削ぐように刃を当てて薙ぎ払う。
――――まあ、相手に怪我をさせないように気を付けるなら、という但し書きがつくのだが。
好きに暴れていいのなら、2人いようが楽に勝てる相手だ。
再び襲い掛かってきた男の剣をかわして、もう片方の男の脛に狙いを定めて思い切り剣を叩きつける。力を込めた一撃は手に痺れるような感覚をもたらした。
打ち付けられた男は苦悶の声をあげながら足を抱えて転がっていく。
「ぐぅっ!!」
「この……っ!」
もう片方の男が、ギリギリと歯噛みしながら前のめりに剣を振るってきた。それを難なくかわして、男の剣を持つ腕に狙いを定める。
呆気なかったな……
この一撃ですべてが終わる。早すぎる決着にふっと気が緩んでしまった私は、背後からの攻撃に咄嗟に反応できなかった。
後ろから勢いよく切りつけられ、無防備な横腹に強い衝撃を受けてしまう。
「ぐはっ!」
強烈な痛みに息が止まる。
次の瞬間、げほごほと咽せながら地面に崩れ落ちた。私の手から剣が滑り落ちる。
どうして。
脛を打った男はまだ立ち上がれないはず……。
「おいおい。お前ら手こずってんじゃねーか」
「おい、遅いぞ!」
「お前が早すぎんだよ。メンツ揃うまで待てねぇのかよ」
「まぁ、これからじっくりいたぶってやろうぜ」
複数の足音が聞こえる。腹を押さえながら顔を上げると、呼び出した2人の他に複数の男子生徒の姿が見えた。どうやら、あいつらの仲間のようだ。
全部で……6人。
……まいったな。
そのうち一人は戦力外にしてあるとして、残り5人も1人で相手にしなくちゃいけない。2人なら楽に勝てるが、流石に5人は厳しい。先程の一撃で今は立ち上がるのが精一杯の有様となっているし、剣も手元から失っている。
大人しくやられるしかないのか……
つぅ、と背中に冷たいものが流れる。
皆、私に思うところがあるのか、にやにやと笑う顔から鬱屈とした暗いものが感じ取れる。大人しくやられたとしても、あっさり終わらせてくれるつもりはなさそうだ。
……骨、何本折られるかな。
終わった後、しばらく動けないかもしれないな。
誰かに見つけてもらうまで、ここで倒れ伏すことになるのか。
冗談じゃない。
このままやられるのを待つなんて、絶対に嫌だ。痛みを堪え、よろよろと立ち上がり剣に手を伸ばそうとする。あと少しというところで、剣は足で蹴られて遠くに弾き飛ばされてしまった。
「こいつ、まだ反撃する気でいやがる」
「ふん。身の程知らずだってこと、分からせてやるぜ」
「っつう!!!」
片膝をついて立ち上がりかけた私の左腕に、衝撃が走る。
大きな剣で薙ぎ払われて、そのまま地面を転がった。声にならない呻き声が漏れる。痛みで起き上がれない私に、続いて別の剣が振り下ろされようとする。
これはもう、勝てない。
ヒュンと風を斬る音がした。これから受ける衝撃を予想して、ギュッと強く目を閉じる。この後私は、あいつらの気が済むまで剣で打たれ続けるのだ。そう簡単には解放されないだろうな……。
打たれた横腹と左腕は、ジンジンと痺れるような痛みを伴っていた。いっそ、気を失えたら楽でいいのに……。
意識がゆっくりと絶望に染まる中、カキン!と剣を弾く音がした。
「てめーら、こんなところで何してやがる」
こんなところに、いるはずのない人の声が聞こえる。
「いや、その……」
「こ、こいつ女のくせにナマイキで……ちょっとシメてたんすよ」
男たちの威勢が一瞬で失われていることに、心の中で感嘆の息を漏らした。普通なら突然の闖入者に向けられるのは、怒りの感情だ。この状況で、逆らってはいけないと彼は瞬時に理解させたのだ。
……あぁ、さすがだな。
目を閉じていても分かる。ピリピリと肌を刺すような、圧倒的な威圧感。
顔を上げると、そこには静かな怒りを湛えたライアンがいた。普段のチャラチャラした彼は、影も形も見あたらない。
これは……まずい。
「ほら、あそこで呻いてるあいつの足! あれもこの女がやりやがったんだ。こいつは、とんでもねぇ女なんだ!」
なっ、こいつらライアンの様子に気付いていないのか!?
これ、めちゃくちゃ怒ってるぞ!!
ライアンがじっと黙っていることで調子に乗ってきたのか、男たちが自分たちの正当性をぺらぺらと語りだした。まさか味方をしてもらえるとでも思っているのだろうか。こいつらが語れば語るほど、ライアンの表情が抜け落ちていくのだが……
「そうだ! ライアンさんも一緒にどうですか?」
空耳だろうか。
ライアンから、ぶちぶちっと盛大にキレる音がするんだが……!
「馬鹿っ、逃げろ!」
私の声が響くのと同時に、ライアンの身体が動いた。相手は5人。下位クラスとはいえ、一応騎士科で4年は鍛えられている生徒たち。それをものともせず、ライアンは怯む相手を次々と重い一撃で倒していく。
「お前ら――――俺のレティシアに手を出して、明日が拝めると思うなよ」
凄絶に笑うその様は、正しく悪鬼のようだった。