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私の父は西の辺境伯である。
領地が他国と接しているので、有事の際には真っ先に争いに身を投じることとなる。その為、我が領地には鍛え抜かれたエインズワース家お抱えの騎士団がいる。
もちろん領主である父や兄たちも、いざという時に備えて常日頃から訓練し、剣の腕を磨いている。
そういった環境で育った私は、女ながらに幼い頃から自然と剣に興味を持った。5歳の誕生日に両親から欲しいものを聞かれて迷わず剣と答えた私に、母は難しい顔をしていたけれど、父は嬉々として私に剣を教えてくれた。
父は非常に強かった。熊のように大きな身体に、隆々と盛り上がる立派な筋肉の持ち主で、私の知る限り、パワーでは誰も敵うものがいなかった。
学生時代の父は、ライアンの父である我が国の現騎士団長とも対等にやり合える腕前だったという。嫡男だった為、騎士にはならず領地に下がった父だが、そうでなければどちらが団長になっていたか分からなかったと言われている。
そんな父に5つの頃から手解きを受けた私は、この学園に入学した当初、他の生徒たちよりも圧倒的に強かった。
それもそのはず。剣が好きで、騎士に憧れて入学する者は平民に多いのだが、彼らは学園に入るまで満足な師は得られない。たいていが1からのスタートとなる。
一方貴族となると、騎士科に入るのは家督を継げない三男以降が主となる。二男と違って万が一のスペアにすらなれない彼らは、自分で身を立てる必要があるからだ。そういった仕方なく流れてきたような連中は、やる気のない者も多かった。
思っていたよりも皆が弱くて、物足りない。
そう感じていた時に出会ったのがライアンだった。
初めて彼と打ち合いをした時、互角以上の手応えに心が躍った。気を抜けば簡単に負けてしまう。そんな相手がクラスメイトの中にいる。これが喜ばずにいられようか。
「オレとここまでやり合えるなんて、お前、強いな! あ~~~嬉しいぜ、この学園にお前みたいな奴がいて!」
「私も嬉しいよ。この学園に来て、ライアンに出会えて良かった!」
ライアンも私と同じことを感じていたらしく、自分と同レベルで打ち合える私の存在を純粋に喜んでくれていた。
「どうしたんだ、レティシア。帰んねーの?」
「放課後はここで自主練習をしてるんだ」
「そっか。じゃあオレも付き合うぜ!」
少しでも自分の力を伸ばしたくて始めた、早朝や放課後の自主練習。初めは一人だったけれど、ふとしたことから彼と2人で行うようになっていた。私たちは毎日のように訓練所に向かい、剣を交えていた。
ライバルであり友人でもあるライアンと出会い、私の学園生活は充実していた。1年の終わりに受けた進級試験では、数少ない女子生徒の中で私だけが2年次のAクラス入りを果たしていた。
そんな私は、次第に男子生徒たちのやっかみの対象となっていた。
女というだけで、彼らよりも強いと嫌悪されてしまうのだ。初めて目の当たりにする理不尽な現実に、胸が重くなる。辺境では、女の私が腕を上げても皆が喜んでくれていた。ライアンだって強い私を心から歓迎してくれる。けれど、それ以外の学友たちの反応は微妙なものだった。
同じAクラスの生徒たちはむしろ友好的だったのだが、Bクラス以下の生徒たちからは陰口を叩かれることも多かった。彼らにとって、私は非常に目障りな存在であるらしい。
「あいつ女の癖に生意気だよな」
「来年もAクラスらしいぜ」
「はっ。女だからって、試験官が甘い採点したんじゃねーの?」
こんなの、ただの嫉妬だ。
分かっていても、気分のいいものじゃない。
くっと下唇を噛む。事を荒立てない方が良い。そう思って、目の前でわざとらしく言われても適当に聞き流そうとしていたのだが。
「そんなに気に入らねえなら、もっと頑張ればいいだけだろ? 自分の能力のなさと努力の足りなさを、こいつのせいにすんじゃねーよ」
「ライアン!?」
ぎょっとして隣の彼を向く。
冷ややかな顔をして彼らを見据えるライアンに、思わず息を呑んだ。
これは怒っている。それも、とんでもなく怒っている。当事者である私よりもライアンの方が腹を立てている。静かに怒るライアンを、この時私は初めて見た。
ライアンに咎められた生徒たちも驚いて彼を見て、鋭い視線に言葉を詰まらせている。私を馬鹿にしていた彼らは、気まずそうに顔を逸らしてから、逃げるように立ち去って行った。
「レティシア。お前が強いのは、お前が頑張っているからだ。あんな奴らの言うこと、気にすんな」
そう言って、ポンと慰めるように私の肩に置いた彼の手は温かくて。
沈みそうになっていた心が、ふわりと軽くなるのを感じた。
「ライアンは本当に隙がないな。スピードもあるし技もあるし、気が抜けないから相手をするのが大変だよ」
「でも、オレと打ち合うのは楽しいだろ?」
「ああ。ライアンもだろ?」
「おう。レティシアほどいい目をしてかかってくる奴はいないからな。おまえと戦うのが一番楽しいよ」
あいつらと違って、ライアンは女である私のことを認めてくれる。
ライアンにとって重要なのは性別ではなく、実力なのだ。そのことが嬉しくもあり、やる気にも繋がった。彼に認められる自分でい続けようと思えば、鍛錬にも身が入る。
明確な目標は隣にいるのだ。
高め合えるライバルがいるというのは、素晴らしいな。汗だくになりながらそう言うと、彼も笑いながら私に頷いてくれた。
「どうしたんだ、ライアン。トマトが嫌いなのか?」
「ん? ああ……バレたか」
「バレたも何も、空っぽのトレーの上にトマトだけ放置されていれば、嫌でも気が付くさ。好き嫌いは良くないぞ。残すのももったいないし、思い切って食べてみなよ」
「この酸味がどうにも苦手なんだよなぁ。残すのも悪ぃって分かってんだけど……」
「分かってるのに出来ないのか。ははっ、しょうがないな。じゃあ私が貰うよ」
ライアンとは、なんでも気楽に話し合える関係だった。お互い、男友達と一緒にいるような感覚で共に過ごしていた。
「……ライアン、さっきから殺気のような視線を感じるんだが?」
「はぁぁぁぁ。やっぱそうかよ、やっべぇ……」
「どうした? なにか心当たりでもあるのか?」
「こないだデートした子、恋人がいたらしい」
「はぁ!? 馬鹿だな、なんでそんな子にちょっかいかけたんだよ!」
「知らねぇよ! まさか相手のいる奴が告ってくると思わねーだろ!」
「しかもあの人、毎年剣術大会で学年優勝している有名な6年の先輩じゃないか。……どうするんだ?」
「どうするって、決まってんだろ……。一緒に逃げよ―ぜっ!!」
あの頃、私たちはいつも一緒に過ごしていた。
ライアンは私の前で、毎日笑ってくれていた。
そんな彼との関係に亀裂が入ったのは、3年目が終わる頃。
騎士科では毎年、一年の締めくくりに力試しとして剣術大会が行われる。そこの予選でライアンと私がぶつかった、その時だった。
「お、見ろよレティシア。オレたち、4回戦目にぶつかるぜ」
「順当に勝てばな」
「何言ってんだ、オレたちなら勝つに決まってんだろ」
張り出されたトーナメントの表を目で追う。4回戦に進むには、当たり前だが3度勝たなくてはならない。当たりそうな相手を探れば、一人だけAクラスの人間が混ざっていた。私はこいつに勝てるだろうか。勝たなければライアンと試合は出来ない。
「覚悟しろよ? オレは今回、完全優勝狙ってるからな。全力でいかせてもらうぜ!」
「…………」
言葉に詰まる。
ライアンは私が勝ち上がると信じ切っている。
そして、勝ち上がってきた私が、自分といい勝負ができると期待しているのだ。
何も言えないまま、私はキラキラした彼の目から、そっと視線を外した。
私たちは15歳になっていた。
入学当初は圧倒的な強さを誇っていた私だったが、その頃にはクラスの皆と変わらない位置にいた。
弱くて物足りない。同じAクラスの生徒に対して、そんな風に感じることはもうない。冷やりとする場面も多いし、うっかりすると負けることもある。Aどころか、Bクラスの生徒にだって気は抜けない。舐めてかかると足を掬われる。
けれど、ライアンは違った。
彼は相変わらず圧倒的に強かった。私も必死にあがいたけれど、彼との差は少しも埋まらない。それどころか、少しずつ、少しずつ、真綿で首を絞めるようにじわじわと、ライアンから引き離されていく。
足りない実力をどう誤魔化すか、そんなことばかり考えるようになっていた。
「どうしたんだ、元気ねぇな。腹の調子でも悪いのか?」
「いや。ライアンなら完全優勝も夢じゃないな、と思ってさ」
「はぁ? お前、オレに負ける気でいるのか? らしくねぇこと言うなよな!」
ばんばんと無遠慮に肩を叩かれる。
少なくとも、彼に当たる前に負けるわけにはいかない。
1戦目は明らかに格下の相手でホッとした。2戦目はBクラスの奴で、最初に一度だけ冷やりとさせられたものの、それ以降は危なげなく勝つことが出来た。3戦目の相手は同じAクラスの奴で、非常に手強かったが、死に物狂いで戦い、どうにか勝利をもぎ取った。
一方のライアンは、全ての試合を余裕で勝ち伏せている。
「本気でやり合うのは久しぶりだな。この試合楽しみだぜ、レティシア」
必死で勝ち上がってきた私に、ライアンが笑顔で握手を求めてくる。
私より一回りは大きな手。
その手に見合う大きな体を仰ぎ見て、真っ直ぐに私を見つめる金の瞳に力なく笑った。
「……そうだな、ライアン」
入学当初、同じ高さにあった目線は、今では見上げないと合わなくなっている。
腕の太さも、胸の厚さも、ぐっと逞しいものになっている。
出会った頃の、細身だった彼の面影はどこにもなく。
「…………っ!」
彼の振るう剣の重さに耐えられない。
かといって、スピードや技量で翻弄出来るような相手ではない。
結果、実にあっけなく彼に破れてしまった。
試合終了の笛が鳴り、立ち上がろうとしたら目眩がした。ふらりと揺れた身体を、目の前にいたライアンが危なげなく支えてくれた。
試合に負けた以上に、ショックで茫然としてしまう。彼から受けたダメージは、自分で思うよりもずっと大きなものだっだのだ。
これが今の、私と彼との力量の差なのか。自分の不甲斐なさが悔しくて悲しくて、泣きたくなるのを必死にこらえた。
試合の後、顔を洗って少し気持ちを落ち着けた私は、ライアンを探した。私との試合に勝利した彼に、祝いの言葉を掛けようと思ったのだ。
やっぱりライアンは強いな。完敗だよ。次も頑張ってくれ。
人混みの中見つけたライアンは、石段の端に一人だるそうに腰掛けて、ぼんやりしながら深いため息をついていた。その様子は、とてもじゃないが試合に勝利したばかりの人間には見えなかった。
ズキリと胸が痛む。私との試合内容が、そんなにもショックだったのか。
ライアンが私に気づいて真顔になった。
祝いの言葉をきちんと用意していたのに。私よりも落胆している彼に、掛ける言葉が見つからない。彼の肩に触れようとしたら、大袈裟に振り払われてしまった。
「っ、気安く触んじゃねーよ!」
言ってから、しまったという風にライアンはハッと口を閉ざして、私から顔を背けた。
ライアンに拒絶されている。
その事実が、胸が押しつぶされたように、苦しい。
――――だってそれは、自分の実力が彼に見限られたという事だから。
ライアンはそのまま勝ち進み、学年で一位を取り、総合の部でもあっさりと優勝した。
もはや私は、彼のライバルなんかじゃない。
そんなおこがましい存在ではなくなっている。
ライアンは、私には手の届かない場所の人となったのだ。
その日を境に、彼の私への態度は棘のあるものになってしまった。