ライアン視点
レティシアのことは、仲の良い男友達のようなものだと思っていた。
オレにとってあいつは恋愛対象外だった。
だって彼女は男に負けないくらい強くて、ひたすら剣の道に真っ直ぐで、うっかりすると忘れそうになるくらい、誰にも女の顔を見せたりしなかった。
彼女はオレに群がる女の子たちのように、媚びることも甘えることもしてこない。言葉遣いも男のようだし、いつも色気のない訓練着に身を包んでいる。
背も高くて体格も良く、小柄で華奢な令嬢たちとは何もかもが違っている。12やそこらのガキだったオレが、レティシアをうっかりと女の枠から外してしまうのも、無理のないことだった。
入学当初、剣の腕でオレとトップを争っていた、12歳の女の子。
彼女の強さに興奮したオレは、大きな勘違いをしていた。当時のオレは、レティシアとこのまま卒業までトップを競っていられると、本気で信じていたのだ。
年を追うごとに違和感は感じていた。
でもそれを、自分の気のせいだと見て見ぬふりをした。
いつの間にか自分よりも低い位置にある、淡い金の髪も。
露になった彼女の腕が、やけにほっそりして見えたことも。
共にランニングをしていると、隣で走る彼女が辛そうな顔をしていることも。
オレに追いつこうと、彼女が無理をしていることも。
レティシアに対して、可愛いと思ってしまう瞬間が、確かに存在していたことも。
何もかも全部に、オレは気付かないふりをして過ごしていた。オレにとってレティシアは、オレと同じくらい強い奴だったから。いつまでもその位置に、彼女を置いておきたかったのだ。
3年目の終わりに行われた剣術大会、あの時もそうだった。
レティシアと4回戦目にぶつかると分かり、オレはいい戦いになると信じていた。
いや、信じたかったのだ。
大丈夫。彼女は強い。順当に勝ち上がってくるし、オレといい勝負をする。
なんなら、この大会で一番の勝負になるかもしれない。
――――だってレティシアは、オレの永遠のライバルだからな。
都合のいい夢は、すぐさま打ち砕かれてしまうことになる。
オレの期待通りにレティシアは勝ち上がってきた。けれど彼女は、さほど打ち合うこともなく呆気なくオレに負けてしまったのだ。
膝をついたレティシアに剣の切っ先を向ける。否が応でも悟らざるを得なかった。レティシアはもう、オレのライバルでいられるほど強くない。
認めたくない現実を突きつけられて、ショックのあまり勝利したオレの方が呆然と立ち尽くしてしまう。
試合終了の笛が鳴り、地面に座り込んでいた彼女が立ち上がった時、眩暈を起こしたのかレティシアの身体が斜めに揺れた。
危ねぇ!
とっさに身体が動く。
ふらついたレティシアを受け止めることに成功し、ホッとしたのはほんの一瞬だけだった。
抱き留めた彼女は、オレが思っていたよりもずっと華奢で、柔らかい女の身体をしていた。
――――どうしてオレは、今の今まで、こいつを男のようなものだと思っていたのだろうか……。
全然、違うじゃねーか。
気付いてしまえばもう駄目だった。オレの腕の中にすっぽりと収まるレティシアを見て、今まで無意識に抑え込んでいたものが、あとから、あとから、とめどなく溢れてきてしまう。
隣に座る彼女から、時折ふわりと甘い匂いがしていたこと。
柔らかそうな頬に触れてみたいと思ったこと。
デビュタントのドレス姿を見て、一瞬息が止まったこと。
涙ぐんでいた顔を見て、うっかり抱きしめそうになったこと……
今までずっと目を逸らしていた。レティシアは自分と同じようなものだと思っていたかった。この心地よい関係を続けたかったから。自分の最大のライバルは、いつまでも彼女でいて欲しかったから。
これからもレティシアの隣で、笑っていたかったから。
「すまない、ライアン……」
オレを見上げたレティシアは、すっかり弱り切った女の顔をしていた。へにゃりと下がっている眉に、薄っすらと開いた桜色の唇からは荒い息が漏れている。水色の瞳は潤み切っていて、今にも泣きだしそうだ。
庇護欲をそそる表情に、カッと体が熱くなる。
オレに身体を支えられていることを申し訳なく思っているのか、レティシアが必死で身を起そうとオレの服にしがみつく。それがまるで、オレに縋り付いているように見えて、ドキドキと胸がうるさく鳴ってしまう。
「もう大丈夫だから」
「あ、ああ……」
レティシアがあっさりと身を離した。
腕の中の温もりが消えていく。
それが名残惜しく感じて、思わず追いかけようとした手を、思い直してくっと止める。
オレはちっとも、大丈夫じゃなかった。
試合が終わり、クラスの奴らが勝利したオレに祝いの言葉を掛けに来た。けれど、オレは風邪をこじらせた時のようにぼうっとしていて、虚ろな返答しかできなかった。
脳内を占めるのはレティシアのことばかり。
オレを見上げる潤んだ瞳。縋りつくような仕草に、誘うように薄く開いた唇……。
自分がいけないことを考えているような気がして、思い出すたびに首をブンブンと横に振り、記憶から追い出そうと試みる。けれど、それは全然上手くいかない。
石段の端に腰を下ろして、一人で思考の渦に囚われていたら、体調の戻ったレティシアがいつの間にかオレの近くに立っていた。肩に手を触れられそうになり、とっさに払いのけてしまう。
「っ、気安く触んじゃねーよ!」
なにを言っているんだ、オレは。
肩をポンと叩かれるなんて、日常茶飯事だったじゃないか。それなのに、触れられそうになるだけで口から心臓が飛び出そうなほどドキドキするとか、どうなっているんだよ。
レティシアの瞳が、一瞬、傷ついたように揺らいだ。
「あ……ごめん」
「…………」
「さっきはおめでとう。ライアンなら最後まで勝てるよ」
寂しそうな後ろ姿に心臓がズキリと痛んだけれど、何と言って声を掛ければいいか、分からなくて。
遠ざかる足音を聞きながら、オレは何度も心の中で謝った。
それから、無我夢中で剣を振った。半ば八つ当たりのように、もやもやとした胸の内を試合相手にぶつけていく。気が付けば、オレは学園に入って初の完全優勝を果たしていた。
◆ ◇
強くて見た目もいいオレは、女には困らないほどモテていた。面倒なので特定の彼女こそ作らなかったが、その日限りのデートなら何度も経験済みである。女に免疫のない奴らとは違うし、恋愛に手慣れていると自分では思っていた。
はっ。大きな間違いだったな……。
「ライアン様。いつものことながら、昨日の態度はどうかと思いますよ」
「…………分かってる」
「遠回しにものを言っても、あの方には伝わりませんわ。むしろどんどん悪化しているんじゃないかしら?」
剣術大会で完全優勝したオレは、史上最高にモテた。
…………本命以外に。
いろんな女の子にコクられて。断る度に、せめて友人でいさせて欲しいと懇願され。そうしてオレの取り巻きとなった連中は、なぜか皆が皆、漏れなくオレの恋を応援をするようになった。
曰く、オレの態度は駄々漏れているらしい。
誰にも、なぁんにも言ってねーのに。オレの気持ちは全部バレてしまっている。
…………本命以外には。
たぶんクラスの奴らにもバレバレなんだろーな。
「分かってるけど……いきなり本題に入るよりは、段階を踏んだ方が受け入れてもらいやすいかなーと思ってさ……」
「あんなお粗末な段階を踏むくらいなら、唐突な方が何倍もマシですわ」
「ぐっ……」
返す言葉に詰まる。今朝も同様の失敗をしたばかりだ。レティシアの髪に触れたくて、ありもしない寝癖を直してやると嘘をつこうとしたのだが。
…………結果は言うまでもない。
ちっ、なんなんだよ!
レティシアのやつ。色気のない格好してんのに、無駄にキラキラしてんじゃねーよ!
おかげで焦って、変なこと口走ってしまったじゃねえかぁぁぁぁぁ!
心の中で悶絶しながら頭を抱える。今までのように普通に接していけばいい。家を出る時はそう思っているのだが、いつも上手く振舞えない。
このままではマズイ。どうにかして挽回せねばと焦るも、口を開けば思ってもいないような憎まれ口ばかり叩いてしまう。
今までどうやってあいつと会話してたっけ?
軽口ってこんなかんじだっけ……?
「わっかんねえ……」
自覚したばかりのオレは、とことん恋に不器用だった。
自然な口調を意識して、上滑りをしてしまう。
少しでもカッコよく見せたくて、空回りをしてしまう。
好感度は下がる一方だ。
レティシアを意識した途端に、剣を向けることにも抵抗を感じるようになってしまった。あの日以降、打ち合いに一度も応じてやれてない。
オレを惹きつけてやまない水色の瞳。剣を構えた時のレティシアの目は、すごく好きなのに。
真っ直ぐで純粋な、誰よりも美しい水色の瞳。
「あの目で、オレを見て欲しいんだけどなぁ……」
「え? 蔑みの目で見られたいんですか?」
「ちげーよっ!!!」
逃げずに向き合えば、何かが変わるのだろうか。
その答えが知りたくて。
大きな不安と、捨てきれない僅かな期待を胸に抱きながら、オレは勇気を振り絞って彼女を校舎裏へと呼び出した。
完結です。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
おまけ。
ライアン剣術大会優勝・その後のAクラスメン ~
「おい、見たか?ライアンが面白いことになってるな」
「見た見た。レティシアのこと意識しまくりだよな。おれ笑い堪えんの大変なんだけど」
「あいつ今更自覚したのかよ。あほだな」
「嘘だろ?もう付き合ってたんじゃねえのかよ、あいつら」
「俺もてっきりそうだと思ってた。ついさっきまで」
「俺もだ。つーかさ、あれだけ2人の世界作っといて、ただの友達だなんて誰も思わねーよな……」
「もしかして、俺にもワンチャンあったのか?」
「「「ねーよっ!」」」
こうして、ライアンの恋はクラスメイト達から生温く見守られるのであった。