12
キン! キィン!
「だからさぁ。どうしてまともに受け止めようとするんだ、っての!」
剣と剣の打ちあう音が、早朝の訓練所に響く。
「なんでも真正面から受けすぎなんだよ。レティは力がねぇんだから、もっと流さねーと」
「っ、力がないのは分かってる。分かっているんだが…………つい、癖で」
想いが通じて、私たちは晴れて恋人同士となった。
あれから毎日のように、こうして恋人らしく剣の打ち合いをして過ごしている。
心躍る至福の時間だ。
「癖ねえ。前々から思ってたけどさ、お前の剣って力任せなところがあるよな」
「学園に来るまで剣は父に教わっていたから、……たぶん、ベースが父の剣になっているんだと思う」
「レティの親父さんの!? そりゃ無謀だ。あの人の剣なんてオレだって真似出来ないぞ」
「ライアンでも無理なのか?」
ライアンは私よりも体格がいいし、力がある。
パワータイプである父の剣も、模倣できると思うのだが……。
「別に驚くことじゃねーだろ。なにを買いかぶってるのか知らねぇけど、力ですべてをねじ伏せるようなあの人の剣は、全身筋肉だらけの熊みてぇな身体をしているあの人だから出来んだよ。オレの父だって、あんな戦い方は出来ねぇよ」
……確かに。ライアンは逞しい身体をしているが、父と比べたら細身といえる。
彼の父であるワイアット伯爵は騎士団長をされているだけあり、ライアンよりも立派な体格をしているが……それでもうちの父と比べると線は細い。
そもそも父より体格のいい人など、騎士に囲まれて育った私ですら今まで見たことがなかった。
お父様は規格外の方なのよ。
遠い目をしながら母が愚痴っていたのを思い出す。
「親父さんの剣は親父さんに向いた剣なんだ。レティにはもっと、しなやかな剣の方が似合ってる」
「……そうだな」
「さ! もうすぐ授業が始まるし、そろそろ終わりにしよーぜ」
真面目な顔を一転させ、ライアンが明るく笑いながら私の肩にポンと手を置いた。
心地よい重みに、確かな温もりを感じて。
張り詰めていたものがふっと解けていく。
彼は男で。私は女で。自分と比べて日々逞しく成長していくライアンに、どうしようもないことだと頭では理解をしていたけれど。
きっと納得はできていなかった。
差をつけられたことが悔しくて。どうしても力で跳ね返したいと、無意識に拘っていたのかもしれない。
そりゃ手も足も出ないはずだよな。
自分より体格で勝る者と真っ向から鍔迫り合いをして、弾かれるのは当然だ。私は、私なりのやり方で対抗すべきだったのだ。
これからはもっと、自分に合った闘い方を模索していかないと……
ライアンと、少しでもいい勝負が出来るように。
「もっと強くなりたいな。――協力してくれないか? ライアン」
「もちろんだ。レティ、オレと一緒に強くなろうぜ!」
お日さまのように眩しい笑顔を向けられて、私もふわりと笑った。
◇ ◆
訓練所を出ると、たくさんの学生たちの姿が見えた。
ちょうど、皆の登校タイムと時間が被ったようだ。
ライアンに手を引かれて校舎に戻ろうとすると、見覚えのある女子生徒がわらわらと群れを成しているのが見えた。
彼の取り巻きだった女の子たちだ。
ここんとこ、顔を合わせる機会がないから彼女たちの存在をすっかり忘れていた。
ライアンと付き合うようになってから、彼は他の女の子たちと過ごさなくなった。朝夕の訓練時は元より、昼食時も私を優先してくれている。
なぜか食堂ではなく空き教室で。なぜか私の分まで用意されたランチを、昨日も恋人らしく剣術談議に花を咲かせながら2人きりで食べていた。
しばらくライアンに放置されていたので、腹を立てているのだろうか。彼女たちが気色ばんだ様子で私たちに詰め寄ってきた。
「見て、手を繋いでいるわ!」
「ライアン様、もしかして……」
わ、見られた!
慌ててライアンの手を振りほどくも、今更である。
バレた。この子たちに、彼と特別な関係であることがバレてしまった。
悪いことをしているわけではないのだが、なんだか後ろめたい気持ちになってしまう。
「……ああ。先週から付き合ってる」
ライアンが再び私の手を取り、ぎゅっと握りしめる。
その仕草に、女の子たちから一斉に黄色い声が上がった。
「えぇえ、嘘! 嘘……っ!!」
すまん、みんな。
どの子も可愛いのに……、この中で一番女として微妙な私が、ライアンを奪ってしまった。
でも、申し訳ないがこればかりは譲れないんだ。
君たちに何を言われても、どう笑われても、私は身を引いてあげられない。
お腹にぐっと力を入れる。
こうなりゃ恨み言の一つや二つ、嫌がらせの三つや四つ、甘んじて受けようじゃないか。
「ライアン様、おめでとうございますっ!」
「…………へっ?」
真剣に構えていたのに、明るい声が聞こえて拍子抜けをする。
隣を仰ぐと、ライアンが照れくさそうにふいっとそっぽを向いていた。
耳が真っ赤だ。……これはどういうことなんだ?
「良かったですねぇ、上手くいって」
「もう見ているだけでジレジレして、たまりませんでしたのよ。ようやくスッキリしましたわ」
「もっと見ていたかった感もありますけどね、わたしは」
ライアンの横っ腹を肘でコンコンとつつく。
「この子らはライアンが好きで、私のことが気に入らないんじゃないのか?」
「まさか。みんなただの友達だし、むしろ応援されていた」
じゃあ、クスクス笑われていたのは……
「ライアン様ったら、ちっとも素直じゃないんだもの。もう、おっかしくて!」
私じゃなくて、ライアンを笑っていたのか!
なんだそりゃ。
内心ずっこけそうになった。……私はずっと、思い違いをしてたのだ。
そういえば、彼女たちは一度だって私を責めることも、嫌がらせをすることもなかった。
ただ遠巻きに私とライアンの遣り取りを眺めていただけで……
ずっと傍観者だったのだ。
「一年以上もグズグズされているんですもの。凛々しいお姿のわりに意外とヘタレ……こほん。繊細でいらっしゃるんだから」
一年以上!?
それって、ライアンとの仲に亀裂が入って、すぐくらいの頃じゃないのか……?
想像よりも長い間想われていたことに、驚きを隠せない。
「お前ら、もうその辺でいいだろ! これ以上レティに余計なこと吹き込むんじゃねえよ」
ライアンが顔を真っ赤にしながら、私の耳を指でふさいだ。
栓のつもりらしいが、サイズが合っていないので声は素通りしたままである。
「お聞きになりました? レティですって」
「聞きましたわ。胸焼けがしそうなほど幸せそうですわね」
「デートの誘いを断られて、落ち込んでいた日々が嘘のようだわ」
「あれは本当に笑いました。あんな誘い方で女が釣れるわけありませんわよね、ほほ」
「うるせーって言ってんだろっ!!!」
「は~い、分かりました! それではお二人とも、お幸せにっ!」
最後にもう一度祝福の言葉を述べて、嵐のような集団が去っていった。
毎度ながら騒がしい連中だ。
……でも、以前ほど苦手じゃないな。
私は剣のことしか見えていなかった。
見ようともしていなかった。
あの子たちのことを何も知らないのに、華やかな女の子に囲まれているライアンのことを、チャラチャラした軽い男になってしまったと勝手に思い込んでいたのだ。
なにが甘んじて受けようだ。
恨み言や嫌がらせをするような子たちじゃないのに。
ちなみにアリスちゃんについても、私の勘違いだった。
どうやら生徒会の面々で、好きな相手に順番に告白すると決めていたらしい。その一番手がルディで、2番手がライアンなのだとか。
つまり。ライアンがアリスちゃんの彼氏であるルディを羨んでいたのは、彼女が好きだからではなく。告白が成功して幸せそうな彼と、玉砕した己を比べたからだという。
『オレはフラれたのに、あいつらは幸せそうにしてんだぜ。そりゃ羨みもするだろ』
冷静に考えると彼の言うとおりである。
本当に、私は何も分かっていなかった。
「剣だけじゃなくて、もっと、いろんなことに目を向けないといけないな」
ふっと周囲に目をやると、見覚えのある男子生徒と目が合った。
いつぞやの、私を呼び出した2人組だ。
「げっ……レティシア!」
「おい待て、一人で逃げんじゃねえよっ」
慌てて逃げ出す彼らの姿に、己の未熟さを思い返して苦いものが込み上げる。あれから事の詳細をライアンに話したら、卑怯な真似をしたあいつらにひとしきり憤った後、私も苦言を呈されてしまった。
詫びの品を渡して謝るという行為は、明らかにまずい対応だったらしい。
『お前、男のこと分かってねーな。あいつらにもプライドってもんがあるんだ。2対1で女に負けて、手加減しなくて悪かった、なんて言って頭下げられたら余計に腹が立つに決まってんだろ』
『何もしないのが正解だったのか?』
『いや、オレを頼れよ。これからは何かあれば言ってくれ。一緒に対応を考えよーぜ』
今回の件で、私は騎士を目指すならただ強いだけじゃ駄目だということを痛感した。剣の腕を磨くのも大事だが、それ以上に、他人との上手い付き合い方も覚えないといけないな。
「レティのいう通り、お前はもっと剣以外のことに目を向けるべきだと思う。オレとかオレとかオレとかな!」
それはそれで、すごく偏っていると思うのだが……
「というわけで、まずは手始めに、今度の休日はオレとデートをしようぜ。……もう嫌って言うなよ」
「デートか。うん、それもいいな。私もライアンとデートをしてみたい」
「…っ服! お前の服、今度こそ買ってやるからな! 楽しみにしてろよなっ!」
「今度こそ? よく分からないが、すごく楽しみだよ。デートなんて初めてだしね」
嬉しくてニコッと笑うと、ライアンの顔がみるまに真っ赤に染まっていく。
大きな手で口元を覆いながら、ライアンが悔しそうに私を見下ろした。一見睨んでいるように見えるが、これはただ照れているだけだと今の私には分かっている。
「言っとくけど、新しい訓練着じゃないからな。覚えてろよ……」
口に出したら拗ねそうだから黙っておくけれど。
ライアンて……可愛いとこあるよな。
これも新たな発見である。
◇ ◆
「はぁ~……。私が男なら、ライアンの良いライバルでい続けられたのになぁ」
ライアンの指導を受けて日々頑張ってはいるものの、なかなか思うように強くはなれなくて。
たまに、ふっと、こうして弱音を吐いてしまう。
「冗談じゃねえよ。レティが男なら付き合えねーだろ」
「それもそうか……」
「オレ、フツーに女の子が好きだしさ。お前が女で良かったとめちゃくちゃ思ってるよ」
「確かに、男ならライアンと恋人になれないね。それは困るな」
ライアンはその度に私を受け止めてくれる。
私の頭をがしがしと撫でる彼の手は荒っぽいけれど、今日も温かくて気持ちいい。撫でられた猫のように目を細めてしまう。
「やっぱり、体格のいい奴に勝つのはきついんだよ。オレも1・2年の頃は上の奴らに勝てなかったしな。……まぁ焦んな」
「そうだな。いつも励ましてくれて、ありがと」
「それよりも」
ライアンがじっとりと恨めしそうな目をした。
「剣の練習もいいけどさ。それより、オレとしてはもう少し恋人らしいこともしたいんだけど……」
「え、してるだろ?」
「は?」
「え?」
お互い、びっくりして顔を見合わせる。
それからどちらともなく、ふふっと笑い声をあげた。
「だよなぁ。レティだもんなあ」
「な、なんだよそれ」
「はは、仕方ねーか。デートすらしたことのなかった奴だからなぁ」
「む、馬鹿にしてるのか?」
「まさか。真っ白で嬉しいと思ってるよ」
むくれる私の頬をつつきながら、ライアンがニヤリと意地悪に笑ってみせた。
きらりと光る金の瞳が怪しげで、思わずドキリとしてしまう。
「まあ、これからはオレがじっくり教えてやるよ。色々な」
その言葉の通り、ライアンには色々なことを教わった。
その結果、私は進級試験を無事クリアして、最終学年のAクラス入りが確定した。
それからしばらくして。辺境まで婚約を申し込んできた彼に、何故か父がライアンではなく同行していた彼の父親を殴りつけたことも。
そこから仲良く決闘が始まり、呆れたライアンに連れられて出た庭園でプロポーズと共に初めてのキスをされたことも。
小柄でも華奢でもない私に、背が高いからこそ映えるようなウエディングドレスを用意してくれたことも。
一滴の疑いすら持てないほど、日々たっぷりと注いでくれる愛情も。
全部、全部。彼が私に教えてくれた素敵なことだった。