11
怪我の痕跡がすっかり消えた、ある日のこと。
私はライアンを、放課後の誰もいない校舎裏まで呼び出した。
もちろん彼に告白するため――――ではなく、約束を果たしてもらうためである。
大きな木にもたれ掛かり、向こうに見える赤髪の彼に手を振った。校舎裏は今日も人の気配を感じない、静かな場所だった。
頬に当たる風が、とても爽やかで心地良いせいだろうか。以前のようにじめじめとした暗い印象は受けない。
見上げると、綺麗な青空が広がっていた。
ライアンは愛用している赤い剣を携えていた。服装は私と同じ訓練着。ちゃんと戦う気で来てくれたことに、歓喜のあまり震えが走る。彼と打ち合うのは一年ぶりだ。
――――だめだ、嬉しくて口元が緩んでしまう。
「もう体は平気なのか?」
「ああ。痣も消えたし、痛みもない。すっかり元通りだ」
「……適当に誤魔化してないか? 本当に大丈夫なんだろうな?」
左腕をぐるぐると回してアピールしてみせたのに、ライアンが疑わしそうに眉を寄せている。
くすっと笑みが零れた。そんなに心配しなくても大丈夫なのに。あれから一月は経っているのだ。あの程度の怪我、万全な状態に戻っているに決まっているじゃないか。
すっかり綺麗になった横腹を見せてやろうとしたら、ようやく納得したのか慌てて止められた。
「全力でいって、本当にいいんだな?」
ライアンが鞘から剣を抜く。
きらりと光るものが目に入り、どくん、と胸が音を立てる。
「ああ。手加減はしないでくれ」
「怪我しても知らねぇぞ」
「望むところだ。たとえ骨が折れても後悔しないから、安心してかかってきてくれ」
「骨なんて折るかっ! ったく、あいつらと一緒にすんじゃねーよ」
「ははっ、そうだな。……ライアンのこと、信じてるよ!」
その言葉と同時に、地を蹴った。
剣を構えて、ライアンに向かっていく。
その瞬間、彼もがらりと表情を変えた。私の剣を真正面から受け止めて、弾き返してくる。記憶に残るものよりも、遥かに重い衝撃。それだけで吹っ飛びそうになるのを、懸命に堪えた。
「覚悟しろよ、レティシア」
私を真っ直ぐに捉えた、金の瞳にぞくりとする。
大柄な体格に見合わないスピードで繰り出される素早い剣に、私も反撃の糸口を探りながら必死に身をかわし、弾いていく。彼の一撃は強力だ。たった数合の打ち合いなのに、既に腕はジンジンと痺れて痛くなっていた。
わずかに見えた隙をついて、こちらからも攻撃を仕掛けてみる。けれど難なく受け止められ、呆気なくねじ伏せられてしまう。
……ははっ。まったく敵わないや。
可笑しくて、笑いが込み上げてきそうになる。
私の攻撃は、何ひとつとして彼を追い詰めていないのに。
必死に防いでいる攻撃は、彼にとって明らかに序の口であると実感できるのに。
圧倒的な実力差を見せつけられて、こんなにも爽快な気分でいられるなんて。
「笑ってるのか? はは、余裕じゃねぇか」
「ライアンこそ、様子見ばかりしてるじゃないか」
「そうだな。――――お望み通り、終わらせてやるよ」
眇められた金色の瞳にぞくぞくする。
どこまでも真っ直ぐで、なによりも純粋で、狙いを定めた獣のように獰猛に光る、金の瞳。
この目に今、私が映っている。
もっと、もっとその目で私を見て欲しい。
その想いが全身を駆け抜ける。
ライアンが大きく剣を振りかぶった。
空いた胴に狙いを定め、私も剣を振りかぶる。
――――カキンッ!!
剣と剣が派手にぶつかる音がした。私の狙いは読まれていたようで、渾身の一撃を防がれてしまう。今までにない大きな衝撃が腕に走り、私の愛剣が青い空へと飲み込まれて行った。
防ぐものを無くした私に、彼が勢いよく剣を振り下ろす。
…………完敗だな。
不思議と、すっきりした気持ちだった。
呆気なく負けてしまったのに、あの時と違って、今は少しも焦りを感じていない。届かない焦燥感よりも、打ち合える喜びの方が圧倒的に勝っていた。
戦ってみて、よく分かった。
私が必死になっていたのは。強くなりたいと願っていたのは。
いつまでもこんな風に……
――ライアンが構える剣の向こう側に立っていたくて、私は頑張っていたんだな。
口元が弧を描く。
赤い剣の先は、私に当たる寸前でぴたりと止まった。
「やっぱりお前はすごいな、ライアン」
「レティシアこそ。……最後、目を閉じるかと思ったぞ」
「ははっ、信じてるって言っただろ」
ライアンは、約束を守ってくれると信じてた。
あいつらのように女だからと馬鹿にせず、実力差があろうとも真剣に打ち合ってくれると信じてた。
私に振り下ろした剣の先。あの勢いだってきちんと殺せる―――――そう信じていたから、あいつらの時のように目をつむろうなど微塵も思わなかった。
むしろ最後の瞬間まで、彼の剣を見ていたかった。
目を閉じるなんて――――そんな勿体ないこと、する訳ないじゃないか。
「今日は本当にありがとう。ライアンと久しぶりに打ち合えて、楽しかったよ」
フフッと笑いながらその場に腰を下ろす。
ライアンも私の隣にどかりと腰を下ろして、ぐしゃぐしゃと照れくさそうに髪を掻き上げた。
「…………オレもだよ」
「えっ」
「オレも、久しぶりにレティシアと打ち合えて……楽しかった」
ビックリしてまじまじと見てしまう。
あんなに実力差があったのに。
自分よりも弱い相手とやり合って、……楽しかったのか?
「なんだよその疑いの目は」
「だってほら、……弱かっただろ?」
「強いとか弱いとか関係ねーよ。前にも言ったろ? お前ほどいい目をしてかかってくる奴は他にいねーって。今でもそうだ。ちっとも変わらねぇなって、ワクワクしながら打ち合ってた」
ライアンに認められている。
その事実がたまらなく嬉しくて、胸に熱いものが込み上げてくる。
「ライアンこそ、すごくいい目をしていたぞ」
「そうか?」
「ああ、本気の目をしていた。その目に映りたいと……ずっと、思っていたんだ」
「………オレもだ……」
そう、いつも。
訓練所で、剣を振う彼を横目で見ながら私は願っていた。
この真剣な目線の先にいるのが、他の誰でもなく自分であればいいのに、と……。
なんだ、そういうことだったのか。
隣の彼を見上げながら、くすりと笑って肩をすくめる。答えは簡単なことだった。私は、本気のライアンにずっと焦がれていたのだ。
そりゃ、ライアンが女の子に囲まれていても嫉妬しないわけだ……
あの中に特別な子がいなかったことも。
ライアンが誰に対しても本気じゃないことも、私は分かっていたからだ。
アリスちゃんにもやもやしたのは、ライアンの目が切なそうに見えたからで。
本気で好きなのかな……と思ってしまったからで。
それってつまり。
「嫉妬、か」
「ん?」
ライアンが、さっぱり分からないという風に首を傾げている。
「好きってことだよ」
「――は?」
「告白してくれただろ? あれからずっと考えていたんだが、どうやら私もライアンのことが好きみたいだ。……って今更か」
「……………………は?」
金の瞳が限界いっぱいまで見開かれている。
そんなに衝撃的なことを言ったかな。
……言ったかも。
ライアンが沈黙したままちっとも動いてくれないから。自分が口にした言葉を改めて思い返しているうちに、急激に胸がドキドキし始めた。
「はは、告白ってすごくドキドキするんだな。初めて知ったよ。……それなのにごめん。ライアンが一生懸命告白してくれたのに、気持ちを疑うような返事をしてごめんね」
今思えば、彼の気持ちは一目瞭然だったのだ。
あんなに真面目な顔をしてくれていたのに。そんな簡単なことに気付けないくらい…………私は、ものすごく動揺していたんだな。
そう。今の、ライアンのように。
真っ赤になったまま動かない彼に、苦笑しながら右手をスッと差し出した。
「一度断ったくせに、調子のいいことを言っているのは分かってる。それでも、もし。もしも赦してくれるのなら、私と、付き合ってくれませんか……?」
ライアンの顔が、一転して真面目なものに切り替わった。
「ぜんっぜん、今更じゃねえよ……。悪いのはオレの方だ。レティシアに信用されなかったのも、断られたのも当たり前だ。オレの方こそ……あんな態度を取っていて、悪かった」
ライアンが私を真っ直ぐに見つめている。校舎裏に呼び出された時と同じ顔。普段の彼とは別人のような、真剣な金の瞳が私を射貫いている。
私も真っ直ぐに見つめ返した。
もう2度と、見間違えないように。
「オレも好きだ。レティシアのこと、まだまだ余裕で好きだよ。こんなどうしようもないオレでも赦してくれるというのなら、その手を取らせて欲しい。……これからも、レティシアと一緒にいたいんだ」
目を見れば疑いようもなかった。
彼の気持ちは、自分と全く同じものだった。そのことが嬉しくて、ふふっと笑みが零れた。
「取ってよ、ライアン」
2人の手が重なった。私よりも一回り大きな彼の手は、今日もやっぱり温かくて、力強かった。