10
ライアンが彼らを制圧するのに、ものの5分もかからなかった。
「次は腕か? それとも肋骨か? 好きな場所を選ばせてやるよ」
「ひ、ひぃぃぃ! ゆっ、赦してくれ!」
「はっ、赦す価値がお前らにあるとでも思ってんのか?」
「ひぇっ!! ……冗談だろ、こんなのめちゃくちゃだ……!」
敵わない相手だと一瞬で理解したようで、男たちは皆が皆、ライアンの一撃を受けた時点で完全に戦意を失っていた。痛みと恐怖にガタガタと身を震わせながら、すっかり腰を抜かして地面にへたり込んでいる。
「ははッ! なにも言わねぇってことは、全部か!? 全部なんだなッ!?」
「ぐふっ!」
「ぅぅぅ……助けてくれぇ…………」
赤い悪魔が容赦なく剣を振り上げる。
ヤバイ。ライアンの目がマジだ。
もうやめておけ! その辺にしておかないと、危ないぞ!
……そいつらの命が。
骨を折るくらいならまだしも、学園内で人を殺せばいくら伯爵家の息子とはいえ大変なことになる。
こんなくだらない喧嘩で、ライアンの輝かしい未来が奪われてはいけない。なにがなんでも回避しなくては。
呑気に倒れている場合ではないと判断した私は、ライアンにしっかり聞こえるよう、痛むお腹にぐっと力を込めて、力いっぱい叫んだ。
「おい、ライアンっ! もう止めてやれっっ!!」
「っ……レティシア……」
「もう十分、暴れただろ? 頼むからお前の為にも、この辺で切り上げてくれないか……?」
「…………」
その場に沈黙が流れた。
ライアンは何故か泣きそうな顔をして私をじっと見つめている。一方、さっきまで私を痛めつけていた奴らは、女神を崇めるかのように両手を組み、私を仰いでいる。現金なものだ。
そんな彼らを冷たく一瞥していると、ライアンが私の左腕を強打した男にスッと近づいた。恐怖に目を開く男の喉元に、彼の剣が静かに突き付けられる。
「2度とないと誓えるか?」
「ちちち、ちかっ、誓いますっ!!」
「お前らも誓えるのか?」
金の目を鋭く光らせて、他の男たちをじろりと睨んだライアンに歯向かおうとする者は、この場には最早一人もいなかった。
「おおお、俺らが悪かった! もうしない、もうしません!! レティシアには2度と手出ししねぇ! だからもう……勘弁してくれぇぇぇぇぇ!!!」
「……その、ありがとう。助かった」
「…………」
「おかげで私は無事だ。ほら、平気なんだ。痛みも治まってきたし、普通に歩けるんだぞ!」
「…………」
「~~~~~っ! だからもう、頼むから下ろしてくれっっっ!!」
ライアンは私を横抱きにした状態のまま、校舎の方へずかずかと足を進めていく。
私の訴えに耳を傾ける気はないようで、下ろすどころか逆に私を抱える腕にぎゅっと力がこめられた。
こんな姿、誰かに見つかると非常に気まずいのだが……。加えて、彼の体温までリアルに伝わってくるこの密着状態に、心臓がドキドキと煩く鳴って仕方がない。
……何故こんなことになっているんだ?
肝心のライアンは、あれからずっと難しい顔をして黙り込んでいる。
私に呆れているのだろうか。
「……本当に大丈夫だから。ライアンにこれ以上迷惑かけるのも申し訳ないし、後は一人でなんとかするよ」
ライアンは何も言わないが、おそらく医務室に向かってくれているのだろう。刃を潰してあるとはいえ、硬いもので打たれたのだ。打撲痕や擦過傷などの軽い怪我はあるだろう。とはいえ、骨は折れていないのだから、一人でも医務室に行くことは可能だ。
そもそも打たれたのは横腹と左腕なので、足は無事なのだ。
歩ける。余裕で歩ける。
だから頼む。恥ずかしいから、そろそろ下ろしてくれないか……
このままじゃ、もうすぐ人目のある場所に差し掛かってしまう。どうにかして腕の中から抜け出せないか、思案していると、真上からぽつりと言葉が落ちてきた。
「……無事でよかった」
掠れた声に、驚いて顔を上げると泣きそうな顔のライアンがいた。
「悪い、レティシア……。もう少し俺が早く来ていたら、お前に怪我なんてさせなかったのに」
「な、どうしてライアンが謝るんだよ……」
苦しそうに表情を歪められ、戸惑ってしまう。
私が怪我をしたのは、私が馬鹿だったから。あいつらを舐めていた。罠だと分かっていたのに、仲間のいる可能性を考慮に入れもしなかった。そもそも私闘をする時点で、怪我をしても文句は言えない。
ライアンは何も悪くない。むしろこの程度の怪我で済んだのは、紛れもなく彼のお陰だ。それどころか後の禍根まで断ってくれたのだ。感謝しかない。
そもそも、関わるなと言って私はライアンを遠ざけていたのだ。
それなのに、こうして助けに来てくれた。
それだけで十分すぎる。
「そうだ。どうしてライアンはこんなところに来たんだ? 私があそこにいたこと、まさか知ってたのか?」
「ああ、見てたからな。お前、昼休みにあいつらと話をしていただろ?」
「ん?」
そういえば、食堂であいつらに放課後のお誘いを受けたんだっけ。
確かにライアンもその場にいた。けど……
「まさか、あの距離で聞こえたのか!?」
「まさか。細かい会話まで聞こえるかよ。訓練所に行ったら誰もいないから……なんとなく嫌な予感がしただけだ」
「それで、探しに来てくれたのか」
「ああ……」
全然間に合ってなかったけどな、とライアンが苦々しそうに呟いた。
医務室には常駐の先生がいて、私の身体を診てくれた。
医師免許を持つ、若い女の先生だ。
「うん、骨に異常はないね。腕とお腹に大きな痣があるけれど、跡は残らないから安心していいよ」
「ありがとうございます」
「騎士科の生徒だから仕方がないとはいえ、女の子なんだから。今後はくれぐれも気を付けるように!」
私の患部を看て全てを察したのだろう。
私闘が理由で怪我をした私に、先生が「めっ」と咎める目を向けた。
「はい、今後は気を付け……ってててて!」
「ああごめん。染みたかな」
私の身体には、打たれた左腕と横腹を中心にいくつかの擦過傷ができていた。そこに消毒液が塗布されて、剣で打たれるものとはまた違う種類の痛みが私を襲う。
「それにしても、たいした怪我じゃなくて良かったよ。ライアン君がすっごい悲壮な顔して運んでくるから、どんな大怪我したかと焦ったわ」
青春っていいねー!とカラカラ笑われて、頬にさっと朱が差す。
……くそうライアンめ。だから下ろしてくれと頼んだのにっ!!
真っ赤になった顔を見られたくなくて、そっぽを向いたら余計にカラカラ笑われた。その笑いに温かなものが含まれているのを感じて、私はくすぐったい心地になった。
手当が済んで医務室から出ると、私の荷物を抱えたライアンが扉の前で待っていた。
ありがとうと言って荷物を受け取ろうとしたのだが、返してもらえなかった。このまま私の家まで送るという。一人で帰れるから、と断ったのに2択を迫られた。
「うちの馬車を呼んでおいたから、乗っていけ。嫌ならさっきみたいに抱えて帰る。好きな方を選んでくれ」
そんなの、馬車一択じゃないか。
「怪我はどうだ? なるべくゆっくり走らせてるけど……痛むか?」
「いや、大丈夫だ。怪我よりも、むしろ消毒の方がピリピリして痛いくらいだよ。……不思議だよな。剣で打たれた時よりも、消毒液を塗られた時の方が飛び上がりそうなくらい痛かったぞ」
「ははっ、戦ってる時は興奮してるからな。痛みなんて全然感じねーよなぁ」
「いや……戦っている時でも一応、痛いのは痛いだろ。確かに鈍くなってはいるが……」
馬車に揺られながら、ライアンと久しぶりに他愛のない話をした。たったそれだけのことなのに、さっきまで私の心にもやもやと巣食っていたなにかが、スッと薄れていく。
……本当に私は馬鹿だな。
イライラして、それをあいつらにぶつけることで、解消できると本気で思っていたのだから。
この1週間、もどかしい思いを胸の内に抱えていた。
ライアンとどういう関係になりたいのか、私の中でいくら考えても答えははっきりしなかった。
そんなの、当たり前だったのだ。
彼とまともに向き合ってもいないのに、答えなんて出せるわけがない。
「お願いがあるんだ、ライアン」
「どうしたんだよ、真面目な顔して。まあオレに出来る事ならなんでもしてやるけどさ」
「ライアンにしか出来ないことなんだ」
「オレにしか?」
「ああそうだ。ライアン。一度でいいから私と、……本気で闘ってくれないか?」
「――――――」
息を呑んだライアンと、視線がぶつかった。
カタカタと揺れる馬車の中、金色の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。
ずっとこの目で見られたかった。
ここじゃなくて、もっと別の場所で。
もっと、鋭い視線で。
小さな小窓から柔らかな夕日が差し込んで、私たちをオレンジ色に染め上げている。しばらく逡巡した後、ライアンが意を決したように口を開いた。
「……分かった、約束する」
この一年。何度も横に振られた赤い髪が、今はっきりと縦に揺れた。
「ありがとう、ライアン」
応えてくれたことが嬉しくて、口角が上がる。
私の心は、久しぶりに満たされた気持ちで一杯になっていた。