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「よお、レティシア!」
王都にあるにぎやかなメインストリート。その一角にある武具屋で用を済ませ、店を出たところで後ろから声をかけられた。
聞き覚えのある声で、名を呼ばれて反射的に振り返る。しまった、と思った時にはもう、遅かった。
そこにいたのは毎日見ている馴染みの顔。赤い髪に金の瞳をした、精悍な顔立ちの男がこちらに向かって歩いてくる。
にやにやと、嫌な笑いを浮かべながら。
「なんだよ。お前がこんなところにいるなんて、珍しいな」
鮮やかなグリーンのズボンに、白のシャツは七分くらいの位置で袖を緩くまくり上げている。むき出しの手首には金色の細いリング。左耳には、淡い光を放つ3つものピアス。
派手な格好をした彼は、いつものように華やかに着飾った可愛い女の子たちを背後にぞろぞろと引き連れていた。
……相変わらず、チャラチャラした男だ。
ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、背の高い彼が大きな歩幅で素早く隣にやってくる。
ニヤリと口角を上げて、私を偉そうに見下ろした。
あーー、面倒な奴に捕まってしまったな……
こいつが休日のたびに女の子たちと街に繰り出していることは知っていたが、まさかこんなにもタイミングよく出くわすなんて。
気付かなかったことにしたいが、しっかりと目を合わせてしまっている。無視するのも今更だし、適当に返事でもするか。
「ああ。ちょっと用があってな」
「ん、新しい剣か? もしかしてお前、また折ったのか!?」
両手で抱えていたものに、彼が目ざとく視線を向けた。先程の武具屋で購入したばかりの、真新しい剣だ。
「ったく、これで何本目だよ。毎日必死に訓練しているようだが、もしかして剣を折る訓練でもしてるのか?」
「…………」
「これだから辺境育ちの山猿は、粗野で困るぜ。剣の腕を磨く前に、物の扱い方を学んだ方がいいんじゃねえの?」
今日もよく回る口だな。
嘲るような物言いに、またかとうんざりしてしまう。半目になった私を上から下までじろじろと見回して、ふっと馬鹿にするように彼が笑った。
「大体なんなんだよ、その恰好は。そんな薄汚れた訓練着で、王都の繁華街に来るやつがいるかよ。相っ変わらず色気のねー女だな。もしかしてお前、ドレスの一着も持っていないのか?」
「…………」
……そんなしょうもない嫌味を言うために、わざわざ私を引き留めたのか?
呆れるほど暇な男だ。私なんか放っておけばいいのに……。後ろにいる華やかなお嬢さんたちと喋っている方が、お前だって楽しいと思うのだが。
彼に同調するように、女の子たちもクスクスと遠慮のない笑い声をあげはじめた。本当に毎度ながら騒がしい集団だ。
「それとも、服を買えないほどお前んとこは貧しいのか? はっ、仕方ねーな。このオレが買………………って、おいっっ待てぇぇええええ!!」
このままここにいても時間が無為に過ぎるだけだな。取り合わずにスタスタとこの場を去ろうとしたら、後ろから大きな叫び声がした。
なんて声を出すんだ!
通りかかった人たちが、何事かとチラチラこちらを見ているじゃないか。
本当に迷惑な奴だな。
ふぅ、とため息を一つつき、しぶしぶ足を止める。
「なんだ? まだ私に絡み足りないのか? こっちはお前と違って暇じゃないんだ。手短に頼むよ」
「う、うっせーな! ぜんっぜん、暇じゃねーよ! オレは今デート中なんだ」
こんなに大勢引き連れていて、デートなのか。デートとは一対一で行うものだと思っていたのだが……私の認識とだいぶ違うようだな。
「暇なのはそっちの方だろ。もう用は終わってんだろ?」
「いや……」
抱えている剣に目を向ける。確かに、必須の用事はもう終えてある。
しかし、もう一つ……どうするべきか迷っている用なら、あった。
――――そうだ。どうせならこいつに聞いてみよう。
「なあライアン。男って、甘い菓子を食べるのか?」
「……は? 菓子?」
「そうだ。女の子なら大抵の子は菓子を渡すと喜んでくれるのだが……男も喜ぶものなのか?」
「そりゃまあ、あれば食うけど……」
通りの向こうにある愛らしい外観の店に、ちらりと視線を投げかける。
流行りに疎い私でも名前を知っているような、王都で人気のある菓子店だ。店の外にまで人の列が並んでいる。
ライアンは菓子屋をちらりと見て、それから私に視線を戻し、にやりと得意気に笑った。
「へぇ、お前にしては可愛いところもあるじゃねえか。いいぜ、どうしても渡したいっていうのなら、貰ってやらんこともない」
「ん?」
「あの菓子で、オレの気を引きたいんだろ?」
「あー、いや、悪いが渡す相手はお前じゃないんだ」
「はあっ!?」
私の返答にライアンが顔を真っ赤にして、ぎりっと歯噛みした。勘違いさせたのなら済まない。どうして自分が貰えると思ったのか、謎だが……
プライドが高くて自信家な奴だからな。
この世の女は全員、自分に媚びを売るとでも思っているのかもしれん。
ライアンは羞恥と怒りにふるふると震えながら、私をきつく睨みつけている。眦にうっすら光るものが見えたけど…………気のせいだよな…………
「お前のような女から物を貰って、喜ぶ男がいると思うなよ!!!」
捨てゼリフのようなものを吐いた後、彼はイライラした様子でこの場を去っていった。
◇ ◆
私の名前はレティシア・エインズワース。騎士科の5年生。貴族の子女から裕福な平民まで在籍するこの学園に、12の時から通っている。
これでも一応貴族の令嬢なのだが、5人の男兄弟に囲まれて育った私は、幼い頃から淑女らしさとは無縁の日々を送ってきた。
お絵描きや人形遊びをするよりも、男の子に混ざって野山を駆け回る方が好きだった。可愛らしいドレスには興味が持てず、動きやすい兄のお古の服を好んで身に着けていた。綺麗な宝石には目もくれず、虫を捕まえては宝物のように愛でていた。
父や兄たちの影響で5歳の頃から剣に興味を持ち、母の反対を押し切って王都にあるこの学園の騎士科に入学し、騎士の道を志している。
唯一女の子らしいと言えるのは、母に懇願されて伸ばしているこの髪くらいだろうか。それでも動きやすさを重視して、ゆるくうねる淡い金色の髪は左サイドの高い位置で一つに束ねてある。ちなみに瞳の色は氷のように冷ややかな水色で、切れ長であるせいか、剣を構えると鋭くなると弟には恐れられている。
幼い頃から剣に打ち込んできた私は、トップクラスの成績でこの学園に入学した。騎士科は成績によりAからDまでのクラス分けがされているのだが、私は一番上のAクラスに入ることを許された。
誇らしい気持ちで、輝かしい未来を夢見ていた私が、しかし自分の実力に自信を持っていられたのは、ほんの2年の間だけだった。
成長に伴い段々と性差の壁がきつくなり、5年目の今ではギリギリのところでAクラスにしがみついている状態だ。卒業まで後2年。出来ることなら最後までAクラスで居続けたいのだが、恐らくこのままだと来年はBクラスに落とされるだろう。
さきほどの騒がしい彼――ライアンも、初年度から同じAクラスに所属しているクラスメイトである。入学時から能力の高かった彼は、私とは違い、年を追うごとにぐんぐんと力を伸ばしていった。
年度の終わりに行われる剣術大会では、彼は毎年当たり前のように学年での優勝をもぎ取っている。その後の、各学年の優勝者のみで行われる決戦の場でも彼は学年の低いうちから上位に食い込み、3年目には総合での優勝を果たしていた。
今ではすっかり差がついてしまった。
これでも入学当初は、トップを争っていたライバル同士だったのに。
あの頃はライアンとも普通に仲が良かった。お互いライバルとして研鑽し合い、励まし合い、時に泣き言を言い合うこともあった。それが崩れてしまったのは、実力に明確な差がついてしまった頃からか。
入学時はさほど変わらなかったのに。この4年でライアンはどんどん背を伸ばし、今では男の平均ほどもある私ですら見上げないと視線が合わなくなっている。細身だった体つきも、いくら鍛錬してもさほど筋肉のつかない私とは違い、随分と逞しくなった。
体格の良いライアンの振るう剣は重い。正面から受け止めると、腕がジンと痛くなる。私も負けじと鍛錬に励むも、腕の痛みは増すばかりでちっとも追いつけやしない。
日に日に彼の剣が重くなり、受け止めきれなくなっていく。大したことのない相手なら、機敏な動きと技術で誤魔化せるのだが、腕力だけでなく俊敏さや技量も兼ね備えている彼には、そういった小手先の技は全く通用しなかった。
簡単に剣を弾かれて。呆気なく膝をつかされて。剣を突き付けて私を見下ろした時の、彼の失望した顔は今でも脳裏に焼き付いている。
ツキリと胸が痛む。あの時からだ。
あの日から、彼は真っ直ぐ笑ってくれなくなった。