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②こんな人でも彼氏持ち

「しかし――まだモデルケースはある」


 そう言ってから部長は、またも本を机に滑らせてきた。べつに普通に渡せばいいのに。まだまだ格好をつけたいお年頃なのだろうと、彼はそんな風に思っている。

 そして、渡されてきたのは一冊の文庫本。忍者が出てくる古くから有名な作品で、黒い表紙を分断するように、クナイを手にした登場人物のイラストが淡いタッチで描かれている。


「その二八〇ページ辺りからだ。栞が挟んであるだろう?」

「……あの、もう一度言いますけど、これってやっぱりセクハラの類ですか? わざわざ下準備もしてますけど、そんなにこの話がしたかったんですか?」

「細かいことは気にしなくていい」

「いや、気にするでしょ。というか、そこまでしたいんだったら、付き合い始めたばかりの彼氏さんにでもすればいいじゃないですか」


 ここまで口にしてから、彼は気がついた。いくら遠慮と配慮のない部長とはいえ、恋人相手にそれをするほど愚かではないだろう、と。それよりも、自分の発言のほうが失礼だったのではないか?


「電話でしたら……鼻で笑われた……」


 どうやらそんな思いやりは不要だったらしい。しかも、本当にしでかしていたらしい。


「その後にラインもしたんだけど……既読スルーされて、それで――」

「わかりました。結構です。余計なことを言って申し訳ありません」

「――金ちゃんに、愛想、尽かされたかも……!」

「もういいですから。それ以上の自傷行為は控えて下さい、お願いします」


 涙目になりかけている部長を、彼は必死に(なだ)めた。彼女は日頃はキャラを被っている癖に、ふとしたダメージで素に戻る。耐久力がなさすぎるのではないか、この部長は。

 何より、付き合ったばかりの彼女から、こんな桃色ハレンチ思考な相談された彼氏さん――もとい、金ちゃんの心境や如何に……。

 高校生男女のすれ違いに触れないようにしつつ、彼は話を続けることにした。


「それで、栞の挟んであるページでしたね。読みますよ」


 彼が文庫本を開いてみると、そこには敵対する男女がいた。詳細は省くが、どうやら両者は騙し合っているらしい。

 あらすじを知るためにそれ以前のページにも目を通してみたが、時代小説を下地にした忍者たちによる能力バトルが描かれており、その筆致は重みがあると同時に熱気とスリルを帯びている。とても半世紀以上も前のものだと思えないほど新鮮味に溢れた作品だ。

 だがしかし――部長が指定してきたのは、またも“そういう描写”のある場面。こんな奇をてらったセッティングではなく、もっと真っ当なところでこの作品に出合いたかったと、彼は心の底から思わされた。


「たしかに、これも色っぽい感じはしますけど……。というか、なまめかしい?」

「それで、君はその場面を読んでみて、文章についてどう思った?」


 またも難しい質問ではあるけれど、彼はさっきと同じように答えてみた。


「ここにも前の本みたいに直接的な表現や言葉がたくさん出てきましたけど、それで作品の雰囲気が変わることなく、熱があるままになってます。それどころか、このドロドロが物語の後半をさらに盛り上げてくれているような……」

「そうかそうか。君も、とうとうわかってくれるようになったか」

「いや、わかってませんよ。べつに」

「他にもいろいろあるが、読んでみるかい? 例えば、このシリーズものの小説なんか……」

「結構です。どんだけ用意してたんですか、あんた」


 実に用意周到な部長に呆れつつも、彼は先の二作品の作者たちに敬意を抱いていた。どちらを読んでも、凄まじい技量と素晴らしい発想力に圧倒されるばかりだった。自分が小説を書くとしたら、この二人を目標にしたいと思わされる。そんな作品たちだった。


「それより、気になってるんですけど……」


 彼は文庫本を閉じてから、部長のほうへ向き直った。


「さっきからそこにある、それ、なんですか?」


 彼が指さした先にあったのは、同じく机の上に置かれた白紙のレポート用紙の束。

 それから――「はじめてでもだいじょうぶ! あさがおの育て方!」という本だった。表紙のデザインや文字のレイアウトからして、幼児から低学年向けであることは間違いない。高校に置かれていたとも考えられないので、おそらく部長の私物だろう。

 だとしたら、どうして彼女がそんなものを持っているのだ?


「うちの高校では、夏休みには通常の宿題とは別に、自由課題があるだろう?」

「ええ。生徒の自主性を高めるためとかなんとか、でしたっけ」


 これは、二十年ほど前にこの高校の校長を務めていた人物が非常に教育熱心だったらしく、生徒たちに自身が興味のあることを題材にレポートや作品として提出することを義務付けたからだとか。以来、この高校において、もはや伝統行事となっているらしい。


「ぼくも初めて聞いたときは驚きましたけど、読書感想文を書いて乗り切りました。部長は、いったい何を――――あ」


 自分でそこまで口にしてから、彼は気がついてしまった。まっさらなレポート用紙に、あからさまな夏休みの宿題お助け本。これらの語るところは一つしかない。


「察しが良くて助かるよ」

「いや、誰でもわかるでしょ。察するに余りあるでしょ、これ」


 むしろ、あからさますぎてトラップと疑うか、「かまってちゃん」かと思うほどである。後者に関しては間違っていないけれども。


「なんでいまさら手を付けてるんですか? もう夏休み終わりましたよ?」

「仕方がないだろう。姉の仕事の手伝いをしていたんだ」

「お姉さんの仕事……?」

「シナリオを書いて、作画の補助をし、トーンを貼り、マーケットにおいては売り子をした。製本に掛かった代金と交通費を加味すれば、少々赤字だったのが痛かったがね」

「ちょっと? いったい何に参加したんですか? どこのビッグサイトですか?」

「帰りの焼肉はすごくおいしかった……」

「子供みたいな感想言わないで下さいよ。赤字をさらに赤くしてどうすんですか。経理の人は馬鹿なんですか?」

「経理はボクだった」

「馬鹿なんですね」


 彼からこの部長へ向ける敬意の低下が止まらない。いくらひと夏の思い出とはいえ、学校の課題を放ってまで何をしているんだ、この人は。それを一から十まで手伝わせている家族もどうなんだ?


「余った本を課題として提出しようとしたが、R指定ものなので止めておいた」

「あのイベント、未成年は参加出来ませんからね? 立派な証拠品ですからね、それ」


 イベントのルールは守りましょう。十八歳以上かつ、学校の校則で禁止されていない場合のみ参加して欲しいものである。

 部長の株がストップ安になりかけているところで、彼は本題に戻ることにした。


「それで、いまから朝顔の観察日記をしてるんですね。日記をでっち上げるなんて、小学生なんですか?」

「まあ、そう言わないでくれ。ちゃんと観察はしておいた」

「え、してたんですか?」

「近所の小学生がしていたから、その写真のデータを分けてもらった」

「小学生以下じゃないですか。子供相手に恥ずかしくないんですか?」

「田舎の母親三枚で譲ってくれたよ」

「有名メーカーのお菓子を変な呼び方しないで下さい。あと、まさかと思いますけど、初対面の子じゃありませんよね?」

「初対面だったとも。何か問題があるかい?」

「問題しかありませんよ、不審者」


 いよいよツッコミどころしかなくなってきたものの、当の部長はお構いなしのようだった。常識とかプライドとか、そういったものは持ち合わせていないのだろうか、この人は。


「というか……なんでそんな状況に陥ってるのに、さっきみたいな無駄話をしてたんですか? 絶対に時間の無駄だったでしょ、あれ」

「無駄じゃないさ。あれは必要なプロセスだった――この朝顔の観察日記を書くためにね!」


 部長は自信満々にそんなことを言ってのけたものの、彼にはさっぱりわからなかった。


「先の二作の文章に(なら)って、情緒と風情を豊かにし、気負わないふうに、あるいは畳み掛けるように書いてしまえば、たとえ内容もボリュームも薄い日記だとしても違和感を覚えさせることなく、叡智の宿った立派な作品として仕立てあげることが出来るのではないかね?」


 以上の部長による言い分、もとい暴論に対する部員からのコメントはこちらである。


「もう帰っていいですか?」


 そんなことに労力を割くくらいなら、もっと他のことをすればよろしいのではなかろうか? 言っても無駄だろうから口にしないものの、彼はそんなことを思ったのだった。

 そして、やはり部長自身はやる気でいるらしい。


「ああ――来たぞ。ボクのインスピレーションに、ビンビン来ている……!」

「はあ、そうですか」

「こうしてはいられない! 早く執筆に取り掛からなければ!」


 その熱意を夏休みの間に持ち合わせていたならば、こうして焦ることもなかっただろうに。

 部長の現状を見ながら、彼は自らの在りし日を追想したのであった。

 とはいえ、さっさと帰ることに変わりはない。手早く荷物をまとめて、さっきの赤い表紙の本の貸し出し手続きを済ませて、彼は帰り支度を整えた。


「……エアコンの温度、下げときますね」


 教室を出る間際、彼はそう言ったものの、部長の耳には届いていないらしかった。

 ――まったく、どうなることやら。

 鉄は熱いうちに打て、焼け石に水、対岸の火事。

 いまの部長にぴったりな言葉はどれなのだろうか。途中で熱が冷めて、我に返ることがあるのだろうか。

 そんなことを考えながら、彼は帰路についたのであった。


 そうして時は過ぎ去って、翌日――九月一日を迎えた。

 部長は家に帰ってからも夜明け近くまで机に向かい、無事に課題を完成させた。

 その「朝顔の観察日記」の完成具合はというと、次の通りである。

次回に続く

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