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短編

前線からの願いの手紙

作者: 朝日 橋立

秋の歴史2022の題材を見て、思いついた、物語を書いてみました。

すっごく短くて日本語が微妙なばしょもあるとは思いますし多少

妄想のようなところもあります。

歴史とうたっているのに申し訳ないです。

どうぞ、前線からの手紙をお楽しみください

 1941年7月昭和16年

私は、恐怖をした。

そう日本最大の戦い『大平洋戦争』が始まった日だ、

我が祖国の未来、日本の未来は、国連を脱退したときから既に決まっていたのだろうこの時点で

もう破滅以外の道は、存在しなかったのだ。

私は、何年間もこの日本において郵便の配達員をしていた。

戦争が始まってすぐには、

新聞の勝利の文字に見た全員がわいただろう。

私も、沸いた、そして、『前線からの手紙』を届けるのに誇りすら感じていた。

それに、嬉しいことに、

手紙の量は増えていっていた。

私が、届けた手紙を見た人が突然泣き崩れること、

その度に、私は、どんどん罪の意識のような物がが段々増え続けた。

・・・・

大平洋戦争が始まって何年たった、それとも数ヶ月か?

もうどれほどの時間がたったのかが分からなくなってしまった。

戦争が激化してからと言う物私は、広島に転属することになりました。

いつほどの前かわすれてしまいましたが、突然、日本の大敗が新聞に大きく載ったのだ。

国民は、一気に沈んだ。

それに、伴ってか、段々と泣き崩れる人も多くなっていくように感じた。

私は、新聞を読むこと手紙を届けること、に対して恐怖を感じるようになってきた。

この時点で、私は、もうだめだったのかもしれない。

「もう、嫌だ嫌だ」

この言葉が私の頭の中で永遠と反芻し続けた。

私は、もう最初のような誇りを感じることはできなかった。

いつになったら、この戦争は、終わるのか、

いつになったら、この苦痛から逃れられるのか。

を考え私は、今日も『前線からの手紙』を届けた、

1件目の手紙は、嬉しそうに、受け取った後に段々と、

暗い顔になっていった。そして、泣き崩れた。

「どうして、どうして」

と鼻を啜りながら、泣いていた、

私は、この人の息子の「死」を確定してしまったのだ。

私が、手がもを届けなければ、この人は、息子さんの死を知ることがなかった。

もしかしたら、生きているかもしれない、息子のことを思いながら、

明日を生きようという希望を持つこともできたのかもしれない、

私が、手紙を届けたことによって、あの人は、生きる希望を失ったかもしれない。

私は、あの人の顔を忘れて次の配達先に向かった。

次の配達、先もその次も、また、その次も、受注者は泣き

私は、後悔した。

だが、最後の配達先は違った。

最後の人も最初は、泣いていた。

だが、

「ありがとう」

と消え入りそうな声で私に感謝を言ってきた。

私は、この仕事をしていて何度か聞いたことがあったが、

今のような時に言われたのは、初めてだった。

私は、気になって「どういう意味ですか?」

私は、失礼を言ってしまった。

思ってしまった。

だが、その女性は、嫌な顔をせずに(ちょっとだけ驚いた顔で)こう言い返した。

「私の子供の最後の言葉を持ってきてくれてありがとう」

という意味だと言ったのです。

私は、気になって、非礼だと思いつつも

「今まで、私にそのようなことを言った人は、初めてです。

今までの人たちは、私たち配達員をまるで悪魔を見るように見るのですよ。

まるで自分たちの息子の死を理不尽に一方的に持ってくる悪魔のようにみられるのですよ。

あなたは、私のことを、悪魔のような物に思わないんですか!」

それに対して、

「私は、嬉しいのですよ、『死んで来る』と言って出て行って以来

私は、あの子とあえていないし、手紙も貰っていないの、

だから私は、息子の最後の思いを、直接聞けないのは、残念だし

私より、先に死んでしまったのは、悲しいですし、辛いですが

息子の最後の思いを、最後の言葉を届けて貰えたのが

嬉しかったのですよ。

あなたがたっていたときは、まさかと思って怖かったですが、

息子の死を受け入れる事のできるのは、いまのうちだ、

さらに長引かせると、さらに辛くなるだから、覚悟を決めて、

息子の言葉を届けてくれたあなたに、感謝を言おうと思ったのです」

その言葉を聞いた私は、こんな世の中になろうとも未だにこのような良心がある人がいると言うのに

驚きが隠せませんでした。

その後も一時期は、恐怖を感じていた、

仕事に対して、少しほんの少しだけちっぽけな誇りを持つことができました。

ある日、仕事をしている時後ろから、「こんにちは」

と挨拶の声が聞こえました。

誰かと思い振り返ってみるとそこには、

ありがとうと言ってくれた女性がいました。

わたしも「こんにちは」

その人改め幸子さんと

たわいのない世間話をすることになりました。

手紙を届ける、仕事がないときは、元々は、

一人さみしくベットに眠るだけでしたが、

最近は、幸子さんやそのママ友とも

たわいのない世間話をすることが多くないました。

この頃は、空爆や配給の減少など色々辛い事は、

ありましたが、今までに比べたら、

一番楽しかった、と記憶しています。

ある雨の日、私は、その日も手紙の配達をしていました。

その日の配達先は、幸子さんのママ友への配達でした。

今までにないくらいに足がすくみつつも配達にいきました。

私は、そのママ友の家の扉をたたきました。

ママ友さんの名前は、辰子と言います。

すると「はぁーい」

という元気な声が聞こえました。

その声に緊張しつつも待っていると

「何のようでしょうか」という声とともに扉が開き「あら、あなたは、どうかしたの」としつもんする言葉が投げかけられました。

私は、辰子さんの前に手紙を出すと

辰子さんの表情は、いつものおっとりした顔ではなく、

鬼気迫った顔で、

私に対して、「それは、戦場からの手紙ではないわよね!」

「それは、別の誰かそう夫からのてがみなのよね!」

と言う質問に対して私は、こう言った

「これは、『最後願いの手紙』です。辰子さんの息子さんの最後の願いの言葉です。

受け取ってください」

と私は、言い手紙を、最後の言葉が綴られた手紙を渡した。

その瞬間辰子さんは、崩れ落ちるように泣き始めた。

私は、この光景を忘れないようにしようと誓うのだった。

その数ヶ月後、1945年昭和20年6月私は、

広島から東京への転勤となった。

東京は、空爆の影響で何度も新聞で見た都会の風景とは、

かけ離れていました。

東京へ転勤となっても幸子さんとは、文通を続けていました。

なので、私は、東京の現状も手紙に載せ送りました。

ですが、7月のある日を境に手紙が返ってこなくなった。

最近、広島で新型爆弾が爆発した。

と言う噂をよく耳にするのでまさかと思いつつも、

文通が帰ってこないから本当なのでは、と思い始めていたら、

終戦となりました。

・・・・

終戦後も、生活は、辛く

帰ってこない手紙を送り続けました。

きっと生きている、と考えながら、送っていても

手紙は、帰ってくる事はありませんでした。

きっと、死んでしまった。

そのことは、分かっていました。

ですが、私は、信じたくなく、

何度も手紙を送り、何ヶ月と帰ってくる手紙を待ちました。

そんな日が続いていると、

ポストの中に手紙が入っていました。

誰からか、と読んでみるとそれは、幸子さんからの手紙でした。

(きっと、配送が遅れてしまったのでしょう。)

読んでみると、私は、涙を流しました。

そこには、何ヶ月も昔だというのに

確かに幸子さんが生きていたと言う証拠が残っていました。

私は、その後にあった、バブルの崩壊、テロなどの辛いことがある度に

幸子さんの手紙を読み元気をつけ過ごしました。

・・・・

2014年平成26年

私は、今となっても、

あの戦争で過ごした日々や、

自分の息子の『前線からの最後の手紙』、『最後の願い』を受け取った人の顔、

『確かに生きていた人』のことを忘れることはないだろうと私は思っている。

私は、もうすぐ死ぬだろう、それがなんとなくだが分かっていた。

ですが私は、何故か清々しい気持ちでいました。

私は、かつて戦争で戦って散った物たちに、確かに生きていた人たちに

『最後の手紙』を書こうと思った。

もう、大平洋戦争という、苛烈を極めた時代に生きていた人が亡くなっていっている、その現在でも戦争の恐ろしさや悲惨さを忘れずに、この世界がいち早く、平和になれるようにと心から願っています。

歴史が違っているや間違っている所もいるでしょうが、

そこの所は、目をつむって貰いたいです。

追記

レビューくださった方ありがとうございます。

これからの活動の励みにさせて頂きます。

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