第6話 第二王子は頭が痛い
王宮にある第一王子の執務室。
王子と側近二人がまたもやテーブルを囲んでいる。
「彼女......喜んでいなかったかい?」
「......ええ。 満面の笑顔でしたね」
「なぁ、楽しんでいたって言ってたけど、本当は辛かったんじゃねぇか? そうじゃなきゃ、殿下の言った罰をあんないい笑顔で受け入れないだろ」
うーんと3人は頭を悩ませているようだ。
僕も頭が痛い。
娼館で働くという罰を受け終わった彼女はこう言った。
■ ■ ■
「今回も楽しんでしまい、罰になりませんでした。 殿下、他の罰をお与えくださいな」
その言葉を聞いた三バカはよからぬ想像をしたのだろう。 また見事な血の噴水を鼻から出していた。
ゼレンがハンカチで押さえながら、牢屋の格子の向こうにいるナディア嬢に話しかけている。
「なななナディア......そそそそれはどういう?」
「皆さま、とっても喜んでおられまして。 やはり喜んでいただくと、私も嬉しくなってしまいます。 ですから、結局楽しんでしまいました」
「ななななんて破廉恥な女なのです!?」
ディーンが声を荒げているが、こっちのハンカチももう使い物にならないだろう。
「おおおお前!! 本当に貴族令嬢か!?」
「いえ、もう籍は外されておりますから。 今はただの罪人ですが?」
「あ、それもそうだな」
服の袖口で鼻の下を拭っているエリックが簡単に納得した。 いや、彼女はまだ公爵家の人間である。 そこにいつになったらこいつらは気付くのだろうか?
「殿下、こんな女と婚約破棄して正解だぜ。 こんな簡単に股を開くような女、殿下には似合わない」
「エリック様。 仕方ないではありませんか。 その方がやりやすかったのですから」
「「「やりやすい!?」」」
また三バカは何かを想像しているようだ。 だが、身をもって体験した僕は確かにと思ってしまった。 彼女はマッサージの為に背中に跨ることを言っているのだ、きっと。 丈の長いドレスやらスカートだと、確かにあんなことはできないだろう。
......まあ、普通、貴族令嬢はそんなことしないのだが。
「こここんな女性だとは知りませんでした。 そそそそもそも、今回の罰もあなたが言い出したことではありませんか!! 楽しんでいたら、罰にならないでしょう!?」
いや全く、ディーンの言うとおりなのだが......
「ですが、ゼレン殿下がお認めになったものではありませんか」
ナディア嬢の言うことが尤もである。
復活したゼレンがハンカチをとって、また無意味にファサッと髪を搔き上げていた。
「ナディア......君が男にだらしない女性だとは知らなかった。 だが、これで分かったよ! 君がそんなに僕を愛していたとはっ!!」
......何故またその結論に至った?
「えーと......殿下?」
「ふっ! 何も言うな、ナディア!! 僕が恋しくて恋しくて、仕方なくその男たちに僕を重ねていたのだろう!? それで楽しくなってしまったんだね! 君の愛がそこまで深かったとは僕も知らなかったよ!」
「......」
ナディア嬢の何とも言えない白けた目が、僕の心にズキズキ刺さってきた。 こんなバカな兄を持ってしまったことが、僕の人生での恥である。
「だがナディア!! 楽しませるわけにはいかないんだ!! 僕は、そう! 君を苦しめて、僕の愛しい愛しいシルフィーへの愛を君に示して見せる!!」
いつから罰が愛の証明の形になったのだろうか?
だが、ゼレンはとんでもないことを言い始めた。
「よって、ナディア!! 君にこの罰を与えよう!! この牢屋でのワイルドウルフとの共同生活を!!!」
わ......ワイルドウルフ!?
凶暴な魔獣じゃないか!!! その魔獣とこの牢屋で過ごせと!?
そんなのワイルドウルフに殺されるのがオチだ!!
「君にはワイルドウルフに食い殺されてもらおう!! ふふ、でもね。 ただ食い殺されるのだけではつまらないと思ったんだよ。 だから、君には一週間その魔獣と過ごしてもらう。 飢えた魔獣に首輪をつけ鎖でつなぎ、1日経つごとに君へと近づくように短くしていくつもりだ。 そして君は、最後の日にその魔獣に食べられる!! 今か今かと君は恐怖して過ごすことになるだろう!! はっはっは!! これで君は恐怖と苦しみの中で死ぬことになるだろうね!!」
長ったらしくご丁寧にゼレンは話している。
だが、これは見過ごせない!
そう思い、また前のように牢屋の取っ手に手を掛けた所で、今度はナディア嬢が声をあげた。
「まあ、殿下っ......」
ん......? これは、まさかまた甘いとか言い始め......
「なんって素敵な罰でしょう!! 殿下も成長なさったのですね!!」
......今度は認めるのか!!? なんで今回に限って素直に認めた!?
「ふふ! そうだろう、そうだろう!!」
「ええ、はい! さすが第一王子!」
「はっはっは!! 止したまえ!! そんな当たり前なことを!! 褒めたところでもう遅い!」
そうだな。 第一王子は事実で当たり前なことであり、それは褒め言葉でも何でもない......ってそうじゃない!! 何を考えてるんだ、ナディア嬢は!!? こう思うの何回目だ!?
「ナディア! 地獄の1週間を過ごし、恐怖に怯え、惨たらしく食い殺されるのを僕はきちんと見届けようではないか!」
「ふふ、そうですね」
「はっはっは! そんな泣きそうになっても僕は覆えさ......泣いてないな?」
それはもうニッコニコと嬉しそうに笑っている彼女にやっと気づいたのか、ゼレンが「あれ?」というような顔をして不思議そうに首を傾げていた。
「ナディア......怖くないのかい?」
「まあ、殿下。 何を言ってるのです? 魔獣と過ごすのですよ? 怖くないわけがないではありませんか」
「だが......君、楽しそうに笑っていないかい?」
「まあ、殿下。 これはそう。 怖すぎて怖すぎて表情が凍り付いているのです」
頬を少し赤く染め、それはもうニコニコとしている姿のどこが凍り付いているというのだろう?
そんな彼女を怪訝そうに見ていたディーンが口を開いた。
「......あなた、何かを企んでいるのですか?」
「まあ、ディーン様。 こんな牢屋の中で何を企むというのです?」
「おい悪女。 お前、食い殺されるんだぞ? 分かってるのか?」
「まあ、エリック様。 十分理解していますよ」
「ナディア......僕は君を苦しませたいんだ。 そんな嬉しそうな顔をされると、今回の罰に自信がなくな......」
「まあ、殿下。 自信を無くしてはいけません。 今回の罰はそれはもう素晴らしいものではありませんか」
何故、彼女が絶賛しているのだろうか。 僕は何回こういうことを思ったんだ?
若干現実逃避しかけていたら、ゼレンも納得しないのか渋い表情になっていた。
「だが......それはもう楽しそうに見えるのだが......」
「殿下。 私、こう見えても元公爵令嬢なのですよ」
また何か言い始めた。
「つまり、私はずっと貴族の淑女としての教育を受けております」
「そ、そうだね」
「どんなに怖くても泣きそうになっても、淑女が簡単に表情に出すわけには参りません」
「......そうなのかい?」
「そうです。 殿下のお母様も、人前では笑顔を絶やさなかったではありませんか」
「は! 確かに!!」
「ですから私も、恐くてもニコニコと笑顔を崩さないのです。 これはもう習慣なのです」
「そうか! 習慣か!!」
「そうです。 殿下、自信をお持ちになってください。 殿下の考案した罰は、それはもう私の心を掻き乱し、恐怖で震えがきてしまいそうなのです。 その罰は、とっても苦しむこと間違いなし!」
「そうか! ありがとう、ナディア! そう言ってもらえると自信が戻ってきたよ!!」
戻ってこないでほしかったんだが。
「ああ、殿下。 私がこういう罰をするってことを、ちゃんと民たちに知らせてくださいね?」
だっから!! なんで、そんなことを言いだすんだ、君は!?
「民たちにかい?」
「ええ。 ちゃんと知らしめないといけません。 第一王子殿下を怒らせた元公爵令嬢はワイルドウルフに食べられることになったと」
「......殿下。 それはいい案かもしれません」
「ディーン?」
「そうすることにより、殿下がちゃんと身分に関係なく罪を犯した人間には罰を与えると、民たちに知らせることができます。 不正は許さない。 殿下の実直で真面目な姿が民たちに知られれば、今までより殿下を支持する民が増えるはずです」
「は! 確かに!」
増えないんだよ!!? どこをどうやったら、罪を捏造して勝手に公爵家の人間を罰することが実直で真面目なことになるんだ!? お前らが不正してるんだよ!? しかもその目的で一回目の罰の時に、彼女にあんな板をぶら下げたんじゃなかったのか!? 今更か!? 効果全くなかったけどな!! 逆に彼女の株が上がったんだけどな!
「ディーン、へへ......さっすが次期殿下の右腕だな」
「ふふ、何を言いますか。 あなたこそ、彼女を食べさせるワイルドウルフを、生きて捕らえることができる実力を持つ立派な左腕ではありませんか」
「ふっ! 僕も嬉しいよ! こんなできる側近を持つことができて、幸せ者さ!」
三人で何故か頬を赤くして褒め称え合っているが、現実を見てくれないだろうか? 見ろ、ナディア嬢のあの飽きてしまった顔を。 恐怖で凍り付いていたはずの笑顔が、すっかり溶けきってしまっているのが分からないのか。
「ふっ! ではナディア!! 民たちにもちゃんと知らせようじゃないか! その上でワイルドウルフに食い殺されるがいい!!」
「そうですわね、殿下。 楽しみにしておりますわ」
「はっはっは! そうだ、楽しみにして......楽しみ?」
「冗談です。 あー怖くて怖くて仕方がないです」
「はっはっは! そうだろう、そうだろう!!」
最後に高笑いをして、ゼレンたちは牢屋を去っていったが、ナディア嬢のあの表情の切り替えの見事さに僕はまたタイミングを逃してしまった。
■ ■ ■
と、ここまでが先程までのやりとりである。
そしてまた、この執務室に戻ってきた3人がやっと冷静さを取り戻したのか、先程のナディア嬢の笑顔に疑問を持ったわけだが......
「もう彼女からしてみれば、僕から与えられる罰が嬉しくて仕方がないのかもしれないね......」
「そうかもしれません......」
「愛って......怖ぇものでもあるんだな......」
こいつらの愛はどんな内容なのだろうか。
ゼレンがいつもみたいに無意味にファサッと髪を搔き上げた。
「今回ばかりは、ナディアも楽しむことはできないだろうね」
「そうですね......あのワイルドウルフですから」
「ああ。 俺も捕まえる時に苦労したぜ......」
ふって不敵に笑うエリックだが、実はワイルドウルフは低ランクの魔獣である。 狂暴は狂暴だがそれは女性や子供、老いた人間にとってはだ。 騎士団に所属しているエリックが本来苦労する相手ではないのだが......言わないでおこう。 あいつは自分の実力を分かっていないからな。
だが、ナディア嬢は違う。 彼女は可憐でか弱い女性なのだ(この前の荒いマッサージは置いといて)。 鎖が放たれたら、彼女は抵抗できない。 ゼレンたちの言うように食い殺されてしまう。 そんなこと、許容できるはずがな......待てよ。
そうだ......これもまたいい機会ではないか? 彼女の言動・行動、そしてこの前はフレッドに邪魔されたが、ここが一番の勝負どころでは?
「ハア......これで僕もやっとシルフィーへの愛を証明出来て、ゆっくり過ごせるようになるな」
「彼女、怯えて王宮に来なくなりましたものね」
「よっぽどあの悪女に嫌な目に遭わされたんだな。 殿下、こういう時は優しくしてやらねえと」
「そうだな、分かっているよ。 これが終わったらシルフィーを迎えにいくんだ。 たっぷりと僕の愛情を注いであげるつもりさ」
そんなバカな会話を聞くよりも、考えることができた僕はその場を後にした。
自分の第二王子の執務室に戻り、いつものようにソファに座ると、いつものようにフレッドが紅茶を淹れてくれる。
「どうでしたか?」
「ああ......それがな......」
ワイルドウルフのことをフレッドに話すと、フレッドはまた頭を痛そうに、こめかみを押さえていた。
「......ナディア様は、それを承諾したと?」
「ああ......楽しそうにな」
「そうでございますか......」
フウと息を吐いてから、紅茶を飲んでいる僕を見下ろしてくる。
「どうされるおつもりで?」
「......それなんだが」
考えていたことを伝えると、フレッドはまた頭が痛そうにしながら、やれやれと首を振っていた。 なんだ、何か思うことがあるのか?
「殿下......もう形に囚われなくてもよいのでは?」
「どういう意味だ?」
「そちらにこだわらずとも、もういいのではないかと思うのです」
「......お前も賛同したじゃないか?」
「ええ......ですが、断言します」
断言?
「今度の罰も......きっと甘い罰になるでしょう」
......ワイルドウルフに食い殺されるのが?!
フレッドはもう疲れ切ったような顔をして、「少し出かけてきます」と執務室を出ていった。
いや、いやいや!! 説明していけ!?
魔獣に食い殺されるのの、どこが甘いんだよ!?
お読み下さり、ありがとうございます。