06 魔女の帰る家
朝早い時間だというのに、コルト・パーマーは身支度を整えた状態でアダムを迎え入れた。
どこか人を喰ったような笑みを絶やさない男だが、今日の彼は少し違う。宿泊している部屋をいきなり訪ねてきたアダムに対して浮かべた笑みは、あたたかなものだった。
小さなテーブルに置いた紅茶が湯気をのぼらせる。
対面に座るコルトは、カップを取り上げて一口含んだあと、改めてアダムに笑みを向けた。
「思っていたよりも早かったですね。嬉しいというか、いざとなると複雑というか」
「何の話ですか」
「すべてお話ししますよ。きっとあいつは言わないでしょうから」
「だから何の話だと」
声を荒らげるアダムに、コルトは視線を右に送る。
窓は結露し、外の様子は見えにくい。けれどその方角にあるのは、スペンサー家の別荘。
「僕は我ながらクソ生意気なガキでしてね、手を焼いた両親によって、十歳のときに教会に預けられました。悪魔憑きとして」
「悪魔?」
「他人が考えていることがね、わかるんですよ。聞こえるんです、心の声が。そんな僕を見て、シスターはある家に連れて行ってくれました。そこには同じちからを持っている子がいるから、と。小高い丘の家に建っている、緑の屋根の家でした」
「それは――」
「セーデルホルムの魔女の家。魔女のもとには、女の子がいました。僕とメルは、あの家で育ったんです」
コルト・パーマーは語った。
自分とメルヴィの持つ特異性を。
他人の心の声が聞こえてしまうが、メルヴィはもっと強いちからを持っているのか、感情そのものが視覚化されてしまう目を持っている。
育て親である魔女・ロサは、精霊たちの仕業だろうと言った。
精霊に愛されているメルヴィ。
しかしそれは、人の世では生きづらい能力だ。
ロサは己の死期を察していたのか、養い親を探してくれた。それが、司法官のパーマー氏。
心に隠している秘密を読み取れる能力は、国にとって都合がいい。
一部の権力者によって、能力者は捕捉、監視されているらしい。アダムの祖父も支援者の一人だったというから驚きだ。
「僕はこういう性格なので、どうせならとことん利用してやろうと思いました。養父は、そういう面も含めて僕を受け入れて、自由にやらせてくれています。軍で働いているのも、そのひとつです。だけど、メルは違う。あの子は優しすぎるんですよ。だから心配だったんです」
心をすべて覗かれてしまうなんて、歓迎できるわけがない。誰にだって知られたくないことはあって、秘密を抱えているものだから。
だからメルヴィは、他人にかかわらないようにして生きている。
長く付き合うまえに、姿を消すことを選択する。
ひとつの場所には決して留まらない。
そのくせ、誰かを助けようと手を差し伸べるのだ。
「ケイトリンのことは、裏で噂になっていたんです。不思議な目を持っているのではないかと。だから、メルを向かわせることにしました」
思惑どおり、メルヴィはケイトリンを助けた。
この家で、自分がロサに救われたように、ケイトリンの手を引いた。
きっと彼女は去ろうとするだろう。
一ヶ月の契約期間を正しく守り、それ以上逸脱することはしない。できない。
そして旅立つ。
新しい家を求め、けれど決して留まることなく、永遠に彷徨いつづけるのだ。
どこにもない、帰る場所を探して。
「貴方はメルのことを恐ろしいと思いますか? すべてを見通してしまうあの子を、見えない何かを見てしまうあの子を、気味が悪いと思いますか?」
「俺は……」
何も感じないかといえば、きっと嘘になる。
妖精が見えるのだと告白されたとき以上の衝撃に、アダムの心は、嵐に漕ぎ出した船のように揺れていた。
だが、気味が悪いわけでも、恐ろしいわけでもないのだ。
腑に落ちた。
その言葉がきっといちばん近い。
どこか一歩距離を取るような態度を保っているのは、使用人としての分を侵さないゆえだと思っていたが、そうではなかった。寄り添おうとしながら近づかせない頑なさには、そんな理由があったのだと理解して、そのことが苦しい。
出会ってからのメルヴィの顔が、声が、アダムの心に浮かび、膨れあがる。溢れそうになる。
言葉にならず、膝に置いた拳を強く握ると、コルトは泣きそうな顔をして立ち上がる。卓の上に置いていたカードを手にして戻ってくると、アダムにそれを差し出した。
「メルに渡してください。クリスマスプレゼントだと。妹を、よろしくお願いします」
◇
玄関を開けてまず聞こえたのは、ケイトリンの泣き声だった。ポールが宥めるも、ますます大声をあげるばかりなのか、あの執事がオロオロしている。
「どうした」
「おじさん!」
アダムの姿を認めたケイトリンが、涙でぐちゃぐちゃになった顔そのままで駆け寄ってきた。
「わたしが悪い子だから、メルはいなくなっちゃうの? どうして? わたしがさいしょにイヤなことを言ったから、メルはわたしがキライになったの?」
「どういうことだ?」
「メルヴィさまが、お嬢さまにお伝えしたのです。あと数日で仕事が終わって出て行くと」
「ずっといてって言っても、ダメだって言うの。一ヶ月だけって約束だから、それいじょうはダメって」
ボロボロと涙をこぼすケイトリンの嘆きは、その表情と相まって、見ているこちらが苦しいほどの哀しみとなり伝わってくる。
感情表現に乏しいと言われがちな自分ですらこうなのだ。
他人の心が見えてしまうというメルヴィに、今のケイトリンはどう映るのか。自分がいま感じている以上の痛みを抱えているのではないか。
彼女はいつも、こうなのだろうか。
幾つもの別れを抱え、傷だらけの心で笑っているのかと思うと、居ても立っても居られなくなる。
「違うんだ、ケイトリン。悪いのはおまえじゃない、俺だ」
昨晩、窓辺に佇むメルヴィにキスをした。
コルトと親しそうに見つめ合う姿に嫉妬して、乱暴に唇を奪った。震える唇を貪った。
まるで獣だ。言葉を持たないにもほどがある。部屋にいない彼女を探していた理由も伝えず、何をしているのか。
「ケイトリン、メルに居てほしいと思うか?」
「……ずっといっしょがいい」
「そうだな。俺も同じだ」
鼻水をすする少女の頭をひと撫でして、アダムはメルヴィがいるであろうゲストルームへ向かう。
おそらく様子は窺っているだろう。未来を提示できない以上、声をかけられないだけで。
許可を得て入室すると、部屋の中はこざっぱりとしていた。少しずつ荷を片付けているのだとわかり、怒りとも哀しみともつかない感情がせり上がってくる。
「申し訳ありません、ケイトリンへ上手く伝えられなくて」
「コルト・パーマーから、すべて聞いた」
俯いて謝罪するメルヴィにそう返すと、大きく肩を震わせた。
そのまま顔をあげようとしない彼女に近づくと、昨夜のように一歩下がるそぶりをする。その腕を掴むと、メルヴィは小さく声を漏らした。
「契約は、途中で破棄していただいて構いません。これまでにも、そういうことはありましたから。申し訳ありませんでした」
「何故、謝罪するんだ」
「だって、お聞きになったのでしょう? こんな不気味な女は――」
「どうして決めつけるんだ」
アダムの強い言葉に、メルヴィは唇を噛む。
まるで心の中を読んでいるようだと誹られたことは、これまでに何度もあった。
そのたび、彼らは恐怖に顔を歪めて言うのだ。
魔女だ――と。
「だってそうじゃありませんか。心を読まれるなんて、そんなことをされて誰が喜ぶというんですか」
「すべて聞いたと言っただろう! 君がどれほど苦心して己を制御しているのか。それに君は、俺の心を暴こうとはしていない」
「アダムさまは、心を律することに長けていらっしゃるから、よほど注意しないかぎり声は聞こえません」
力なく首を振るメルヴィに、アダムは言う。
「俺は口が上手いとは言い難い。どう言えばいいのかわからない。だから、君が心を読めるというのなら、そのほうが助かる」
細い手首を掴んで寄せて、メルヴィの手のひらを己の胸にあてがった。
「読んでくれ」
どうして放っておいてくれないのだろう。
心が読めることを知られたら、そうして距離を取られてしまったら。
想像すると、怖くて怖くて、死んでしまいそうになるのに。
どうしてこんなにも、分からず屋なのか。
なかば自棄になって、メルヴィは壁を取り払う。
その瞬間、堰を切ったように熱いものが押し寄せてきた。
はじめに挨拶をしたとき。ケイトリンを庇って啖呵をきったとき。
ケイトリンやグリュンと過ごす時間、書斎でたいした会話もなく書類をめくる時間、手紙の内容について訊ねたことや、休憩時間にお茶とお菓子をふたりでこっそり楽しんだこと。
家事をしている姿、庭に出て妖精たちを眺めている姿。
アダムから見たメルヴィの瞬間瞬間がフィルムのように流れながら、低い声で語りかけてくる。
一ヶ月と言わず、もっと長く過ごせたらどれほど素晴らしいことだろう。
たった数週間で、君は俺の世界を変えてしまった。君なしではいられないぐらい、君のいない生活が考えられないぐらい、君と出会う前はどう過ごしていたのか思い出せないぐらい、俺の心は君でいっぱいだ。
君が好きで。
好きなんて単純な言葉では表せないぐらい、君が欲しくて。
愚かしいほどみっともない真似をしてでも、傍に置いておきたいと願ってしまう。
愛してる愛してる愛してる。
正面から浴びる愛の言葉の熱量に、メルヴィの顔はこれ以上なく赤く染まった。
彼の胸にあてがった手は、言葉だけでなく鼓動を伝えてきて、その振動にメルヴィの心臓も共鳴する。
「昨夜はすまなかった。やり直しをさせてくれ」
アダムはそう悔いて、メルヴィの手を胸から剥がす。手のひらを上に向けさせて、そこに見覚えのある小さな箱を置いた。
あの日、宝飾店で見た場面。小箱に向けた眼差し、その向こう側にいる相手に嫉妬したことが蘇る。
「新しい契約を結びたい。ケイトリンが望むからではない。俺自身に君が必要なんだ。結婚してくれ、メル。俺は、君の帰る場所になりたい」
メルヴィの家。
両親に捨てられて、ロサを失って、もう二度と手に入らないと思っていた場所。
「愛してる」
心の声と、耳に届く声が重なったとき、抗いようもなくメルヴィは頷いた。偽りのないまっすぐな感情に縫い留められて、動けない。
とめどなく流れる涙をアダムの唇が拭い、やがてメルヴィのそれに重なる。
男の懐から滑り落ちたカードは、床の上で満足そうに、その文面を晒した。
メリークリスマス
メル、今年のプレゼントはその男だ
せいぜい、大事にされろ
おまえの愛する兄 コルトより
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
活動報告に裏話を公開しています。
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