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05 クリスマスの夜


 料理人の手を借りて作ったクリスマスディナーに、ケイトリンは瞳を輝かせた。

 皿に少しずつ取り分けてあげると、口もとにソースをつけながら頬張る。少女が座る椅子の傍でおとなしく鎮座するグリュンは、その波動を感じて嬉しいのか、太いしっぽを揺らしている。


 アダムの両親からは、手書きのクリスマスカードと、数冊の本が届いた。

 文字の勉強をしていることを伝えたからなのだろう。幼年向け絵本とは違ったそれにケイトリンは目を見開き、緊張気味にページをめくる。


「わからないところは、ポールさんやアダムさまに訊けばいいわ」

「メルがいい。メルが教えて」

「……なら、明日一緒に読みましょう」

「約束よ」

「汚してしまわないように、お部屋に置いておくわ」


 ケイトリンの視線から逃げるようにリビングを出て、子ども部屋へ向かう。

 本を置いて部屋から出たとき、玄関から音が聞こえて足を向けた。

 客人が来るとは聞いていないし、頼んだ物は昼間のうちにすべて届いている。それでも例えば、スペンサー家から何かが届く、ということもあるかもしれない。


 玄関を開けると、肌を震わせる冷気と共に、明るく快活な声が飛びこんできた。それは意外性に満ちていて、あまりの事態に思考が停止する。


「どうしたメル。嬉しさのあまり声も出ないか?」

「コルト、どうしてここに」

「ひどい言い草だな。今年はようやくおまえがわかりやすい場所にいるから、会いに来たんじゃないか」

「突然すぎるわ」

「言ったらサプライズにならないだろう?」


 大きな声に気づいたアダムがやってきて、コルトの姿に同じく身を固める。


「こんばんは。突然申し訳ありません。休暇を使ってこの付近へ来ていましてね、ご挨拶に伺いました。彼女を紹介した手前、気になりまして」

「……そうですか。立ち話もなんですから、どうぞ中へ」

「失礼します」


 三年ぶりに直接会うコルトはますます傍若無人になったようで、メルヴィはひそかに息を吐く。


『いきなりなんなのよ、アダムさまに失礼だわ』 

『可愛い妹が苦労していないか、心配してるんじゃないか』

『お生憎さま。メルヴィはこのとおり元気いっぱいですわよー』

『そうやって虚勢を張るところは、昔から変わらないな、メル。ロサが泣くぞ』


 隣り合って歩きながら、心の中で言葉を交わす。

 コルトは同じく「他人の心が聞こえる」体質で、メルヴィよりもあとになって魔女の家に引き取られた三つ年上の兄代わり。隠し事ができないのは厄介だが、そこはお互いさまだ。


 ケイトリンは見知らぬ大人の登場に身をすくめていたが、そこはコルト。グリュンを手懐け、ケイトリンの警戒も解き、あっというまに仲良くなった。いつもながら真似のできない人心掌握ぶりに舌を巻く。

 遅くならないうちにとコルトは邸を辞し、ケイトリンはベッドへ。

 片づけは明日にまわそうということで明かりを落としたリビングに、メルヴィはふたたび足を踏み入れた。


 カーテンを開けると、青白い月明りが降り注ぐ。

 月光には特別なちからがあるのだとロサは言ったけれど、満月の夜に彼女は死んだ。


 ああ、駄目だ。

 感傷的になりすぎて、メルヴィは頭を振る。



「どうかしたのか」

「寝つけなかっただけですわ」


 夜のしじまに、低く穏やかな声が響いた。落ち着きがあって、けれど耳に届くとメルヴィの心を震わせる声。

 振り返るとアダムがゆっくりと歩いてきて、メルヴィの隣で足を止めた。


 傍に生まれた気配にさっきまでの寂しさが薄らぎ、そのことに泣きたくなる。他人が近くにいることが怖くないだなんて、自分はおかしくなってしまった。

 この距離に立てるのは、あとほんの数日しかないのに。

 アダムには求める誰かがいて、それは自分ではないのに。



「ありがとう、君のおかげだ」

「なんのことでしょうか」

「ケイトリンだ。あの子は明るくなった」

「私はきっかけを与えたに過ぎません」

「だが、君がいなければ、知ることはなかっただろう」


 アダムの弁に、メルヴィはそっと息を吐く。

 ケイトリンと過ごすうちに、わかったことがある。名を呼ばれることを嫌がっている、その理由だ。


 母方の祖母に引き取られた際、命を絶った娘を思うあまりか、彼女は幼いケイトリンをなじったようだ。



 わたくしのリンはあの子だけよ。

 リンを返して。

 おまえが殺したのね、リンの名を奪って、すり替わろうとしても無駄よ。

 消え去れ、悪魔め。



 娘――カリンナの愛称は、リンだったらしい。

 彼女の家族はずっとそう呼んでいて、だから同じ響きを持つケイトリンを拒絶した。


 少女は己の名を拒み、新しい自分を生み出す。



 ――その名前で呼ばないで!



 そこに潜んだ哀しみと痛みに、メルヴィはケイトリンを抱きしめた。



 お祖母さんを許さなくてもいい。

 だけど、私は貴女が大好きよ、ケイトリン。



 何度も何度も頭を撫でて、メルヴィは囁き続ける。



 否定しないで。貴女は貴女。ケイトリンで、ケイシー。どちらも貴女の素敵な名前。

 みんなが貴女を愛しているの。



 寄り添うグリュンに顔を舐められて、ケイトリンはやっと大きな声で泣いた。

 以来、頑なに名を拒否することは少なくなり、少女は少しずつ落ち着き、明るくなっていったのだ。


 本を抱えて、文字を教えてほしいと乞う顔を思い出すと、胸が痛む。

 未来の約束は難しい。契約期間はもう僅かだ。


 我知らず重い溜息が落ちたとき、頭上に影が射した。

 雲が出たのかと振り仰ぐと、こちらを覗きこむようにアダムの顔がある。普段は感情の読めない瞳に不穏な色が漂い、メルヴィは咄嗟に後ずさる。

 冷たい壁に背を付けたとき、アダムの大きな手がメルヴィの肩を掴んだ。


「コルト・パーマーとは、どういう仲だ」


 問われ、メルヴィは息を呑む。

 コルトとの繋がりは、あまり表沙汰にしていいものではないだろう。あちらの意向を確認しないまま、勝手には答えられない。


 躊躇ためらうメルヴィの顔を、アダムは己に向けさせた。


「……気づいているのか」

「なに、がでしょう、か……」

「ここは、ヤドリギの下だ」


 君は拒めない。


 囁きと共に、熱が生まれた。

 性急な口づけに喘ぐメルヴィの吐息すら閉じ込めて、アダムの熱に包まれる。深く長いキスに翻弄されて、視界に星が瞬く。


 メル……。


 吐息混じりの呼びかけに答えることもなく、メルヴィは意識を手放した。




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