開かずの間に住まうモノ 後編
それから数日、メルヴィは開かずの間には近づかなかった。
ポールの言いつけを守ったわけではなく、単純に、さしたる用事がなかったせいである。
まずはケイトリンと距離を縮めることに注力していたし、あちこち穴だらけになっている家の守護を回復させるほうが大事だった。
幸いにも犬妖精が屋内にいることによって、悪意を持ったモノは出て行った。
メルヴィは穴を塞ぎ、新たな侵入を防ぐだけでよかった。
そうして、この仕事が安定しておこなえるようになったころ。
メルヴィはようやく「そういえばあの部屋の精霊はどうしたのかしら?」と思い出したのである。
何をしているのか問われたときのため、カモフラージュがてらに掃除道具を携えて、開かずの間の前に立つ。
今度は庭からではなく、屋内の扉から接触を試みる。
呼吸を落ち着かせて、向こう側へ問いかけた。
「こんにちは。待ち人は現れたかしら?」
しばらく待っていると、扉が二回、内側から音を立てた。
コツコツ。
否定。
「そうなの。とっても残念ね。私に協力できることがあればよいのだけれど」
開かずの間の住人はまだいるらしい。
そして待ち人は来たらず。
けれどこの精霊は、メルヴィがここに来てから騒ぎを起こしたことはない。ただ静かに待っているだけなのだとしたら、これ以上の干渉は控えたほうがいいのかもしれない。
家人であるアダムたちが過ごすのは冬の休暇期間だけ。年が明ける前には中央へ戻る予定だと聞いている。このままそっとしておいたほうが無難かもしれない。
物言わぬ扉を見つめ、溜め息をひとつ落とす。そうして踵を返そうとしたメルヴィに対し、背後から声がかけられた。
「なにをしているのメル」
振り返ったメルヴィの目には、グリュンを足下に従えたケイトリンがこちらへ歩いてくる姿が見えた。
獣医師に診てもらい、体調に問題はないと確約をいただいた犬妖精は、用心棒よろしくケイトリンに付き従っている。
癇癪を起こしがちだったというケイトリンだが、妖精が視えるという共通の秘密を持つことで、メルヴィへの警戒を解いてくれた。今はメルヴィの言動をなぞるようにして、不思議な世界への知識を深めている最中である。
「そこ、近づいてはダメって言われたおへやでしょう? ポールが言ってた。あぶないからって。ねえ、だいじょうぶなの、メル」
不安そうな顔で問いかけるケイトリン。
駄目だ。これ以上は近づかないほうがいい。負の感情は悪いモノを呼び込んでしまう。
メルヴィが注意をしようとしたとき、背後の扉がコツリと音を立てた。
「どうしたのメル」
ケイトリンの足下で、グリュンが小さくうなり声をあげる。
(駄目よ。正体の知れないモノの前で、名前を呼ぶのは危険だわ)
メルヴィだけならまだいい。
けれどケイトリンの名を知られるわけにはいかない。
少女の姿を探してアダムやポールがやって来たとしたら、彼らはきっと名を呼ぶだろう。それは絶対に駄目だ。
メルヴィはグリュンを見据えた。
こころのなかで声をかける。
(お願いグリュン。ケイトリンを連れて向こうへ行って。ここから離れて)
犬妖精はしっぽを揺らす。
それは威嚇や警戒ではなく、どちらかといえば肯定的な雰囲気だった。
主人を決め、名をもらった妖精は、大きなちからを持つ。いまやグリュンは、屋内の精霊たちが敵う相手ではなくなっている。
そんな上位妖精が警戒しない相手。
つまり、中にいるモノは危険な存在ではない――?
扉を背に戸惑うメルヴィの背後から、柔らかな風が吹き、頬を撫でた。
あたたかでやさしい感触。
ふと、懐かしい香りが鼻腔に届く。
記憶の奥底を叩く、どこかで嗅いだことのある匂いだ。
床を踏みしめる音と、ドアノブがまわる音がする。
メルヴィが振り返ると、開かずの間の扉がわずかに開いているではないか。
どうして――?
「あ、おへやのドアがあいた」
ケイトリンが驚きの声をあげる。
メルヴィは少女をその場に留め、まずは自分が中を確認することにした。
薄く開いた扉から室内を覗き見る。
閉め切ったカーテンのせいで中は暗く、よく見えない。けれど、荒れたようすは見られなかった。物音がすると言っていたが、家具を床へ倒したりしたわけではないようだ。
顔を半分ほど中へ入れてみたところ、ついさっき鼻先に届いた香りをふたたび感じる。
(……これ、おばあちゃんの香りだわ)
香水ではなく、独自に配合したポプリ。メルヴィではなかなか再現できないあの香りが、部屋の中に漂っているのだ。
郷愁を誘う残り香に、メルヴィの涙腺が刺激される。
「メル、だいじょうぶ? なにかいる? おばけ?」
「――いいえ。入口からはなにも見えないわ。安全を確認するまで、あなたは待っていてちょうだいね」
「わかったわ」
メルヴィは今度こそ体を滑り込ませた。虚空を見つめ、小さく呟いてみる。
「……ねえ。どうして扉を開けてくれたの? もう待つのはやめたの?」
やわらかな空気が頬を撫でた。
見えないモノを視るメルヴィの『目』をもってしても、まだ部屋の主を認識できない。
メルヴィは『目』を凝らした。もっと細かいものを探るように。
家の中でよく見かける精霊たちがキラキラとした光を放つ。ひとつひとつ確認したけれど、見慣れないモノはいなかった。
つまりメルヴィの知らない、新しい精霊、ということか。
存在を保つことすらまだむずかしい、儚い存在。
さすがセーデルホルム。
精霊たちは仲間を求めてここに集まるというが、生まれたばかりの精霊に会うのははじめてかもしれない。
(他の精霊たちとも馴染んでいるようだし、危険はないのかも)
メルヴィは歩を進める。
庭から声をかけた窓の傍へ寄ると、まるで今から書きものをするかのように、一枚の紙が机の上にあった。いったい誰がこんなことをしたのだろうか。
カーテンを開ける。
庭が見えた。
ふと新緑のような明るい緑色が目に飛び込んできて、瞬きをする。
もう一度庭を眺めると、冬枯れの景色があるのみ。さっきのもまた、精霊が見せた視界だろうか。
なんとも素朴で身近な幻惑だ。罪がなくてよい。
それになんだか懐かしい。あれは、春の庭だった。
(ちょうどあのあたりにハーブが群生していたのよね。コルトと一緒に摘み取って、ふたりで一緒に香り袋を作ったっけ)
好きなようにやって御覧なさい。
ロサがそう言って、子どもたちに任せてくれたのだ。
もしかすると、この部屋からは、自分たちの姿が見えていたのかもしれない。
ロサは手紙を書きながら、ハーブを摘む子どもたちを見守っていたのだろうか。
知らなかったこと。あるいは気づいていなかったことに触れるとき、メルヴィは胸が苦しくなる。
自分はまだ、こんなにも未熟だ。
落ち込むメルヴィの耳に声が届いた。
――メルヴィ。
「なあに?」
呼びかけに振り返る。
けれど誰の姿もない。扉の向こうからケイトリンの声がするのみだ。
「メル?」
「ええ、どうしたの?」
「あのねメル。わたしもはいっていい? 見てみたいわ」
部屋に入ったきり戻ってこないメルヴィにしびれを切らし、まだ見ぬ『開かずの間』に対する好奇心が勝ったらしい。
ケイトリンは強い子だ。ロサのうしろに隠れてばかりだった幼い自分とはまったく違う。見習わなければ。
「掃除が終わってからにしましょう。まず、開かずの間が破れたことを、ポールさんに報告しないとね」
「わたし、ポールに言ってくる!」
ケイトリンの足音が遠ざかる。
さて、せっかく用意した掃除道具、役立てましょうか。
「部屋の中を掃除してもいいかしら?」
空に向けて問いかける。
すると窓がコツンとひとつ鳴った。
肯定。
オーケー。ならば綺麗にしてみせましょう。
「なるべく部屋をいじらないようにするから許してね」
――好きなようにやって御覧なさい。
脳裏に響いた言葉は思い出の中にあるロサの声。
ひとまず、それを精霊からの『是』として、メルヴィは窓を開けた。
久しぶりの番外編でしたが、すんなりこの世界に戻ってくることができました。
その理由はなんといってもコミカライズのおかげです!
2026年7月3日、コミックス第2巻が発売となりました。
電子書籍版には、特典として、書き下ろしSS「魔女の家の家妖精」が収録されております。
今回の番外編にも繋がっていますので、併せてお楽しみいただければ嬉しいです。




