魔女の子どもたち<3>
わからないことを、わからないままにしないことがコルトの主義だ。
宛がわれた部屋に少ない荷を置いたあと、早速ロサに話を切り出した。
「あなたの声が聞こえないのは、魔女だからですか? そして、メルヴィも魔女なのですか?」
「眩しいほどに率直ね。それは美徳ではあるけれど、貴方のそれは鋭すぎて、刃にもなるものだわ」
「傷になるということはすなわち、やましいところがあるということでは?」
「ひとの心は、そう簡単なものではないわ、コルト」
ロサは寝台を指さしてコルトへ座るように促すと、自身はカーテンを開けて部屋に光を入れた。
ガラス戸の向こうには緑が広がっている。花の咲く季節ではないが、ところどころに色が見えるのは、木々の紅葉だろうか。植物の生育環境も、コルトの知るものとは異なっている。
「シスターから、セーデルホルムのことは聞いたのよね」
「精霊信仰のことですね。そして、それは絵空事ではなく、本当のことらしいとわかりました。魔女と精霊は同質のものですか?」
「いいえ、違うわ。彼らは隣人だし、私は人間よ」
「じゃあ、メルヴィはなんですか。あなたよりずっと壁が厚い。しかもあの壁は生きているし、攻撃的です。シスターは僕と同じ能力を持っていると言っていましたが、僕とはまるで違います」
「あの子は人間よ。勿論、当然だわ。ただ、そうね。貴方と同じように心の声は聞こえるけれど、あの子の聞こえ方は貴方とは違うのかもしれないわ」
ロサ自身は、他人の声が聞こえるような能力は持ち合わせていないらしく、具体的に何が違うとは説明がつかないらしい。
だがメルヴィは、異能力に加えて精霊の助力があるという。
「色が、見えるみたいね」
「色ですか?」
「心の声は、意図的に壁を作って悟らせないようにすることはできるわ。貴方に対して、私がそうしてみせたようにね。でも、精霊はメルヴィに人の心を色として見せている」
はじめは些細なことだった。メルヴィの両親は不仲で、ひどく会話が少なかったようだ。
感情の乗らない冷たい声、あるいは口に出す言葉とは真逆の感情。
好きといいながら憎々しげに笑い、愛していると言いながら手を振り上げる。そんな生活だったという。
上流階級に身を置いていたコルトにとって、本音と建前は身近なものである。飽きるほど体験してきたが、あの少女は自分と違って、上手く受け流すことができなかったのかもしれない。
両親の真意を知ろうとしたメルヴィを助けたかったのか、精霊たちは少女に新しい『目』を与えた。
少女の世界は色に満ちる。
瞳を閉じても瞼の裏で強制的に見せられる視界は、幼い子どもに混乱を与えた。
わからなくて助けを求め、理解されなくて拒絶される。
ますますもって手を伸べて、それを届かせるために精霊たちは助力し、少女の周囲では不可思議な現象がたくさん起きるようになった。
そこまで聞けば、容易に察せられる。コルトがそうであったように、メルヴィもまた両親に見放されたのだろう。
「疲れてしまったのね。うちに来たのは五歳のときだったけど、二年経ってもまだ傷は癒えていないわ。精霊たちとの付き合い方や対処法を教えることはできても、同じちからを持っていない私は、本当の意味であの子を救ってあげることはできないのよ」
「だから僕だと?」
「少し違うわね。貴方もまだ大人の庇護下に置かれるべき子どもよ。子どもは子どもらしく、大人に甘えて暮らしてちょうだい」
ロサは微笑み、人差し指を立てて告げる。
「手始めに、メルヴィと遊んでいらっしゃいな。ここで暮らしていくのだから、土地精霊たちに挨拶をしておいたほうが身のためよ。その方法はメルヴィが知っているから、教えてもらってちょうだい。そして、貴方が知っている外の世界のことを、あの子に教えてあげて」
庭に出ると、メルヴィが蹲っていた。灌木を見つめ、まるで会話をするように首を振ったり頷いたりしているさまは異様だが、コルトは奇異には感じなかった。
風に乗って飛んできた枯葉を踏み、かさついた音にメルヴィが振り返る。そこには怯えも驚きもなく、けれど瞳の揺らぎと噛みしめた唇で、思いは知れた。
「ロサに挨拶まわりをしておくよう言われたんだ。仲介を頼めるかい?」
「…………」
「残念なことに僕ときたら、美しき隣人たちを見ることが叶わない。妖精の住まう庭において孤立無援なのさ。困っているんだ、助けてくれないか?」
「……なにを、するの」
「そうだな。まずはついさっきまで話していた妖精を紹介してほしいな」
緑の茂る灌木に手のひらを向けると、メルヴィは目を見張った。戸惑う表情にくすりと笑い、コルトは少女の隣に立つ。
「信じられないといった顔だね。だけど君ならわかるだろう? 僕が今なにを考えているのかが」
「勝手に読んだりしないわ」
首を振って否定するメルヴィの向ける眼差しは強く、コルトはそのまっすぐさに貫かれた。
読むことができるのに、それを行わないことを選択する少女は、やはりコルトとはまるで正反対だ。
――嘘や隠し事を白日の下に晒すことが絶対に正しいというわけではないことを、覚えておいてくださいませ。
かつての執事が伝えてきた言葉が思い出され、目の前の少女と彼が重なった。
まるで違うのに、どこか似ている。
己を犠牲にしかねない脆さは、危険に感じられた。
「わからないな。なぜだい? 持っているちからは行使すべきだ。僕はそう思うし、そうしてきた」
「……こんなちから、いらないわ」
「でも持っている」
断じると、少女はくちを噤んだ。唇を噛み、俯いている。
「ならば使うべきだよ。それが正義だ」
「せいぎ?」
「正しいと思うことだよ。僕は、嘘や隠し事は嫌いだ。それは誰かをおとしめる。罪のない者を罪人として罰することにつながるから」
「あなたは、そのだれかを助けられなかったの?」
「――っ」
メルヴィの瞳は自身の感情を語らないが、だからこそ、相対するひとの心を映しているのかもしれない。
少女の瞳に映ったコルトの顔は、強張っていた。
反論しようとするけれど、うまく言葉が出てこない。
「言っても言わなくても、まわりのひとはイヤがるもの。だったら――」
「黙することを選択するっていうのか。それは逃げだ。君はちからを持っている。僕よりもずっと上なんだろう? 精霊とやらの助力でそうなれるのであれば、役目を僕にゆずってくれ。君よりもずっと上手く使ってみせるさ」
カッとなって言い放つ。
年下の少女に嫉妬するみっともなさも消し飛んで、声を張り上げ詰め寄った。
「いらないだって? 誰よりも真実に近い場所にいるくせに、誰だって救えるはずなのに、それをしない君は愚かだ。僕はちからが欲しい!」
「ダメ!!」
メルヴィの悲鳴じみた声が聞こえた瞬間、周囲の空気が変容した。
ねっとりとしたものが素肌を走り、粟立つような震えがくる。
なんだ、これ。
くちを開いたけれど、声は音として発せられなかった。はくはくと動くのみで、コルトは両手で己の喉をつかむ。
声が出ないだけではない。息がうまく吸えなかった。
浅く、早い呼吸。
空気を求めて喘ぐと、饐えたような臭いが入ってきて、咳きこんでしまう。苦しくて、目がチカチカした。
(なんだこれ、なんだこれっ)
――ボクが欲しいの?
幼児の声がした。
あどけない口調なのに、聞いた途端に総毛立つぐらいの恐怖に襲われる、そんな声がした。
――ねえ、欲しい? なら、代わりにキミをちょうだい。
僕をくれって、どういう意味だ。
心に浮かんだ問いを、知らない声は拾って返す。
――あの子と同じ目が欲しいの? ああ、小さいけど耳はあるんだね。